見出し画像

原稿と執筆後記から辿る       米大リーグへの足跡②

カブス鈴木誠也選手の復帰がさらに遅れることになったそうだ。

開幕直後の成績から徐々に数字を落とし、さらに負傷離脱と、
悪いことが重なっているようにも、みえる。
ただ、これまでも成長を遮るような負傷に見舞われてきた。
そして、そのたびに強くなってきた印象すらある。

「足跡①」で記したように、
「神ってる」と言われた16年も、ケガからの始まりだった。

カープの新4番となった17年も、8月に右足首を骨折。長期離脱となった。

リーグ2連覇を決めた瞬間、甲子園のグラウンドには姿なく、
マウンド付近にできた歓喜の輪に、チームスタッフの肩を借りて加わった。
ご褒美ともいえる優勝旅行は、辞退した。

「足跡①」で記したケガを受け入れることで
「神ってる」と言われた活躍につなげたように、
この年の大けがも、宿命と受け入れた。

鈴木誠也、ケガ離脱後の大変身!?
練習場に響く異様な打撃音が……。

離脱した時点で規定打席には到達し、打率.300、26本塁打、90打点。
OPS.936はリーグトップで、
2年連続ベストナインとゴールデングラブ賞を受賞する成績だった。

だがオフ、野球に取り組む姿勢は、とても主力選手とは思えなかった。

「神様が変われるチャンスをくれた」

そう口にしたときの表情は真顔だった。
どちらかといえば、前向きに捉えているように感じられた。

チーム内での立場が上がり、全国区の選手となった。
周囲の注目度や取材は日に日に増した。
ただ、自己評価は人一倍厳しい。
ざわつきが増すほど、自己評価との乖離に違和感を覚え、
苛立ちを隠せないときもあった。
連覇狙うチームの4番とはいえ、まだ23歳。

悔しさを味わった負傷離脱も、
グラウンドを離れたことで、
未熟さを感じることができたと感じた、というのだ。

41歳になっても、自分を許してばかりの記者もいる。
感服するばかりだ。

だからだろう。
たとえケガしても、離脱しても、ただチームに帰ってくるだけではない。
いつも、強くなって帰ってきた。
翌18年、チームを3連覇に導いた。

ケガするたびに強くなっている。
そう感じる。

だからこそ、気になる。
移籍1年目の今、離脱が続く状況をどのように感じているのか―。
そして、ここまでの米国での戦いをどう感じているのか―。

だから、行く。
今、noteを成田空港で書いている。

キャンセル不可の航空券を購入した時点で
何があっても行くことを決めていた。
もしかしたらプレーしている姿は見られないかもしれない。
それでも、後悔はない。
ない。ということにしておく。そう、自分に言い聞かせている。

米国へ飛ぶ。
胸の内を聞けたら、と思う。

それっぽくまとめたものの、
初の1人海外&初米国本土にビビりまくっている。
明日からは41歳の米国旅行記を綴っていこうと思う(未定)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?