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創作物はうんこだ💩

創作について考えた

私にとって創作は自分という生命の代謝のプロセスに他ならない
生命を生命たらしめる代謝という活動そのものだ

創作は盗作だ
常日頃、私たちは様々なものを自分の感性という名のフィルターを通して取り入れる
他者にとってガラクタでしかないものも、己の感性というフィルターを通して残ったものは、自分のとってのかけがえのない宝物だ

それは、何でもない日の雲の形や、道端の花だったりするのかもしれない

それらをごちゃごちゃとかき混ぜ、組み立て、絵なり言葉なり音楽なり、現存する様々なフォーマットをなぞりながら何かを創る

少なくとも私にとって、その行為は何かしらの大義名分や目的に沿っている訳ではない
創りたいと思うから創るのだ

創作の手段は様々だと思う
絵や言葉、音楽、起業だって一つの創作の手段だ
大事なのは、それらは手段にしか過ぎないということ

創作というプロセスを経て生み出される創作物はいわば代謝の残渣、排泄物ということになる
つまりうんこだ💩
創作の極意はそのプロセスにあるのだと思う
あーでもない、こーでもないと多数の試みを施すこと、それ自体が創作の最も価値ある所ではないのだろうか

創作物という名のうんこは、ある人には臭いかもしれない
それらは、誰かにとってガラクタにしか過ぎないものでできているのかもしれないのだから
誰も自分のうんこにプライドなど持たないだろう
それと同じで、己の作品に、自己意識を投影しすぎるのはよくないと思う
本質はそこではないからだ

もちろん、創作物それ自体には価値はあるのかもしれない
それは他者が彼らの感性を通して判断することであって、本人の創作というプロセスには何ら関係ないことだ
己の創作物が誰かの感性フィルターを通して彼らの次への創作の一部となるのならこれほど嬉しいことはないだろう

Myうんこ💩


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