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ジェイテクト社長の近藤です。noteはじめてみました

みなさんはじめまして、株式会社ジェイテクト取締役社長の近藤禎人(こんどう よしひと)です。この度、ジェイテクトの社長に就くことになり、ジェイテクトグループとはどんな会社か、近藤とはどんな人物かを知ってもらうために、noteのアカウントを開設いたしました。

月に2回程度のペースで更新できたらと考えていますので、これから末永くお付き合いいただけたら幸いです。


昭和最後の年、配属初日はドナドナの悲壮感?!

第1回の投稿ということで、まずは自己紹介をしたいと思います。

私は1963年(昭和38年)に生まれ、愛知県で幼少期を過ごし、高校卒業後に大阪の大学に進学しました。大学院を卒業し、1988年(昭和63年)、いわゆるバブル景気に沸くころにトヨタ自動車に入社しました。

私は理系だったので自動車メーカーの花形といわれる、設計部署を希望していました。しかしながら配属先は第1生技部という生産技術を担う部署でした。希望していない部署、何をするか分からない部署に配属されたことで、当時の私の頭の中では“ドナドナ”が流れていました。一体どこに連れていかれるのかといった悲壮感漂う配属初日のことは、今でも鮮明に憶えているものです。あの頃は精神的に未熟であったなと笑い話にできる良い思い出です。

モノづくり好きの人間として、生産技術の道を歩む

配属当時こそ頭の中でドナドナが流れたものですが、元来モノづくり好きであったこともあり、配属先である第1生技部で自分のやれることをやり切ろう、と気持ちを切り替え仕事に打ち込みました。自動車の駆動部品であるデファレンシャルギヤの生産技術に取り組み、少しずつ社会人として成長することができました。仕事を通じての成長や、社内の困りごとの解決を通して、生産技術の仕事の醍醐味が分かるようになり、仕事が楽しくなっていく中で、 “ドナドナの悲壮感”はあっという間になくなりました。

若手の頃に一度、入社当時希望していた設計の仕事にも3年ほど携わることができました。そのような機会を与えてくださった当時の上司には今も感謝していますし、そのときの濃いエピソードもいつかこのnoteで紹介したいと考えています。

設計に携わった経験も活かしながら、生産技術の道を歩み、北米への駐在を経験し、ハイブリッドシステムや電池、FCタンクなど現在の多様なモビリティの根幹となるシステムの生産技術に携わる中、2020年にモノづくり開発センターのセンター長になりました。

モノづくり開発センター、略してモノ開は、次世代電池の生産設備やギガキャストと呼ばれる鋳造技術の確立など新しい生産技術を生み出す組織ですが、新しい生産技術を生み出すこと自体を存在目的にはしていません。「これに困っている」という社内の困りごとの解決や、「こんなことができたらいいな」という期待に応え、喜んでいただくことを大きなゴールとした組織です。モノ開は、「Yes for All, by All!」を合言葉に、社会課題やニーズに対し”突き抜けた技とチームワーク”で チャレンジし続け、期待を超えるモノづくりを実現してきました。
そして2024年6月、「モノ開での経験を活かしてほしい」とのことでジェイテクトの社長に就任することになりました。

ジェイテクトの社長としての思い

ジェイテクトは、日本のモノづくりを黎明期から支えてきた大阪生まれのベアリングメーカーである光洋精工と、トヨタ自動車の工作機械部門が独立して誕生した豊田工機、この2社が2006年に合併して生まれた会社です。祖業であるベアリングと工作機械に加え、自動車の「曲がる」を担うステアリングシステムのトップサプライヤーです。

今回ご縁あって私はジェイテクトの社長になりました。前任の佐藤さんが残されたものや私に託されたことを継承しながら、私がこれまでトヨタ自動車やモノ開で培ってきた経験や実践してきたことを活かしていきたいと思います。
私はジェイテクトグループと多くの縁があります。これまでのつながりに恩返しができるように、そしてジェイテクトグループがさらに進化を遂げ、成長・発展できるように力を尽くしてまいります。

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