2001年 春 原発

     原子力発電とは


 2001年の春にかいたやつを載せちゃいます。

思いつくままにぶっつけで(酒も呑んでたかな)書いたものをそのまま出しちゃいます。

話があちこちしてまとまりがない、寿玄夢色満載です。


 そもそも、原子力発電とは何か?

私の知ってるのは、天然ウランの中の“ウラン235”ってのがあって、それはウランの“ウラン238”99,3パーセント以外の0、7パーセントのモノで、それを3~5パーセントまで濃縮して使うんだそうだ。

その“ウラン235”に中性子をぶつけて核分裂を起こさせるんだけど、そいつは、水力、火力などの比ではないごく微量、わずかの量でものすごい力、エネルギーを出す。

 でーもなぁ、それを起こした瞬間から、それは、熱を発し続け、放射能を半永久的に出し続けるモノ(怪物)となるんだ。

 そして致命的なのが、今の科学では、そこで使い終わった使用済み燃料の始末が出来ない。

それは、ドンドン溜まって六ヶ所村だけで800トン溜まっているという。

その“ウラン235”は、半減期まで“7億年”掛かるんだという。


 燃料棒も使用済み燃料棒も、熱を出し続け、放射能を出すので、封じ込めて冷やし続ける必要がある。なんていう問題じゃなくて冷やさなければ大変なことになる。

核分裂は、一度始めた以上は、もう後戻りは出来ず、冷やし続けねばならない代物となる。

 だったら、冷やし続けたらいいだろう。と思うだろうが、それが停電やパイプの壊れで何時何どき出来なくなるか分からないという不安を抱えることになる。

それを冷やす為には大量の水を必要とするので、海の近くに原発は造られるが、そこは地震の巣窟。

 原発は、“何事もなければ”少ない燃料で、空気も汚さず、驚く程大量の電気を作り出す。というが、でも、何事もないなんてことがあるだろうか?

 それを言うと、火力だって水力だって同じことだと言う人が、必ず現れる。

何にだって危険はつきものだ。などというが、核は根本的に違うんだよなぁ。

そういう人にはどう言ったら分かるんだろう。原子力っていうのは、核っていうのは、人間の手の届かない所にあるんだよなぁ。

 核分裂は人間の手で始められるかもしれないが、始めたら、もう止めることは出来ない。

何事もなければ、ということは、机上の空論でしかなくて、起きたことのないことが起きるから非常事態であって、その時の人間は無力なんだ。

 原発は、地震では大丈夫だと言っていたが、どうだろうか地震でもダメだったのかもしれないし、兎に角、津波には太刀打ち出来なかった。

冷やし続ける為の電源も、幾重にも装備されていた(足りなかった?)が、断たれた。

「想定外のことが起こった」なんて言ってるヤツが居たけど、充分想定している人達が居たのに、聞く耳を持つ人が居なかったんだ。

 海から引っ張ってるパイプが折れたり、電気が止まることがあったら大変なことになる。

と聞いて恐れてきたけど、その通りになった。

 大体が、日本には原発の専門家が居ないんだとぉ!?

原発は設計図を買って技術者が造ってきただけで、構造は分かってないと聞いてきた。

 つまりパソコンは使えるけど、壊れたり緊急事態になっても直せない人がパソコンを使っている状態と同じだという。

つまり、原発を動かしてはいるが“何か起きたらどうすることも出来ない人たちが動かしている”んだ。

それを聞いた時、原発には反対だったが、まさかそこまで酷くはないだろうと、原発で働く人に失礼だと思った。

しかし、本当に失礼だったのは何にも知らされずにいたすべての国民に対してだった。


 原発を廃炉にしても、放射能は出る。危険極まりなく、生産性のない、でも定期点検と監視と管理は続けていかなければならない。

 今までつぎ込んできた莫大な金に執着して更に失敗を重ねることは、もう許されない。

原発は、止めなければならない。

核を動かすのは止めて、研究は続けながら、負の遺産としてお守(もり)し続ける。

生産性はなく金は掛かるが、それが、ここまでやってしまったことの責任をとるということだ。

仕方がないよ、もう、やってしまったんだから。

でも、ここが最終決断だね。

言い訳したり、意地になったり、誤魔化しやねつ造は止めて、本気で決断して行動しなければならない時が来たんだ。


六ヶ所村には、使用済み燃料の再処理工場で800tの使用済み燃料が集まっているという。広島原爆で使われたウランは14キロだか16キロだかだったらしいんだぜ。

 1トンって何キロだったっけ?

よく、六ヶ所村には行き場のない800tのウランが眠っている。なんて言うけど、

♪~眠ってなんか、いないさぁ~、冷や~し続けて、抑えているだけさぁ~♪ 


 最近(2001年春)、佐々氏から毎日のように電話を貰ったんだけど、彼は絶対的に私の味方だと思い同じ気持ちだと思っていたのに、反応がイマイチでムカついた。

「ねっ、原発は今すぐ止めるべきですよね」

「んー、そうですね」

「だって、地震の断層の上に建てて地震でも津波でもあったら終わりじゃないですか」

「仕方ないんですね、あれは~(原発の抗議が始まる)

だから、大量の水を必要とするんで海のソバにしか造れないんですよ」

「地震が来て津波が来たらどうするんですか?」

「ダメでしょうね」

「ダメって、だったら造らなきゃいいでしょうよ」

「起きそうでも起こらないと止めないのが、国家や東電なんですね」

「現に起きたでしょうよ、地震、津波、水素爆発」

「いや、臨界も起きてますね。臨界じゃないと出ない物質が出てますから」

(その頃、臨界が起きたと言っている人は公では居なかった)

「こういう事態になったって、まだ終わりになってませんよね。

今、こういう事態になってるんだから、もうみんな目が覚めたでしょうね。

原発はいらないって止める方向に向かうでしょうね」

「いや、止めないでしょうね。次の工事、着工するらしいですから」

「バカじゃないの!こんなに地震が続いてるし、地震がなかったとしても原発に未来はないでしょうよ。

燃料棒は熱と放射能を出し続け、それどころか、使用済み燃料棒だって熱と放射能を出し続けるし、それが溜まる一方で、処理することは誰も出来ないんですよ。

ここらで覚悟決めて、『日本は原発から手を引きます』ってことにはならないんですか!?」

「ならないでしょうね」

「どうしてですか!?」

「すぐには、原子炉は止められないんですよ」

「そんなこと分かってますよ。

じゃ、じゃ、百歩譲って、すぐでなくてもいいから、止めるって決めたらいいんじゃないですか!」

「でも、電力が不足するとか言って止めないでしょうね」

「だって、原発の電気は30パーセント位じゃありませんか、今だって計画節電するっていってもしないで何とかなってるんだし、火力発電で休ませてる所もあるんだから、そこを動かして、太陽光発電とか自家発電とか発電のシールも開発されてるって聞いたし、そういうのを研究して開発してったらいいでしょうよ。地熱発電だってあるし、あっ、そうだ、海の底に何だか資源が見つかったらしいですね」

「そうですね、でも、あれは冷たい海の底で凍った状態のガスみたいなもんだから取り出してくるのが難しいんですよ」

「いくら難しいっていったって、放射能をバンバン出してるのに比べたらまだましです」

「ガスも有毒ですから危ないんですよ」

「ふーん、でも、何で、原発を止めないんですか」もう怒りと疲れで口がとがっている。

「国も電気会社も止めたくないんですね」

「何でですか?」

「儲かるからですよ。それに始めてしまったものは止めることが出来ないんです。

止めた方が危なくなることもあるんですよ」

「でも、ドンドン廃棄物が溜まっていくじゃないですか」

「だから再処理工場を造ろうとしてるんですね」と佐々氏は言ったが、

「もんじゅで使われているプルトニウムは、人間が作りだした自然界にはないもので

『ケタ違いに恐ろしい』もんなんですね」と言う。

「もう、いい加減、やめて下さいよ」と、もうその言葉は原発に向かってなのか佐々氏に言っているのか分からなくなっていた。

 佐々氏は、原子力とか核についても勉強してきたらしくて話の講義が専門的で長い。

訳が分からない名前や数字が続くので酒を呑みながら聞いていた私は、眠いし原発がしてきた誤魔化しやねつ造をしてることのバカさ加減に腹の虫が治まらなくなって、

「佐々さんは、こんな危険で行き先の見えない世界を安全で平和で安心して暮らせる世界に変えたいとは思わないんですか!?」

「変えたいとは思いますけど、そんなに簡単には変わりませんね」

佐々氏は「昔、大学や美浜原発の説明会に行ったんですけど、色々質問したら出入り禁止になっちゃって、中に入れてもらえなくなっちゃったんですよ」と言う。

 それを聞きながら以前に、原発と放射能の恐ろしさを話してくれた人達が幾ら話しても世の中は変えられないと諦め顔だったことを思い出した。

 まあ、その昔、言論の自由がなかった頃に比べれば、今の時代、少しはマシなのかもしれないが、原発反対の15,000人デモがあったが、マスコミは取り上げない。

 「デマに流されないようにしよう」と言いながら事実を伝えることをしないから、憶測

で噂が流れる。

 って、事実を知ったらみんなもっと不安になるのかもね。

だけど、事実は事実だ。それを知って受け止め、そこから前進していきたいな。ワシは。

 まぁ、インフームドコンセント(内容を説明し事実を明らにしてか伝えること)ってのは、伝える側も、伝えられる側も、成熟した人でなければ出来ない。

 「怖いことは聞きたくない」と耳をふさぐ者と、

「いいから黙って言うこときけ、説明だ?!

俺を信用出来ないのか!」と言う者の間では、成立しない。


この天下国家の一大事に、敵も味方もない。

仲間割れに力をエネルギーを使っている余裕はもうない。

原発推進派も原発反対派も、事実を明らかにして、それをみんなで受け止めた上で、

本当にこれからどうしたらいいか、どうすべきかを考えて、手を携えて行くしか道はない。






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