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【中島翔哉】 "生粋のサッカー小僧"がA代表に辿り着くまでの道のりを振り返る。「日本サッカーの未来」


 ブログのほうで日本サッカーの未来と題した記事を書いてから約8ヶ月。生粋のサッカー小僧は念願のA代表入りを果たした。このnoteでは、ブログの内容をベースにしながら、加筆を加えてお届けしたいと思います。

「日本サッカーの未来」第1回目は、各世代の代表にも名を連ね、一昨年のリオ五輪で10番を背負った、ポルティモネンセ(ポルトガル1部)所属の中島翔哉選手。翔哉は同い年。ヴェルディの出る杭を打たない育成の中で頭角を現し、各年代の日本代表に選出され、リオ五輪に出場、今年の3月に幼い頃からの夢であった日本代表入りを叶えた。3月の欧州遠征で日本の一縷の希望となる活躍を見せた。だが、彼の目指す場所はまだまだ遥か先だ。 

 

不遇をかこったFC東京時代


 ポルトガルへ渡る前に所属したFC東京では主に中盤の左サイドのポジションで起用されることが多かった。しかし、個人的にはサイドよりもトップ下で起用して欲しかった。こればかりは監督が決めることであるし、チームの戦術との兼ね合いもあるので、致し方ないことではあったが、翔哉の良さは、サイドではなく真ん中でこそ120%発揮されると思うからだ。

もちろん、フルで走りきれるスタミナがあること、相手を剥がせるドリブルからのシュートがあるため、サイドで使っていた篠田監督の気持ちも理解できなくはないし、チームの戦術や事情もあるため、一概に批判は出来なかった。しかし、一時期はJ3の試合が主戦場になっていた時期や、ベンチを温める日々、メンバー外になる試合もあり、不遇をかこった印象が残っている。

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