【Milky Way】シーンA『短冊からはじまる旅』

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■ シーンA『短冊からはじまる旅』


 そこは、大きなターミナル駅を連想させた。
 広く薄暗い、見知らぬ空間に、なぜか私は立っていた。
 人はまばらだった。 目の前には、改札口を思わせるような入場口と、駅員を思わせる男の人の姿。自動改札機などのようなものはない。駅員と思しき男性が、通る人を案内しているようだった。
「はい、じゃあアナタはあっち。1番ホーム」「えーっと、キミはこっちね。3番ホーム」「もうすぐ出るから、なるべく急いでね」などという、その男の人の声が聞こえる。

 ……どこだろう、ここは。
 駅、だと思う。だけど私が知っている駅というものと比べると、明らかに不自然なものがあった。
 ──笹。
 七夕の時期などによく見る細長い植物が、改札口の前に植えられている。私はそれに近づいてみた。短冊がいくつか飾られている。
 短冊。願いごと。届かないものに触れるように、私は手を伸ばした。
 私も、かつては──。
「ああ、お姉さん、勝手に触らないで」
 声が聞こえた。振り返ると、制服姿の若い男の人が駆け寄ってきていた。改札口に立って案内をしていた人だ。
 私は慌てて謝り、手を引っ込めた。
「これにはお客さんたちの願いがかかってるんだからさ」
 彼は異常がないことを確かめるように笹を見ると、今度は私に向き直って言った。
「で、お姉さんの願いは何だい?」
「……願い、ですか」
 言い淀んでしまった。
 私の願いなんて、そんなものはもうない。
「ないのかい?」彼は大きな目をさらに見開いた。「まあ、今はそういう人も珍しくないけどね」
 あくまで親しみを込めた話しぶりで、彼は訊いてくる。
「でもここにいるってことは、何かしら願いがあるんじゃないのかい?」
 なぜそんなことを訊くのだろう。
 願いなんて、もっていなくちゃいけないものなのか。
 願いをもつことが、そんなにいいことなのだろうか。
 笹に吊るされた短冊に目線を向けながら、私は諦めに似た感情を持て余す。
 ひとまず、最初から気になっていたことを尋ねてみることにした。
「あの……、そもそもここって、何ですか? どこかの駅ですか?」
「ああ、ここはね」男の人は思い出したように話した。「みんなの願いを叶えにいく電車、タナバタ特急アマノガワ号の出発駅。そしてボクは、その駅長」
 私が理解できずぽかんとしていると、駅長と名乗ったその人は手に持っていた短冊を目線の高さまで上げた。
「アマノガワ号の乗車券は、この短冊。そしてボクが、それをこの笹に吊るす」
 短冊を笹にくくりつけながら、駅長さんは続けた。
「たとえば、キミがどこかへ行きたいって短冊に書いたら、アマノガワ号がその場所まで連れてってくれる。何かになりたいって書けば、アマノガワ号が向かった先で、キミはそのなりたい姿になってる。誰かに会いたいって書けば、その人のところへ会いに行ける」
 ……駅長さんの話を整理してみる。要するに、ここはアマノガワ号とかいう電車の駅で、短冊に願いごとを書いてそのアマノガワ号に乗ると、その願いが叶うらしい。
 だけど、なぜ私はこんな場所にいるのだろう。願いなんてもっていないのに、どうして……。
 私が疑問に思っていると、駅長さんは「そうそう」と人差し指を立てた。
「さっき言い忘れたけど、こういうパターンもありえる」
 真剣とも意地悪ともとれるような顔をしていた。駅長さんの瞳に、私の顔が映る。
「お姉さんはまだ、自分の願いに気づいてないだけ、とか」
 一瞬、目の奥が鋭く光ったように見えた。私に見えていない何かを見透かしているような、そんな気がした。
「願いに、気づいてない……?」
「おっとごめん」気がつくと、意味深な表情は消えていた。「次のお客さんが来るから、お姉さん、ちょっと待っててもらえるかな?」
 駅長さんは踵を返して、改札口のほうへ行ってしまった。

 そこには一人の女の子の姿があった。4歳か、5歳くらいだろうか。
 自分の身長の半分以上はあろうかというキャリーケースが横に置かれていた。保護者らしき人の姿はない。理由はともかく、あのキャリーケースは彼女が一人で頑張って引きずってきたのだろうか。その姿を想像すると、なんだか微笑ましく思えた。
 彼女はなぜ、どうやってここまで来たのだろう。私はひとまず、駅長さんとその女の子のやりとりを見守ってみることにした。
「こんにちは、おにいさん!」
 女の子が駅長さんを見上げ、元気にあいさつをする。
「こんにちは、お嬢ちゃん。アマノガワ号に乗りに来たのかな?」
「うん。電車いっぱいあるけど、どれに乗ればいいの?」
「それは、お嬢ちゃんの願いごとによるかな。どんなお願いをするかによって、行かなきゃいけないところも違ってくるからね」

 駅長、と名乗ってはいたけど、彼は見たところかなり若そうだ。私とそんなに変わらないんじゃないかと思う。
 少年のようなあどけなさも残っているものの、その口調や顔つきは、嘘偽りは言っていないのだろう、と思わせるものがある。話していたことはよく飲み込めないのだけど、まあ本当のことなのだろう。
 今、女の子と会話をしている様子を見ても、人のいいお兄さんという感じだ。

「……それで、お嬢ちゃんのお願いは何だい? 教えてくれれば、ボクが案内するよ」
「ちょっと待ってて」
 女の子がキャリーケースの中を開こうとした。
「それにしても、ずいぶん大きな鞄だね。何が入ってるのかな?」
「お願いごと!」
 女の子が鞄から細長い紙を取り出した。駅長さんは少し大げさに驚いてみせる。
「もしかしてお嬢ちゃん、その鞄の中、短冊が入ってるのかい?」
「そうだよ。ぜんぶ短冊!」
「驚いたなぁ。キミ、すごいね」
 すると駅長さんは、悪戯っぽくこちらを見た。
「さっき来たお姉さんなんか、短冊なんて一枚も持ってなかったのに」
「えっ?」
 思わず声をあげてしまった。予期せぬ飛び火を浴びてしまった。……どういう顔をすればいいのだろう。
 女の子が私に近寄ってきた。
「おねえさん、ないの? お願いごと」
 私は彼女の顔を見た。心配そうな表情で私を見上げている。そんな顔をされても、と思う。
「うん……」
「そんなー! なんでなんで! だめだよ!」女の子が、怒りと驚きと悲しみを込めたような声で私に言う。「もったいないよ! いのちがあるのに!」
 少し、引っかかった。
 ──いのちがあるのに。
「それでさ、お嬢ちゃん」駅長さんが女の子に声をかけた。「すまないけど、これだけたくさんのお願いをいっぺんに叶えてくれる電車は、なかなか来ないんだ。もう少し、待っててくれるかな?」
「わかった。待ってる」
 女の子は明るく言うと、手に持っていた短冊をしまった。
「……よい、しょ」と言いながら、鞄を持ちあげようとする。大きさのせいもあり、ずいぶん重そうに見えた。私は屈んで彼女に尋ねた。
「その鞄、重くない? 少し持とうか?」
「いい。わたし持てる」女の子は自分一人で大丈夫だというふうに、鞄を動かしてみせた。「ぜんぶ大事なお願いだもん」
「そっか。いっぱいお願いがあるんだね」
「おねえさん、見せてあげようか?」
「いいの?」
 私が尋ねると、女の子は得意げに「ちょっと待ってて」と言って再びキャリーケースを置き、ファスナーに手をかけた。
「あー、お嬢ちゃん、ごめん」駅長さんが少し困った様子で止めに入った。「中身広げるなら、ここじゃなくて、あっちの待合室ってお部屋でやってもらえるかな? ここにはまだお客さんが来るから。邪魔になっちゃうからね」
「あ、ごめんなさい……」
 女の子は少ししょんぼりして、またキャリーケースを持ち上げる。
「じゃあ、あっちのお部屋、行こっか。そこでお願いごと見せてよ」
 私は、キャリーケースを引きずる女の子と一緒に、待合室へ向かうことにした。


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