見出し画像

船底に付着する「フジツボ」から教えられた海外の需要

今日は、「細かすぎて誰にも知られていない技術が、海外のある問題を解決する可能性を持つ」という話題です。

◆毎年、5月27日は、自宅そばの博多湾にたたずんで、100年以上も前の歴史的な日に思いを馳せることにしています。

ここからわずか100kmほどの沖合にある対馬海峡で、ロシアのバルチック艦隊わが国の連合艦隊歴史的な日本海海戦を戦い、見事勝利を収めた記念日だからです。

「坂の上の雲」(司馬遼太郎)には、ロジェストヴェンスキー率いる大艦隊が日本目指して迫り来る当時の国家的な緊張感、恐怖、一体感が、日本各地の様々な人たちの姿を通して描かれ、私も高校時代、手に汗握る思いで読みました。

「ロシア軍があと一日でも遅く来てくれれば、もっと訓練できるのに」

それが軍事力、兵器、人口、経済力など総合的な国力で劣勢にあった日本側の切実な願いでした。

旗艦三笠連合艦隊の指揮を執った東郷平八郎大将は、内外の情報筋からの知らせを分析して、バルチック艦隊の襲来を「明治38年3月頃」と予測していました。

画像1

ところが、この予測はなんと2ヶ月も遅れ、5月下旬となってしまいました。

遅れの原因は、遠路の大航海で船足が鈍り、燃費(当時は石炭)が悪くなったバルチック艦隊が、予定外のサイゴン港(現ホーチミン港)に立ち寄り、ある作業に多大な時間を費やしたからです。




それは、船底に付着する「フジツボ」をはぎ取る重労働でした。

子供の頃、海辺で誰もが見たことがあるフジツボは、一つ一つは豆粒ほど小さな生き物です。

画像2

航行を止めた船はフジツボの格好の住処で、止まった船はフジツボの「人気海上物件」と化し、最後はその重さに耐えきれず、海底に沈んでいく運命です。

貨物を運ぶだけの平和な航海なら、納期が遅くなるだけで済みますが、「戦うこと」が任務の軍艦がこうした事態に直面すると、戦争の成果に悪影響を及ぼします。

それまで主に陸戦で周辺国を圧倒してきたロシア軍は、フジツボの被害を想定せず、したがって日本軍と対面する前に海底から小さな生き物
「静かな、しかし重い集中襲撃」
を受け、艦隊の進行計画を妨げられるほどの損害を受けてしまったのでした。

これは、「襲い掛かる側」として、日本に向けて大航海を行ったロシア側の誤算で、わが国は「明治のミニ神風」を海底で吹かせてくれたフジツボに感謝したいところです。




◆さて、日露戦争から116年がたち、世界の海を行き交う船舶の数が当時の何千倍にも増えた現在も、このフジツボは世界各地の海に生息しています。

数年前、マレーシアの会社から弊社にユニークな相談が寄せられました。

石油会社の船舶設備の調達を行う会社に勤める知人が、

「フジツボ(Barnacles)を安全に除去する塗料か技術が、日本にありませんか?」

と問い合わせてきたのでした。

画像3

(写真:Wikipediaより)

マレーシア、ブルネイ、インドネシア世界的な原油天然ガスの産地で、この広大な海域にはMOF(Marginal Oil Field:限界油田)と呼ばれる小型油田が多数存在し、多くの専用船掘削、精製、輸送のために行き交っています。

小型船舶なら、陸に揚げて船ごとひっくり返し、船底を掃除すればよく、中型船ならダイバーが潜って、船底のフジツボをこそぎ取ればよいですが、大型船だと、そう簡単にはいきません。

環境規制がなかった昔なら、いくらかの有害物質を含む薬剤を使用して、フジツボを物理的に死滅、消滅させれば済んだかもしれません。

しかし、環境意識が高まった現代は、海洋汚染につながる物質を使うことはできません

そこで、

「島国で海との付き合いに慣れており、優れた技術を持つ日本なら、何か解決策を持っているかもしれない」

と思った知人が、私に問い合わせてきたのでした。

私にとって、フジツボは、趣味の海釣りに行った時に博多湾の防波堤で見かける「ただの景色の一部」で、正直、日露戦争での話題以上の思い入れはない生物でした。

そんなところに、突然、昔2年間住んで働いたマレーシアから、思いがけない不思議な相談を受けて、興味が出てきたので、調べてみることにしました。




◆機能性塗料や表面処理技術に詳しい知人に尋ねると、なんと、山陰地方の大学に、
「フジツボ研究一筋20年」
という教授がおられることが分かりました。

教授の研究で、フジツボが寄り付きにくい臭いを安全な成分で作ること、それを船底塗料に混合すること、海水に長時間触れても劣化を緩やかにすることに成功したとのことでした。

画像4

「すごい技術もあるものだ」と感動した半面、私は、このような目立たない問題に着目し、長年、地道な研究を精力的に続けてきた研究者の姿勢に感動を覚えました。

フジツボという「生き物」だけを研究するなら、それは生物学の範囲で済むのかもしれません。

しかし、ここに塗料、船舶、表面特性、塗装対象の材質・・・といった要素が出てくると、材料工学、金属処理、有機化学、船舶工学、環境アセスメントといった多種多様な事柄を総合的に研究しなければならず、たった一滴「理想の機能性塗料」が完成するまでに、一体どれだけの試行錯誤があったのかを思わずにはいられませんでした。

その後、商品化や量産化の話題になると、多くの日本企業が絡んできて色々とややこしくなり、残念ながら、この商談自体は流れてしまいました。




本件が成立すれば輸入者になることを申し出てくれていたマレーシアゼネコンは、私が熱心に調べ、迅速に対応したことを評価してくれ、次は、

「港湾のブイに付着する海鳥のフンが流れ落ちる塗料を探してくれ」

と聞かれ、私は塗料という製品が持つ多様な表面処理機能に興味を持つようになりました。

フンを除去するこの塗料も、理想的な特性を備えた製品は二、三個見つかったのですが、結局、取引条件が合わずに流れ、貿易とは実に難しいものだと感じました。

しかし、次の断熱塗料の輸出には成功し、そこでプライマー(下塗り剤)や樹脂、有機溶剤の知識も得て、超親水超撥水の原理も理解し、現在は全国34都道府県に広がった「スマホコーティングSAVER」の創業にもつながりました。

SAVERが創業当初から「地球環境保護」を理念の一つにしているのも、フジツボ研究から生まれた塗料を知って、生き物と海に対する研究者の姿勢に共感したことが一つの理由です。




◆また、フジツボ防止塗料から私が得たもう一つの
「ビジネスチャンスを生み出す発想の切り口」
は、「界面」という視点です。

界面とは、性状を異にする二つの物質が接触する物理的な接点で、界面を持つ物の代表は水と油が併存するドレッシング化粧品です。

そのままでは混ざり合わない界と界が接する面、つまり
「インターフェース(接触面)」
に適切な処理を加え、双方が理想的に混合し、そして混合結果が悪影響をもたらさないようにする技術、それが界面処理活性化の技術でした。

界面は貿易の世界にもあり、それは「言語」、「取引条件」、「商談」など、売り手と買い手が出会い、交渉するインターフェース的な媒体、条件、行為などです。

パソコンならさしずめ、機械と人間の会話を成立させるキーボード、モニター、ソフトウェア、アプリなどが「界面処理ツール」です。

「そっか、自分の仕事は、日本企業と海外のお客様のインターフェースを整備し、お互いに気持ちよく商売できる環境とツールを整えサポートすることだったんだ」

フジツボ、塗料、研究者が私に与えてくれた貴重なレッスンは、今も私の仕事を支えてくれています。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?