見出し画像

ゲーム:ルイージマンション(初代)の思い出

今ではすっかりアラサーのおじさんになった私が、このゲームに初めて触れたのは小学校低学年の頃である。
だいたいその頃、自我の片鱗を得ると同時にバスケとサッカーと野球とそれらの球技で遊ぶ人間達を毛嫌するようになり、「サッカーやろうぜ」「バスケやろぜ」の声に馴染めなかった私は、ひたすらに単独行動好きマンになる素養を養い続けていた。
そんな子供は放課後や土日をソロ活動に費やす時間が多くなる。
私のソロ活動は二つ掛け持ちしていた習い事、漫画、ゲームの3つ。

そんな子供が私であり、その頃に出会ったのがこのゲームだった。

当時は、「ゲームキューブ」という物理的な攻撃力と防御力に秀でた(取手がついていて振り回しやすく、やたら固くて角張り、ガラスの灰皿並みに人を殴りやすいため)筐体が任天堂によって世に顕現させられたばかり。
既に持っていたSEGAのドリームキャストだけでは満足しなかった小学生の私は、母親に強請ってこの青くて素敵なハードを買ってもらったのだが、それと同時に買ったソフトがこの「ルイージマンション」というゲームだ。

かなりやり込んだ。

と言っても小学生の時分で何時間費やしたのかは分からないし、最速クリアのような目的を持ってプレイしたわけではないから、よくあるトロフィーシステムのように客観的に讃えられるものも無い。
ただ何度もクリアした記憶が覚束ない過去の中にあるのでそう思っているだけだ。
個人的主観で言えばやりこんだ。そういうことだ。

やり込んだのは単純に頭の悪い小学一年生だったからだと思う。

今では子供騙しと言えるようなダンジョンに、子供だったので騙され、何度も挑戦し、そしてエンディングまで辿り着いた。
その喜びが忘れられなかったことと、私の小遣いで買えるソフトが少なかったことも相まって、よくよくプレイした。繰り返すたびに立ち回りを覚え、結果何度もクリアした。

そしてクリアする度に見た。ルイージの泣き笑い。

初代ルイージマンションをクリアしたことのある人なら分かると思うが、ルイージは最後に泣く。
兄貴を助けて泣く。

イカれたジジイたった一人を仲間にして、しかもそいつは遠くからごちゃごちゃ言って来るだけで直接助けてはくれない。
マンションは暗く、何があるか分からない。分からないどころか一般通過幽霊ゴーストの他に、ネームドおばけはいるしキングテレサはいるし何ならクッパ(仮)もいる。
どいつもこいつもルイージを見かけては、道に落ちた小銭を拾う感覚で襲いかかってくる。
やりきれんだろう。
だがルイージはやった。
あのビビリで、緑色で、腰抜けの弟は、居なくなった兄貴を探すためにたった一人で挑んだ。謎の掃除機片手にボロボロになりながら、ただ一度の泣き言も漏らさず、兄の名を呼びかけ、仄暗いマンションの中でひたすらオバケどもを吸い取っていった。
そして、いざ兄貴の居場所がわかったと思ったら、やっぱりボスが立ちはだかる。

立ちはだかるボスに対して、ルイージはちゃちな掃除機一本と、ありったけの勇気を武器に立ち向かうのだ。
そして勝つ。

戦いが終わったのなら、報われていいと思う。
ルイージはマリオと再会するのだ。再会しろ。再会した。
だが、やっと会えたと思ったら、マリオはとんでもない現れ方をした。
ジジイの作った機械が、100年前の洗濯機ばりにガタガタ揺れたかと思いきや、そいつの排気口みたいなところからドンと飛び出してきて、その鉄枠が首にハマってる。
鉄枠を首に嵌めたマリオは石畳の上に両足を投げ出して座り込み、ピヨピヨとした効果音を出しながらの、ギャグ漫画みたいな前後不覚だ。

バカみたいな格好。
余りにもバカらしい姿をしているので、だからルイージは笑った。
笑ったら涙が出た。おかしくて笑って、おかしいから泣いたのだ。
さっきまで恐ろしい非日常の戦いの中にいたのに、終わってみればマリオが、いつも通りのマリオがいる。
ルイージにはそれがなんだかおかしかったので、笑って笑って笑いながら泣いた。

抱きついたりはしない、言葉で表したりもしない。
日常でルイージはマリオにそんなことはしない。
マリオが帰ってきて、ルイージの世界は日常に戻った。
日常で、マリオが変な格好をしていたら笑う。今のマリオは変な格好をしている。だからルイージは笑った。笑いながら泣いた。

それだけだ。
それだけのシーンを私は何度も見た。

何故、何度もクリアしてエンディングを見たのか。
上で述べたような、環境や知性(笑)による理由だけではなかったはずだ。必ず、他に理由があった。
だが、年の経過は川の流れの如く当時の気持ちを手の届かない遠くへ運んでしまい、今となっては私も含めて誰もその理由を知らない。
そもそも、理由が言葉になっていたのかも分からない。
だが、今の私が当時を想像するならば、その時の私は、たとえ言葉になっておらずとも、幼心に、大事にすべきと思えるものをそこに見たからだと思う。

有り体に言えば子供ながらに感動したから。
この答えは多分、間違っていない。
何故なら今の私も、時折そのシーンを思い出しては感動しているからだ。

ありがとうルイージマンション(初代)
私の思い出







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?