原稿と執筆後記から辿る       米大リーグへの足跡①

広島からカブスへ移籍した鈴木誠也選手が好スタートを切った。
開幕3戦目、米大リーグ10打席目に飛び出した米1号、
打率.375、3戦連続6打点の成績だけでなく、内容ある打席が続いている。
オープン戦10試合できっちりと調整し、開幕を迎えられたように感じる。

新天地でもあれだけのパフォーマンスを発揮できるのはなぜか―。

過去にNumber Webに記した原稿を通して、
現場で触れてきた姿と思考、
そして当時のやりとりなどとともに米国までの足跡を辿りたい。

Numberさんで初めて寄稿したのは、16年春季キャンプ終盤、
誠也くんがまだ21歳ときのことだった。

今年のトリプルスリーは広島から?
内川に師事した鈴木誠也が覚醒宣言

前年15年は出場は97試合、まだレギュラーじゃなかった。
シーズン終盤に、殻を破りたいと思い、
チームメートの小窪哲也選手(現広島内野守備走塁コーチ)に直訴し、
当時ソフトバンク内川聖一選手(ヤクルト)に弟子入りした。

入団時から打撃追究に熱心だったが、
より理論的に打撃を考えるようになったきっかけとなった。
のちに通算2000安打を記録し、
当時7年連続打率3割を記録した巧打者から多くを学んだ。

新しい感覚に触れること、知識を入れること、体に落とし込むこと…
変わっていく自分を感じることは喜びでしかなかったようだ。

 1日6時間の練習を終えた後も、内川の映像と自分の映像を繰り返し見続けた。食事中も「この時間が惜しい。打ちたいし、映像を見たい」とこぼすほど充実した時間だった。

Number Web

実に誠也くんらしい。

夜中にハッと「こうしてみたらどうだろう?」と思いついたら、
ベッドから飛び起きてバットを握った。
窓ガラスに映る自分のスイングを見ながらうなずく夜もあったという。
これほどまでに打撃にのめり込む精神力が成長を促したように思う。

それだけではない。「思考力」もあった。

「内川さんからは本当にたくさんのことを学びました。でもそれが絶対ではない。(広島打撃コーチの)石井さんや東出さん、迎さんから言われていることも吸収していければと思っています」

Number Web

参加したばかりの大先輩との合同トレ後に、なかなか言える言葉じゃない。
オフに他球団のトップ選手の技術や思考を吸収する機会も増え、
自主トレ直後の春季キャンプでは頑なにそのやり方を
貫こうとする若手が多くいる。
ただ、自分に合う、合わないも、当然ある。
理論を100%理解していなければ、間違った方向に進むこともある。
自分の中で理解した上で、しっかりと落とし込めているかどうか。

誠也君の場合は内川塾で学んだ理論を自分に落とし込み、
取り入れられていたと思う。
同時に、それが「すべての正解」ともしなかった。
ひとつに形に固執しようとはしないのは、今の打撃にもつながる。

この原稿が出た後、
キャンプ終盤に右足ハムストリングを負傷し、離脱した。
今だから言えるが、トレーナーから静養を通達された中で、
負傷した日の夜にベッドの上でバットを振ったという。
それだけ好感触があり、
あれだけやっても練習に飢えていたということだろう。

「沖縄で次に会うまでに覚醒しておきますよ」。

Number Web

1次キャンプ終盤、私に言った言葉は
“沖縄”ではなかったが、同年シーズンで現実のものとなった。

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