うんちと共にあらんことを

GWのど真ん中に、史上最低なタイトルから失礼します。

最近、うんちについて考えることが多いです。
いや、「うんち」「ちんちん」「おしっこ」。この三種の神器について考えている、という方が正しいでしょう。
呼吸する、ご飯を食べる、と同じように空気のようにそこにあるがゆえにあまり意識したことがない人も多いでしょうが、なんとこのワードたち、めちゃくちゃ面白いんです。言うだけで世界は笑顔で溢れます。
試しに声に出して言ってみてください。変な人ですよ。

ではなぜそんな偉大な言葉たちについて考えるのか。
一言で表すのは難しいのですが、社会の多くの人の中にある同一の指向をもった精神性と、それについていくことのできない自分の幼児性の温度差を感じるからです。何言ってるんだこいつという感じですね。
つまるところ、「エロ」という名のコンテンツに非常に温度差を感じる。

例えば、飲み会になると、「誰々とヤッた」「誰々が浮気をしている」「先週風俗に行った話」みたいな話が往々にして話題になります。
まあ別にそれはいいんですが、多分その話題に対する興味や尺度がみんなと違って、それが温度差と感じて面白くないなって思っちゃう。
僕はクレヨンしんちゃんに出てくる様な単線ちんちんの話をしたいのに、なんかモザイクの入ったおちんぽの話ばっかで盛り上がってて、「はえー」と。今までの人生において、そんな生々しい「エロ」という話題で盛り上がる友人が多いわけではなかったので、社会に出てみると人との会話において「エロ」が結構主役面してることに驚きが未だに隠せない社会人7年目です。

おそらく僕は、世間で言うところの「下ネタ」があまり好きでない。
というか、世間で言われる「下ネタ」のインフレについていけなくなったという方が正しい気がします。
本来、歳をとると同時に「下ネタ」は徐々に「エロ」というフィールドに突入していく。けど、性格ゆえか、長年男子校で過ごしたという状況ゆえか、はたまた思春期に運動をせずパチョコンカチカチオタクくんであったがゆえか。僕はここに突入するタイミングを逃してしまい、僕の思っていた「下ネタ」と世間の「下ネタ」が徐々に乖離をしていってしまった。
うんちとかいう狼牙風風拳で田舎の天下一武道会を意気揚々と戦ってたら、都会からセックスとかいう超サイヤ人が出てきてしまった、みたいな。

うんちに限った話ではなく、たぶん世間一般の社会における精神性の成長についていけてないことを思い知らされることが多いです。
おそらく世間一般の30歳手前の男性にとって、遊戯王やモンハンは「懐かしい」というノスタルジイなジャンルになってしまっていて、すでに過去のものなのです。そういうことはもう皆卒業してるし、オトナになるとはそういうことなのであると。
僕は彼らに「ちょ、みんな大人になりすぎ〜!」って言いながら、でも毎日モンハンをやっているかと言うとそういうわけではないし、なんならもう何年もやってないというダブルスタンダード。
実際僕は、皆と同じく変化をしてしまった人間なんだろうけど、心の中でそのことに踏ん切りがつけられていない。昔の楽しかったことに固執し、そのまま不変でありたいと願う。
ピーター・パン症候群と言ってしまえばそうなのですが、もうちょっと現実が見えている自覚もあり、もう見えてないピーターパンと必死に喋る演技をしてる感じです。諸行無常とはかくも悲しきことかな。

そういえば、うんちについて、もう一つ考えることがある。
うんちの商用利用についてです。

つまり、うんち過激原理主義派の私としては、昨今の巷ではうんこドリルとかなんだかとかで、うんちという存在が資本主義の矮小な1コンテンツとして扱われ始めていることが非常に悲しいわけです。
うんちは等しく皆のものだし、コンテンツやジャンルというものよりもう一つ上流にある「概念」的なものと考えているわけですね。(『うんち学入門』より)

誤解なきように言うと、うんちで金儲けをするなと言っているわけでもないですし、「昔の俺の知ってるあいつじゃねえ」という懐古主義的な精神があるわけでもないです。
なんとなく、消費され、冷笑され、捨てられていく、ボロボロになったうんちを見たくないだけなのです。
コンテンツ化することで人々の心にいつまでもうんちを残す、という効果ももちろんあります。それは大賛成です。
けど、その今お前らが扱っているコンテンツうんちは本当にうんちか?と。お天道さまに胸を張って「うんちのために」と言えるのか?

胸に手を当て、思い出してください。
コロコロコミックで描かれているホカホカのうんちを初めて見た時の衝撃を、アラレちゃんを真似して道端のうんちに棒を刺したことを、巻きグソを作ろうとお尻を動かしながら致したことを。
そんな原初のうんちとの思い出を礎に今の僕たちは存在するのです。

うんちとは、原点にして頂点なのだと。
その気持ちをいつまでも忘れずに生きていきたいものですね。

May the Unchi be with you


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