【Milky Way】シーンB『たなばたさま』

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■ シーンB『たなばたさま』


 改札口から少し離れたところに、ガラス張りの小部屋があった。
 入口の引き戸を横に動かす。見た目に反して、ずいぶん重たい音がした。
「ここでいいの?」
「うん。このお部屋なら大丈夫みたい」
 私とキャリーケースを引いた女の子は待合室の中に入った。左右の壁沿いにベンチが設置されている。私たち以外には誰もいなかった。天井には蛍光灯があり、先ほどまでいた場所よりはいくぶん明るく感じた。
 女の子が、向かって右手側の一番手前のベンチに座ったので、私もその隣に腰かけた。
「じゃあおねえさん、わたしのお願い、見せてあげる」
 そう言って女の子は、キャリーケースのファスナーを開けた。
 口が開くと同時に、中から色とりどりの細長い紙が湧き出てきた。何枚かは外にこぼれてしまっている。おもちゃ箱から溢れるおもちゃのようにも見えた。
「すごい。ほんとに、全部短冊?」
「うん」女の子は短冊を何枚か手に取った。「これは『おえかきがしたい』、こっちは『はみがきがしたい』」
「そっか。お願いごと、叶うといいね」
「えへへ。おねえさん、ありがとう」
 彼女は楽しそうに笑いながら、ほかにも短冊を見せてくれた。
『あるいてみたい』『おしゃべりがしたい』『ほんがよみたい』『あそんでみたい』『はしってみたい』『おようふくがほしい』『おほしさまがみたい』……
 子どもの字で、たくさんの願いごとが書かれていた。字を覚えて間もない年頃だろうに、よくこんなに書けたものだなぁ、と感心してしまう。

 キャリーケースいっぱいの願いごとを抱えている女の子。何も持っていない私とは違う。
 だけど彼女の願いごとには、妙な違和感を覚える。
 どれもわざわざ短冊に書くほどのことではないように思う。
 この子の鞄は、こんなお願いでいっぱいになっているの……?
 私はこぼれた短冊を拾って眺めてみたけれど、やはりどの短冊にも、些末な、ごく当たり前のことしか書かれていない。このくらいの年齢の子どもが書きそうな、大きくなったら何になりたいとか、具体的なおもちゃや何かがほしいとか、そういったものはどこにもなかった。
「おねえさん、ほんとにお願いごとないの?」
「えっ?」
 短冊を手にぼうっとしている私を、女の子がまじまじと見つめていた。
「おねえさん、これあげる!」
 彼女が差し出してきたのは、真っ白な短冊とペンだった。
「おねえさんも、これにお願いごと書いてよ。わたしも書くからさ」
「まだ書くの?」
「うん。これからやりたいこと、ほしいもの、いっぱいあるもん!」
 そう言うと彼女は、私の手に短冊とペンを握らせた。
 そして自分もペンを持ち、新しく願いごとを書き始めた。白紙の短冊もどうやらまだたくさんあるらしい。
 私は俯いて、もらった短冊を見つめた。白い短冊に私の影が落ちる。
 私はここに何を書けばいいのだろう。
 私が今更、何を願えばいいのだろう。
 叶わないことだってあるというのに。

 私が考え込んでいると、女の子が歌を歌う声が聞こえた。
「さーさーのーはーさーらさらー
 おーちーばーにーゆーれーるー」
 思わず、吹き出してしまった。
「どうしたの、おねえさん?」
 彼女はきょとんとして、こちらを見つめた。
「ごめんごめん、ちょっとお歌間違えてたから」
「え? 違った?」
「えっとね」私は体を彼女のほうに向け、目線を合わせた。「『落ち葉に揺れる』じゃなくて、『軒端に揺れる』。落ち葉だと、秋の歌になっちゃうでしょ。七夕ってさ、夏じゃん」
「そっか。えーっと、のきば? のきばって、なに?」
「ちょっと難しい言葉だけどね。軒っていうのは、おうちの、屋根の下の部分。軒端っていうのは、その端っこ。ここはね、屋根の先っぽから、笹の葉が、風に揺れてるのが見えるよーっていう意味」
 伝わらないだろうな、この子には難しい話かな、と思いながらも、この子と話すことを楽しんでいる自分がいることに、私は気がついた。
 子どもに何かを教える。子どもの面倒を見る。子どもを見守る。そういったことを、かつて私は望んでいたんだな、と思い出した。
 思い出してしまった。
 ……少し、悲しくなった。

「さーさーのーはーさーらさらー
 おーちーばーにーゆーれーるー
 おーほしさーまーきーらきらー
 きーんーぎーんーすーなーこー」
 女の子はまた歌いながら、残っている短冊に願いごとを書いていた。
「……そうだ、これも書こ」
 そう口にした彼女は、ほんの少しだけ、寂しそうな顔をしたように見えた。
 ちらりと彼女の手元を見ると、そこにあったのは、淡いピンク色の短冊に書かれた、「いのち」の3文字だった。


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