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11/5(月)社会不適合者と営業

今朝は危なかった。
「午前中に起きる」という、現在僕が自分自身に課している基本ルールを破ってしまう所だったのだ。
 昨夜は日記を書いた後スーパーに行き、米5kg・卵・ふりかけ・鮭フレークそして半額になった弁当やパンを手に入れ、久しぶりに豪勢な食事をした。
食事のあとはツイキャスで配信をする予定だったのだけれど、予想以上の満腹感に襲われ苦しくなってしまったので、中止してコタツで凛ちゃんとひたすらゴロゴロ(ダブルミーニング)してしまった。

0時前には布団に入った。凛ちゃんをいつものように僕の顔の横に誘導したまでは良かったのだが、最近には珍しくなかなか寝付けなかった。
おそらく予定していた配信をしなかったことで不完全燃焼だったのだと思う。これなら無理してでも配信をしていればよかった。そんなことを思いながら最後に携帯を見た時は4時を回っていた。

そんなわけで今朝はギリギリ午前中の11時半に起きてしまった。
寝坊を取り繕うように洗い物を片付けたり、なんとなくパソコン周りを整理したりしているうちに昼を大きく過ぎてしまったので、今度は慌てて米を炊き始めた。
 約半年ぶりになる家での炊飯だった。久しぶりだったせいか米を袋から米びつに移したり米を研いだりする作業も全く苦にならなかった。炊飯器が古いせいか早炊きにすると底の方が焦げてしまうので、3合の米を45分かけて通常モードで炊飯してもらった。
そうして炊いた半年ぶりのご飯で朝・昼食を済ませ、その後はずっとパソコンの前で過ごした。記事にしたいテーマがいくつも見つかり、それを早く文章化したいのだけれど筆が追い付かない。加えて、僕が書きたいテーマの多くはすでに色んな人が研究・言及しているものがほとんどなので、「一生懸命文章化してみたはいいけど、この人のブログ/ツイートとほとんど同じ内容じゃん」という悲しい結果に終わることもある。

そんな中で今日書きたいなと思ったのは、ネットで文章を書くということと、それを多くの人に見つけてもらうことの難しさについてだ。

文章を書いてネット上に公開するということは、TwitterやYouTubeができるずっとずっと前、インターネット黎明期からされてきたことだ。今も膨大な数の人々が日々文章を書き、アップロードし、そしてその中で人気のあるブログはネットメディアに取り上げられたり、書籍化されたりしてきた。
 そして今、僕もnoteに日記を書き始めて「ネットで文章を書いている人」の一人になったわけだけれど、いつも考えるのは僕にとってこの活動の目標はなんだろう?ということだ。
 僕は、自分がひきこもりになってしまって、そこから抜け出す、もしくはひきこもったままでも何とか生活していくことを今の目標にしているけれど、それはあくまで僕の人生の(とりあえずの)目標であって、「文章を書く」ことにおける目標とはあまり関係が無い。

多くのブロガー(文章を書いてネット上に公開する人たち)は「多くの人に読んでもらうこと」を目標にしている人が多いと思う。
 できるだけ多くの人に見てもらって、多くの反応をもらいたいというのは創作活動をしている人にとっては当然の欲求だし、僕もそう思っている。
 しかし、今やとんでもない数のブロガー達が様々なプラットフォームで日々文章を書いている中で、果たして知らない人が僕の文章にたどり着く可能性ってどれくらいなんだろう?という疑問も持ってしまう。
 たとえ僕がどんな素晴らしい文章を書けたとしても、それを見つけてもらえなければ誰にも読まれないし、読まれなければその文章が素晴らしいものだったのかどうかという評価も成り立たないのではないか?
 つまり「創作物そのものに価値があること」と「それをできるだけ多くの人の目に触れさせること」を両立させないと、自分が書いた文章が果たして「よかった」のかも客観的には分からないままになってしまう。
 noteでは投稿した記事ごとにPV(閲覧回数)とスキ!の数を見ることができる。幸い僕にもフォローして文章を読んでくれる人がけっこういて、そのおかげで文章を書くモチベーションを保てている。しかし、せっかくならもっと多くの人に読んでもらって、反応をもらって、それによってもっといい文章を書けるようになりたいな、という気持ちもある。そして、そのために何をしなければならないかも分かっている。

自分の文章をたくさんの人に読んでもらうためにやらなければならないこと、それは(自分でもぴったりな表現だと思うが)「営業」だ。
 もちろん、今でも僕は日記にタグをつけたり、Twitterと連携させて記事の投稿を知らせたりはしている。しかし、たくさんのフォロワーや読者を抱えている人たちはさらに一歩踏み込んだアプローチをしているようだ。
 例えば、Twitterで「あなたのブログを紹介します!」と謳うアカウントにリプライを送って他の人に自分の記事を紹介してもらったり、いわゆる「インフルエンサー」と呼ばれる人たちと繋がってそれに関連するような記事を書いたり、その方法は様々だ。
 色々見聞きしていて分かったのだけれど、これは単なる「宣伝」とも少し違う。どちらかというと「セルフプロデュース」に近いことなのだろう。

そこで僕が考えるのは、「自分はどこまでそれをやれる/やるべきだろうか?」ということだ。
例えば、自分の読者を増やすために、正直言ってそこまで魅力を感じていないブロガーさんと繋がったりすることができるか?
自分の記事を拡散してくれたブロガーさんのために、本来書くつもりが無かったテーマについて記事を書けるか?
そんなことを考えると、つい二の足を踏んでしまう。
そもそも、自分の日記を「よろしくお願いします!」とツイートすることすらなんだか面映ゆい僕にとっては、この作戦はかなりハードルの高いことだ。そして、以前の日記でも書いたように僕は「人付き合い」が苦手だし、「付き合い」で何かをするというものが苦手だ。それはネット上でもあまり変わらない。いいな、と思った記事を読んでもでもスキを残すのがせいぜいで、コメントをしたりすることは滅多にできない。

「積極的に自分(のコンテンツ)を売り込むこと」

「積極的に他者と交流し、その付き合いを維持すること」

よく考えれば、これはネット上だけではなく現実社会で成功するための方法でもあるし、イコール僕が苦手なことでもあった。なんということだ。
一昔前までは「ネット社会と現実世界は別物」という言葉をよく聞いたものだが、それは一部の詳しい人だけがネットに繋がっていた時代の話だ。
 国のほとんどの人がネットにアクセスできるようになった2018年では、どうやら成功する方法も現実世界とあまり変わらなくなったようだ。
改めて自分の社会不適合っぷりに陰鬱としてしまいそうだが、言っていても仕方がないことでもあるので、話を進めることにする。


自分の文章を読んでくれる人を増やしたいけれど、「営業」は苦手だ。

そんな甘えた願望を持ってしまった僕だが、どうやら今の僕がすべきなのは結局のところ地道に書いていくことしか無いのかもしれない。今読んでくれている人たちを大事にして、あくまで自分なりにだが、読みやすくて引き込まれるような文章を模索していくしかないようだ。

結局根性論のような結論になってしまったが、明日からは少しでも上達するために文章の書き方や構成について少しずつ勉強していこうと思う。
あとは、僕のように社会不適合なのにうまくいっている人がきっといるはずなので、そんな人が書いた文章や活動の仕方を学べればいいなと思っている。
そうしてもっと自信をつければ、いつか自分の日記を「営業」で広めていくことが積極的にできるようになるのかも知れない。

こんな生活なのでサポートして頂けると少額でもとても大きな助けになります。もしこのノートを気に入っていただけたら、ぜひよろしくお願いします。羊肉