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こんなときだからこそ、“愛”に想いを巡らす。


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世界規模の危機


2020.04.07
緊急事態宣言が発令された。

政府の判断の遅さや、物事を隠蔽しようとする体質、利権に縛られて何もできない対応などが見受けられる。(緊急時に限らず、普段の延長であるが。)

1番の要因は人々の生活の現実を知らないこと、人々の暮らしへの想像力が足りていないことだが、、、。

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思い起こされる悪夢の日々


今回のような危機に見舞われた際、この国の政府の判断や対応を見ると、あの日からの悪夢のような日々を思い出す。

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2011.03.11。

地震、津波、原子力、そしてこの国の政府、悪夢のような日々だった。

結果的にあの日の出来事はそれまでの自分の価値観を大きく変えるきっかけとなった。

あるアーティストが「あの日を境に価値観が変わっていなければ負け」と言っていたのが頭から離れない。


ただ何かを失っただけではいけないと当時から思っていた。しかし、当時は失ったものばかりが目に付いて、あの日を境に自分の中で何が変わったのか、何か一つでも得たものがあったのか、すぐには実感することが出来なかった。

今でも、どのタイミングで価値観が変わったのかは分からないが、あの日の出来事がきっかけで価値観が変わったことは紛れもない事実だ。

テレビに映された映像を観て、ただただ呆然とした。あのような感情になったのはあの日が最初で最後だった。津波によって流される車や家、濁流に飲み込まれていく街、目の前の映像を信じること、受け入れることができなかった。

どこか他人事で、どこか自分とは関係のない遠い世界の話で、それでもこれが現実で。

言葉にならない思いや感情が渦巻いていた。


Tomorrow Never Knows


人生、何が起こるか分からない。常套句として使い古される言葉だが、まさにそれを実感した。

人生は1年先のこと、1週間先のこと、明日のことだって誰にも分からない。どんなに富を得ようが、どんなに偉くなろうが、電車の座席で泥のように眠ろうが、皆須くままならない。

暗中模索だった2019年


個人的にも、この1年は就活をしていて先の見えない日々を過ごしていた。

家族はもちろんだけれど、先の見えない日々において支えてくれた人、正確に記すと支えになった人がいた。自分にとってその存在はとても大きかったと就活を終えた今振り返ると感じる。

その人の存在がなかったとしても、おそらく何とかしていたんだろうと思うし、いなかったら就活を終えられなかったなんて言うつもりもないが、その存在があったから最後のところで踏み止まれたと感じている。

もう1年就活をすることになっていたら、流石に付き合わせるわけにはいかないと思っていた。相手からすればもう1年付き合うつもりなんてなかったかもしれないが、そんなことを考えたりしていた。その存在がいなければ次の年のことを考え始めていたかもしれない。

その人はこの1年について何も思っていないかもしれないし、関係ないと思っているかもしれないが、いつか感謝を伝えたい。この稚拙な文に目を通してもらう機会はないだろうけれど、一言記しておきたいと思う。

Nさん、本当にありがとう。

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感じたものとは裏腹の日々


あの日から最も強く感じたのは、いつか何かを、そして誰かを“愛したい”ということ。当時、誰かを愛していた訳ではないし、愛したいと思う人も大切にしたいと思う人もいなかったから、あくまでも未来の話ではあった。

2011年から2018年までは自分が全てを差し出して、大切にし、愛したいと思うような人には出会わなかった。それは自分自身にも問題があったことは自覚している。あの日から感じた“愛”とは裏腹に、なるべく人との関わりを避けるような生き方をしていたんだろうと思う。拒絶していた訳ではないけれど、無意識に避けていたんだと思う。(理由や原因についてはここでは明言を避けます)数多くの人と出会ったが、そう言った意味での出逢いはなかった。

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僕の世界を変えた人


そんな中で、2018年から2019年にかけて出逢ったひとりの女性がいる。

初めて会った日に、今まで出会った女性とは違うなという印象を受けた。もちろん良い意味で。柔らかな雰囲気で話しやすくて、笑顔が素敵で、綺麗で、可愛くて、聡明で、うまく言葉にできないが、初めて会った数時間でこの人かもなと思ったのは今でも鮮明に覚えている。

何回か会ってお互いのことを少しずつ理解して行ったが、就活直前期だったこともあって今すぐにどうこうとはとても言えなかった。その期間に誰にも連れていかれたくないとは思っていたけれど、それを言葉にしてしまうのは独りよがりすぎると思って、文字を打っては消し、言葉にしようとしては何度も飲み込んだ。この期間に誰かに連れて行かれてしまうのならば、縁がなかったのだと思おうとした。

就活中も数回会ってもらったし、苦しいときに声が聴きたくなって電話をしたこともあった。あの日の電話には本当に救われた。正直、会ったときも余裕がなくて、心此処にあらずだったと思うけど、忙しいなかで、文句の一つも言わずに会ってくれた。どこまで心が広いのだろうか。


あの日感じた“愛”を


いざ、就活が終わって想いを伝えようと思ったのだが、現在の世界の状況になり、会うこともできていない。たまに連絡は取るが職業柄、相手の方が大変だと思うから、まだ伝えていない。

この先、どうなるかは分からない。相手は僕のことを何とも思っていないかもしれないし、そんな気は更々ない可能性だってある。でも、自分はこの人だと2019年に強く思った。今までそう思える人には出逢えなかったが、誰かを“愛したい”と、“大切にしたい”と感じた2011年から約8年を経て、そう思える人に出逢うことができた。

昨年の1年間を過ごす中で、先が見えない日々を支えてくれた人を大切にしたいと思った。そして、自分の全てを差し出し、幸せにしたいと感じた。


学生時代に感じた違和感


過去に自分は人を好きになれないんじゃないかと思ったこともあった。友達として良いなと思うことはあったが、愛するという意味での好きという気持ちになることはほとんどなかった。中学、高校、大学時代、会うたびに彼女が変わっている知り合いを見て、何とも言えない気持ちになっていた。

別にそれが良いとか悪いとか、そんなことが言いたい訳ではないけれど、“愛”とは何なのだろうかと考えたりもした。これは永遠に続いていく禅問答のようなものかもしれない。

学生時代、好きだと勇気を持って伝えてくれた人に対して、素っ気ない形で断ったりしていた。今思えば酷い話だ。謝罪したいくらい。こんな奴を少しでも好きだと思ってくれた人たちには感謝したい。

学生時代は恋人がいることが一種のステータスのような空気というか、雰囲気が存在していたように思う。自分はどうもその空気や雰囲気が受け入れられなかった。

誰かを“愛する”ということはそんな薄っぺらいものじゃないだろうと。“愛”とは何かもわかっていない子供だった自分が偉そうにそんなことを思っていた。

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To You, Only You


誰かを好きになるということがほとんどなかったこともあり、このままひとりで生きていくんだろうと思いながら日々を過ごしていた。

あの日からちょうど8年が経とうとしていた頃、あの日感じた誰かを“愛したい”という想いを抱いた相手に出逢うことができた。未来がどうであれ、それだけで感謝の気持ちで一杯だ。これから先も一緒にいたいと思っているけれど、それは一人で決められることではないから、未来はわからない。

それでも、ありがとう。

おそらく「恋」や「愛」といったものが自分には向いていないと思う。

でも、僕には君だけなんだと思う。

一途だとか、そんなことをいうつもりもない。

君だけなんだ。

他の誰かに“愛”を差し出すことはできないと思うし、

差し出すつもりもない。

おそらくこれが最後になる。

自分の心の奥の引き出しにも、そんな気持ちがしまってあったことが分かっただけで充分だ。


価値観


ここまで長々と筆を走らせてきたが、最も変わった価値観は“愛”に対するものだ。

筆を取ったものの、着地点を見失ってしまっている。

現在、世界が陥っている状況は厳しいものだと言わざるを得ない。

しかし、そんな日々の中から一つでも何かを得ることができればと思う。

失うばかりではやるせない。

自分の大切な人に想いを馳せてみたり、事態が収束した際に笑顔で会える日を思い描いてみたり、それで良いんだと思う。

もし、事態が収束して再び二人で会えた日には会えた喜びが溢れて、終始ニヤけてしまいそうだ。笑

始まりも終わりも、受け入れる覚悟はできている。

君は、その素敵な笑顔の裏に何かを閉じ込めているような気がしているけど、それも含めて抱きしめて、愛したいと思う。いつの日かお互いの抱えている不安や恐怖すらも交換しあえたいいなと思う。

君にはこれからも笑顔でいてほしいし、幸せでいてもらいたい。
そうあるべき人だと思っている。

君との未来があろうと、無かろうと、君と出逢えたことに感謝したい。

たとえ終わりがやってきたとしても、一つ言えることは短い間だったかもしれないけれど、僕は君を忘れない。君との日々を忘れないということ。君が僕にもたらしてくれたモノはあまりにも大きなモノだった。

いや、忘れたくても忘れられないな。

ウイルスが蔓延し、世界において多くの方が亡くなったり、感染者が増加している。君には元気でいて欲しいと強く思っている。笑顔でいて欲しいと。

こんな日々だからこそ、身近な人の大切さをいつも以上に感じられる。

コロナ離婚やコロナ破局のようなものがあるようだが、この時期に別れを決断するような人々は初めから愛していなかったのだと思う。もちろん、様々な事情によるものもあるだろうが。

こんな状況だからこそ、普段当たり前のように隣にいる人の尊さや大切さに気付くのだから。

“愛”とは何かに対する答えは未だに見つけられていないが、いつか見つけたい。見つかるかどうかは別にしても、答えを探したい。それが君とならこの上なく嬉しい。

こんな日々だからこそ、“愛”に想いを巡らす。

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