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アメリカでプレーしたフットボーラーが、フィールド外の夢をアトラエで見つけるまで。

1. はじめに

こんにちは、アトラエ23卒内定者の竹田です。現在はアメリカ(アイダホ州)の大学でジャガイモ畑に囲まれながら司法の勉強をしています。このnoteを書いている5月下旬、寒波の影響でアイダホの朝晩は5℃もありません。なのに古いアパートに住んでいるせいで部屋は冷房しかつきません。申し訳程度に動く小さなヒーターの前で、背中を震わせながらキーボードを打っています。

本noteでは、主に私のアメリカでの学生生活(=アメフト生活)とアトラエの入社に至る経緯について書きました。高校卒業後アメフトの為に渡米し、就職活動中に何を考えていたのか。今年の4月にアトラエに内定を頂いたばかりの身ではありますが、皆さんの就活で少しでも参考になれば嬉しいです。

2. 楕円球と僕の人生

・NFLに憧れた幼少期

僕の両親はTouchdownというアメリカンフットボール専門誌の会社で出会い、結婚した。実家には野球ボールやバスケットボールよりもアメフトボールの方が多かったし、親と観るテレビと言えばNFL(アメフト界で世界最高峰のプロリーグ)の試合だった。

僕の記憶が正しければ人生で初めて貰った誕生日プレゼントはNFL選手のレプリカユニフォームだった。そんなアメフト中心な家庭環境のお陰で、運動神経が悪い割に小さな頃からスポーツが大好きだった。水泳や空手を経て小学5年生からフットボールを始めた。ただただ、フットボールが楽しかった。始めた時から「いつかアメリカでプレーしたいなぁ」とぼんやり考えていた。

中学三年時

・アメリカに来た理由

僕が中学3年生の頃、とある人の講演がきっかけで「アメリカの大学1部リーグ=NCAA1部でプレーする」事が人生の目標になった。高校受験が終わった直後の3月、全国の高校/大学のアメフト部員が集まる合同合宿に参加していた。その合宿にゲストスピーカーとして登壇した方が日本人選手でもアメリカでプレーするチャンスがある事を教えてくれた。

それまで全く考えたことのない選択肢だったし、毎週末5万人の観客に埋め尽くされたスタジアムでプレーする事を想像したらワクワクが止まらなかった。全米で高校生のアメフト選手は120万人近く居るが、大学生の選手数は6万人程度。NCAA 1部に所属する学校の選手は1万人ほどだ。一概に難易度を他の競技と比べる事は出来ないが、日本の高校野球からプロ野球(NPB)に所属する選手は150人に1人と言われている。

高校三年時

中学3年当時、目標から逆算して決めたプランはこうだ。日本の高校を出たらアメリカの短期大学(ジュニアカレッジ/コミュニティカレッジ)でプレーし、4年制大学から推薦を貰って編入する。アメリカの大学1部リーグが目標になった理由は大きく分けて2つ。①アメリカ人しか活躍できないと言われる僕のポジション(QB)の常識を覆したかった。②競争社会を生き抜く経験を通じて、自分の劣等感を払拭したかった。

①の理由はかなり昔から意識していて「日本人だから」とか「アメリカ人だから」の一言でレベルの差を説明してしまう態度に疑問があった。「そもそも遺伝子レベルの要素が実力差に繋がるほど突き詰めてきた人がどれだけいるの?」と。日本のアメフトは技術や身体作り、戦術理解だってこれからスタンダードを上げていく段階なのに、答えにコミットする気のない大人が知った様な顔で誰でも言えるコメント投げてくるなよと。大した実力もない平均的な選手だったが、一丁前に悩んでいた。

②の理由はアメリカの短大に入学してから気付いた事だった。僕は小さい頃から空手やフットボールを習っていた中で1番になった経験がない事にコンプレックスを感じていた。1番になれないのは才能がないからではなく、自分がダメな人間で、必要な練習を選び取る知性や耐え抜く根性を持ち合わせていないからだと思っていた。これは半分正しく、半分間違っているが、短大に入ってからこの考え方が拗れた。

練習で上手くいかない、強くなれないのはしょうもない意気地なしな自分のせい。だからこそ難しい目標を達成する事=NCAA1部の大学に行く事で「人として過不足のなさ」を証明しなければいけない。それだけが今後の人生を胸張って生きる為の必要条件だと勘違いした。

・情けなさに押し潰された短大時代

短大に入学してからは見積り以上に何も上手くいかなかった。初めて経験した人種差別や部内の人間関係に過度に悩み、防げたはずの怪我も繰り返した。思い出す度に内臓が痛む様な短大の2年間、最もしんどかったのは同じポジションの1人のライバルとの人間関係に苦しんだ時期だった。

とにかく本当に仲が悪かった。彼はハワイの強豪校出身で背が高く、自分に自信のあるタイプの選手。僕とは見た目も中身も対極の人間だった。彼とはポジション内で順列を争っていて、事あるごとに僕の人種を馬鹿にしてきた。競技力で黙らせれば良いと自分に言い聞かせながらも、煮えたぎる想いがあった。こいつだけは許せねえと。

そんなある日の練習、試合形式のメニューをしている時だった。いつもうるさい彼の調子が悪い。「俺、入って良いですか?」とコーチに聞き、了承を得た上で彼の出番を奪った。いつも馬鹿にしている日本人に出番を奪われた事で彼の機嫌は一気に悪くなった。僕がサイドラインに戻った時、いつも以上に長いこと口汚く罵ってきた。僕も黙っていられず、アメリカ生活で初めて掴み合いになった。

人種差別的な発言やプライドを傷つけられる言動があったとは言え、僕はその辺りの時期から気持ちの整理をつけられないまま練習で集中力を欠く様になった。自分でも自分が嫌いになっていく。なぜトレーニングのラスト1回を踏ん張れなかったのか?なぜ失敗した後すぐに顔を上げられなかったのか?なぜ順番を割り込んででも練習中にアピールしなかったのか?全力を出し切れなかった時の”自分の惨めさ”は時間が経っても消えない。

短大時代のロッカー

3. 就活中に考えていたこと

・アトラエと出会う前の就活

時間は流れ、いよいよ就活にも取り組まなければならなくなった。当時の僕は「自分の強み」や「ガクチカ」と呼ばれるようなエピソードトークで競技の話をする事に抵抗があった。学生時代をどこまで掘ろうがアメフト以外に話せるテーマは僕にないのだが、その全ての最重要局面で負けてきたからだ。

平たく言えば全く自分に自信がない。こっちは強みなんか霞んで見えるくらい、情けなくて弱虫な自分の方が大きく見えてますよと。アメフトの神様ごめんなさい、と思いながら自分の強みについて話していた。付け加えるならば、自分の特性を構造的に説明する為のツールとして、僕が長いこと人間性を捧げてきた競技生活を使いたくなかった。

・アトラエの選考

そんな中、飾らずそのままの自分で面接が進んだのがアトラエだった。キッカケはエージェントさんからの紹介だった。一通り企業研究をした後、どうやら選考が少し特殊で面接テクニック等が通じない会社らしい、という事が分かった。

僕の競技人生で何が決断に影響したのか、何が価値観を作ったのか、どんな思考回路なのか…本当に事細かく話した。自分の能力をアピールする為の話じゃなく、僕の人間性を曝け出す面接だった。かなり踏み込んだ質問をされたし、あらかじめ答えを用意出来ない質問ばかりが飛んできた。

オールスター戦で藤川球児に全球ストレートを宣告されたカブレラになった気分だ。いや、川尻達也にノーガードの打ち合いを求められた魔裟斗の気分だろうか。とにかく自分を全て出して、アトラエにどう評価されたとしても後悔のない選考になると確信した。

・入社の決め手

選考終盤になり、この会社で働く覚悟が決まりつつあった。最も大きな要因はアトラエが掲げるビジョンやバリューを深く内面化した働き方にある。もちろん企業分析をする中でサービスの資料を読んだり、自分でYentaを始めてみたりもした。それ以上に、自分が「この環境=このチームで活躍出来るか?」という視点で最も参考にしていたのは社員の方々のメンバーブログとnoteだった。特に新垣さんのロゴリニューアルに関するnoteと川本さんのアトラエスタンダード刷新に関するインタビュー記事は強く印象に残った。

アトラエらしさとは何か?自分が当事者として取り組む意志は揺らいでいないか?「Atrae is Me.」を体現する為に自分は何が出来るか?一つ一つの失敗談と成功談から、アトラエの精神を自分に問いながらそれぞれの人生に向き合う姿勢が伝わってきた。その姿勢と僕が目指す社会人像=”理想に向かって自分に出来る事を探し続ける事”と重なった。

僕が渡米して1年が経った頃、日本のアメフト界で大きな事件が起きた。日本では各メディアで連日報道されたと聞いている。そして2年が経った頃、短大で最も仲の良かったチームメイトが銃撃事件に巻き込まれて命を落とした。彼の転校先のシカゴで亡くなったと、他のチームメイトからの連絡で知った。

これは日本スポーツの勝利至上主義の世界では、仕方がない事件なのだろうか?銃社会のアメリカに住んでいたら、仕方のない事件なのだろうか?人生選択がほんの少し変わっていれば、どちらも自分に起き得た事だ。これまでの人生で最も激しく自分と社会課題の繋がりを感じた。

人にも環境にも恵まれて生きてきた自分は、その分を少しでも社会に還元しなければいけない。小さな事しか出来ないかもしれないけれど、変わるべき事、誰かが挑まないと変わらない事に積極的にチャレンジしたいと思った。もしかしたらその先にある評価が「世界中の人を魅了する」というアトラエのミッションステートメントに読み替えられるのではないかと思い、入社を決意した。

4. 就活生の皆さんへ

・必要なのは覚悟

一生懸命何かに取り組んできた経験があるからこそ、自信を失くしてしまった人も居ると思います。ですが、たった1つのフィールドで出た結果によって自分のポテンシャルを信じられなくなってしまうのはとても勿体無い事です。NBAのレジェンドであるアレン・アイバーソンが、自身の開催するオールスター戦に出場した高校生に向けてこんな言葉をかけていました。

「バスケットボール選手ならその全員がNBAに行きたい。俺に他の選択肢はない、NBAだけがゴールだって。でも、お前達には神様がくれたコート外の才能が沢山ある。そしてその中でも最高の才能は”頭(ココ)”に入ってる。困難な状況を打ち破る方法を、考えて見つけ出す力だ。」

基礎が出来る様になるまで夜中に一人で練習してきた事、何か良い方法はないかと発想の転換をしてみた事、もがいた経験は必ず人生のどこかで活きると信じています。そう考えられるようになったきっかけが、僕にとってはアトラエの面接でした。皆さんの就職活動も後悔のないものになるよう、心から祈っています。

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