マスクは買えなかったけど、素敵な記憶を拾った夜
新型肺炎感染数が毎日増えていく。
誰かを疑ったり、妬んだりする土壌が育ちそうな空気を感じてしまう。
不自然に空いたドラックストアのマスク売り場を眺めながら、僕はさっきまで田園都市線で読んでいた村上春樹の短編小説の題名をぼんやり思い出していた。
「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」
とても長いタイトルのとても短い物語だ。最初に読んだのは1983年、20歳だった。なぜ今日読もうと思ったんだろう?その時ランダム再生されたiphoneから「少年ナイフ」が流れてきた。元祖パンク姉ちゃんであり全米でカルト的人気を得た3人組バンドの音が僕の記憶に信号を送ったのかもしれない。少年ナイフのシンプルで切な激しい曲を聴きながら30数年前のライブハウスの情景が蘇った。
吉祥寺の曼荼羅・・・いやバウスシアターだったか?
とにかくシンプルで切な激しい曲が奏でられていた。
僕は壁際でビールを飲みながら見ていた。
大学を辞めて自分を証明するものを何一つ持たない時だった。
あえて一人で居た。友達とも会わず、恋人とも別れた。
悲しいほどに毎日が自由で孤独で恐ろしかった。
そんな20歳だった。
いつのまにか僕のすぐ隣に女の子が立っていた。
短く刈り込んだ髪を赤く染めツンツンに立たせていた。
少し大きい革ジャンをまとってコーラの入った紙コップを持ちステージを見つめていた。
そこにはすべてがあった。
僕の求めるものが、すべてそこにあったんだ。
光が煌めき、大音量でビートが叩きつけられる。
みんな「ここ」よりも遠くへジャンプして、
今じゃない「いつか」を手に入れられた気になってる。
そして僕の隣で100%の彼女がそれらすべてを見つめている。
たった1度しか会ったことのない、話したこともない女の子を、マスクの買えないドラックストアで不意に思い出すなんて。
30年余の時間が流れ僕はもう一人ではない。
生活というウスノロとすっかり仲良く暮らしている。
あらゆるものが通り過ぎた気になることが多くなってきた。
白髪と老眼はスピード違反な加速をしている。
それでもロックだけは毎日聞いている。13歳からそれだけは変わらない。
本当に毎日・・・44年聞き続けている。
記憶力と忘却力のバランスは自分の意思で決めることはできない。
何を覚え、何を忘れるのかを。
一つだけ確かなのは
今でも彼女は、100%の彼女だった。
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