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自らの道を切り拓くには?

前回は、私とジェイテクトグループのご縁として、ジェイテクトの前身企業である豊田工機や、現在のジェイテクトギヤシステムの前身である豊精密とのつながりについて紹介しました。
今回は、ジェイテクトのもう一つの前身企業である光洋精工とのつながりについても紹介したいと思います。


生産技術で歩を進めながら、設計にもチャレンジ

第1回の投稿でも触れましたが、私は設計部門を志しながらも、トヨタ自動車入社時は生産技術の部門に配属されました。配属当初こそ頭の中にドナドナが流れるほどの悲壮感を漂わせていましたが、前向きに仕事に取り組み、職場の先輩や他部署の人たちからも認められるようになり、強固なチームワークを築けるようになりました。

生技マンとして充実した毎日を送りながらも、それでも入社時に思いを馳せていた設計への憧れは色あせることなく、一度は設計業務を経験してみたいという思いも募るようになっていました。
そして入社6年目という時期に、当時の上司に設計の勉強をしてみたいとお願いし、1994年にドライブトレーン技術部に異動することになりました。

皆さんが一度は乗ったことのある、あのクルマの苦労話

ドライブトレーン技術部の設計マンとして担当した車両は、「クラウンコンフォート」でした。クラウンコンフォートと言えばタクシーや教習車などでお馴染のクルマなので、皆さんも一度は乗ったことがあるのではないでしょうか。
当時のトヨタは「コンフォート」というタクシー用車両を生産していたのですが、タクシーの運転手さんたちからデフの耐久性の弱さを指摘されていたのです。このコンフォートに替わるクルマとして開発されたのがクラウンコンフォートであり、このクルマは走行距離100万kmの耐久性能を目標に開発が進められました。

1995年に登場し、今も現役で走るクラウンコンフォート。ジェイテクト本社前にて

私は入社時から生産技術としてデフに携わりながらも、クラウンコンフォートの開発では、デフの耐久性を上げることに大変苦労しました。このデフには光洋精工の円すいころ軸受、テーパーローラーベアリングが搭載されており、光洋精工の実験解析の方々とも一緒になって、デフの耐久性が上がらない原因を究明する日々が続きました。何が原因なのか来る日も来る日も設計の目線で探ったのですが、思うように原因を突き止められずにいました。

設計マンの観点で搭載された部品を見るだけでなく、生技マンの観点で工場の中からも原因の追究を試みたある日、工場の床に黒い煤(すす)が落ちているのを発見します。この煤はアクスルシャフトの表面被膜が酸化して落下したものであり、この煤こそがベアリングに悪さをしている原因であると特定することができたのです。
「ああ!これだ!これだ!」とトヨタの仲間、光洋精工の仲間と一緒に涙を流して喜んだことを今でも鮮明に憶えています。

それから光洋精工は、特殊熱処理を施して耐摩耗性を上げたテーパーローラーベアリングを開発しました。このベアリングにより耐久性の高いデフが完成し、クラウンコンフォートは目標の耐久性能を実現。長く走り続けるタクシーが世に生まれたのです。

当時、光洋精工のエンジニアとしてクラウンコンフォート用の高耐久性テーパーローラーベアリングを開発した、滝本さん(左)と大島さん。お二人共まだまだ現役で活躍中。
手にしているのは当時開発したベアリング。本製品はその後も進化を遂げ、現在も多くのクルマに搭載されています。

自らの意志“will”が道を切り拓く

このお話の起点となった、上司への「設計部署に行きたい」という相談は、まさに自らの意志“will”の表示でした。これに応えて異動を実現してくれた当時の上司には今でも本当に感謝しています。

仕事をする上ではさまざまな問題が生じますが、「困った」「お手上げだ」と諦めていたら何も進みません。「解決するぞ」という強い意志を持ち、自身の能力や経験を最大限活かし、仲間と支え合いながらへこたれずに考え続けることで、道を切り拓くことができると私は信じています。

ジェイテクトグループの社員全員を「自ら考え行動できる人物」にしていくことは、ジェイテクトの社長である私の責務です。そしてその先には、会社の成長だけでなく、めぐりめぐって社員一人一人の成長と人生の幸福にもつながると考えています。

次回予告

これまでのご縁を大切にしながら、これからはジェイテクトの社長として、社員一人一人のwillを大切にしていきます。ジェイテクトの社員全員が活躍することで、会社と世の中を明るく元気にしていきたいと考えています。

次回は、私が大切にしている五つの言葉を紹介したいと思います。


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