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若林正恭「ナナメの夕暮れ」感想

本の感想は書けるときは滝の如く言葉が流れてくるんだけれども、書けないときはほんとに頭で考えて書いてるのがバレバレなことしか書けない。

若林さんと一緒ね。


「ナナメの夕暮れ」

読んで心があったかくなったし若林さんが纏っているベールを一枚脱がせた上に中を覗かせてもらったようですごくいい気分で読了したんだけど、感想文が進まない現象が起きた。


多分、日向坂のファンの方がひょっとしたら読んでくれるかもしれないって思ったからだろうね。


読み手が求める期待値に達さないといけないって思うと自分の感想が消えちゃうんだよなあ。

わかっていても難しいんだこれが。


「相手の求める正解で生きていると自分がいなくなるぞ」


若林さんに言われる気がする。


誰かの愛が欲しくて、気に入られたくて承認されたくて。

求められている答えを探していたらそれこそ正解がわからなくなった昔の若林さん。

それは数年前の私でもあったし、

今でもたまに顔を覗かせる乙女心満載な私でもある。


あなたも誰かからの愛に飢えていた。

そしてその味を一度占めてしまったらもっと欲しいってなるわけだ。


人間は皆、生存本能的に生まれながらにして承認欲求を搭載していると私は思っている。


愛を満たすタンクを心に抱えていて、

その中の水の減りの速さは個人差。


減りが早い人ほど外側からの愛情に飢えるのかな、なんて考える。

若林さんは多分だけど減るスピードが早い人。


だから、外食するときはおしゃれさでも、有名店でも、味でも価格でもなく

愛のスパイスが入っているお店に行きたくなるんだよね。


そこで確かに芯に愛がこもっているお料理を食べて、お店の大将から他でもない自分に対して「最近どう?元気にやってるの?」って声をかけられた時に心があったまるし、無性にポロポロと泣きたくなる。これは悲しい感情じゃなくて。


ちょっとここで、私の愛したラーメン屋さんの話をしていいかい?

福岡の大学に通っている頃、一人でラーメン巡りをしている時に見つけたお店。


カウンター6席。メニューはラーメンと餃子とあと数品。


初めて行った時、薄いという意味ではなく本当の優しい味に衝撃を受けた。

帰り際に大将が「ありがとうございました。またお待ちしております。」

ってそれはそれは丁寧に言われて、私は一瞬で恋に落ちた。


それからおそらく100回以上は通ったのではなかろうか。

女の子が一人で昼夜問わずラーメンのカタ麺を頼み、一回替え玉をして帰る。


次第に住んでいる場所、大学生活、趣味、釣り、料理、将来の夢、恋愛、大将の人生観、、、

いろんな話をするようになった。


他の常連さんのおじさんと仲良くなって、一緒にYouTubeしようって誘われたこともあった。


そのお店が、2022年5月に閉店した。


大将がご高齢だったから。


寂しかった。私の心を抱きしめてくれるラーメンが食べられなくなるのが寂しかった。

ありがとうって、出会ってくれてありがとうって伝えたくて福岡に会いに行った。


私もタンクの水が減るスピードは早い方なのかもしれない。


そういう、人情とか人間臭さとか、そういうものが若林さんも好きなのよね。


チェーン店で決められた制服を着て、本心からではない笑顔を貼り付けて決められたセリフを吐かれるより、不器用でもいいからあなたの「ありがとう」が聞きたい。


出会う人の自意識とか自分語りに触れていたい。


誰かが自分に理想像を押し付けてくると「それは俺じゃない!!」って叫びたくなる。


37歳になって若林さんは等身大の自分でいることを決めたらしい。

理想を求めて今この瞬間に足をつけられていなかった自分に気がついたそうな。


私はそれってすごくかっこいいことだなって思うのです。

「自分に嘘をつく」

今の自分を認めるのが怖くて、誰かに批判されるのが怖くて自分を守るために嘘をつくことってあると思う。

それに気がついて、ある意味諦めて、肩の力をフッと抜く。

私にそれができているのか?と自分に問いかけても答えはノーだ。

私をジャッジする人たちの視線が気になって仕方ない。

近い存在になればなるほど嘘は強くなる。


テレビの若林さんを見ていても、ありのままの等身大でいるのが伝わってくる。

たまに日向坂メンバーのことを思いやってあえて意図的にする発言も見受けられるが、総じて自分を守るためのコメントはないように思える。


ただそこに地に足つけて立っている姿って見ている側もなぜか安心できるんだなあ。


そういえば以前あちこちオードリーで日向坂がゲストのとき、メンバーの一人がこう言ってた。


「オードリーさんはもうベテラン芸人さんなのに本人たちだけが認めてないんです。」


おそらくだけど感覚的に彼女たちはオードリーのどっしりとまでは言わずとも地に足つけてありのままでいる姿に、他のベテラン芸人さんと共通するところを感じたのではなかろうか。


自分の纏っているベールをめくる。


その先には弱いところもカッコ悪いところも、醜いところも兼ね備えた自分が待っているのかもしれない。

そんな自分知りたくもないし、それこそ自分が思い描くキラキラした理想の自分になりたいと思う。


でも、

若林さんのように自分の存在を受け入れることができるならば、安心して今を生きられるならば、

「恥ずかしい」と言い訳をして両手で押さえていたこの布をまずは一枚脱いでみようかしら、と思った。


最後に、愛のタンクの話をしたけど減るスピードが早い人は何も外部からだけでしかその容量を増やせないわけではないと思っている。

外部からじゃなくて自家発電できるものだ。

どこからともなくあったかい気持ちが湧いてくる。

それは覚えておこうと思う。

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