クローゼットダイエット。

お気に入りの服しか持たない

暇を持て余した休日の午後。ベットに寝ころびながらインターネットの海を泳ぐわけでもなく、流されるままに浮かんでいた。ふと、1枚の画像とキャプションが目に留まる。ハッシュタグには「一軍の服だけで生きていく」とあった。

洋服をたくさん持つのではなく、一張羅に絞るこので、生活の質があがったとの内容(要約)を読み、雷に打たれたような衝撃が走った。

よし、わたしも服を手放してみよう。

むかしから決断⇒行動までのスピードに定評があった。はじめての横浜ひとり旅も、バイト先の大学生に一目惚れしたときも、ウン十万の脱毛サロンを契約したときも。論理より直感で生きてきた野生派のわたしは、次の瞬間にはベットから飛び起き、足元にあるクローゼットを全開にしていた。

ブランド物にはさらさら興味がない。その分、プチプラの服を集めるのが好きで、ストレス発散は専ら深夜のネットショッピング。少しでも気に入ったら、多少妥協してでも手に入れる。迷ったら色違いで。安く買えるのだから、流行り廃りは気にしない。片っ端からカートに突っ込み真夜中の勢いに任せてポチりにポチッた。高い買い物はしていないはずなのに、お金は溜まらない一方で、彼と暮らす1LDKはみるみるうちに私物で溢れていた。

引っ越し当初、ニトリで買った衣装ケースはすべてパンパン。クローゼットも通勤ラッシュの満員電車並みにぎゅうぎゅう。それでも、デート前になると着たい服がひとつも見つからなかった。あれこれと組み合わせを変えて、ひとりファッションショーを開催するも、虚しいくらいに全部ぜーんぶ似合わない。お出掛けの前から憂鬱な気分になる。そうしてある日気が付いた。イライラを解消するために買った服は、いざ着てみてもワクワクしないらしい。

これはパーソナルカラーとか、骨格がどうだとか、それ以前の問題だった。ストレスが原動の買い物は「可愛い服を手が手に入る嬉しさ」よりも目の前のモヤモヤを欲を満たす快楽で誤魔化す手段でしかないのだ。(もちろん、個人の見解だし、服に責任はない。)

スマホの画面上では飛びきりに可愛くって、欲しくて欲しくてたまらなかったのに、手に入った瞬間、なんだか色あせて見えた。愛着が沸かない分、大切にできなくて、着ることもなくタンスの肥やしになるのがパターン化。物が増えて部屋が散らかり、片付かないことにイライラする。みるみるうちに負の連鎖に飲み込まれていっあ。

そんな呪縛から解き放たれたくて、無我夢中で服を仕分けた結果、気がつくと夕飯の時間を遠にすぎていて、仕分けた服の重さは5キロ近くにまでなった。近々、近所に住む従妹に引き取ってもらう予定だ。

こうして勢いに任せて服を減らしたことで、良かったことが三つある。

まず、お出掛け前に悩まなくなった。
クローゼットには好きな服しか残っていない、いい意味で選択肢がない状態になったので、コーディネートに悩んでは出かける前からくたびれるということがなくなった。

もうひとつはカードの支払いが減ったこと。いままでは、電車に乗っていても、街中を歩いていても。道行く人の服がみんなかわいく見えたし、もっと言うと、自分が廃れて見えていた(感覚がバグっていたので)。似たものを探しては真夜中にポチるというルーティンが絶たれたので、支払い通知に白目を剥くことも、もうないだろう。

一張羅を長く大切に愛せるようにダイエットに前向きにもなった。
体型に合わせて服を入れ替えるのでなく、好きな服を可愛く着こなせる自分を維持していたい。

月並みな感想だけど、部屋が片付くとなんだか気持ちまでスッキリする。来週はシューズボックスを整理する予定だ。


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