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1試合90分しっかり見ることは難しい?

子供が所属しているチームは他のチーム同様、相当な練習量や試合数をこなしていると感じています。自分たちより力のあるチームや強豪チームとの対戦経験も多いと思うし、大敗することが大半だけど稀に0-1で惜敗という結果で終わることもある。なのに、次の日は明らかに勝てそうな相手に勝てないみたいなことが多々あって「不安定だなあ」と思ったり、せっかくの練習→試合→練習が螺旋階段状に積み上がっておらず「あれ?またゼロベースかしら…?」と思う日もあったり、なんだか、もったいないなあと悶々とすることが多くあります。

良し悪しではなく(良くはないのだろうけど)そもそも「なぜこうなってしまうのか?」と考えた時に、要因の1つとして「プロの試合をどれだけしっかりと観ているか?」があるのではと。「みんなプロの試合ってちゃんと観てるのかな?」という疑問が湧いてきました。

きっかけは

良い文章を読んだことのない者が決して良い文章を書けないように
良いサッカーをじっくり見たことのない選手が良いサッカーを実行できるとは思えないんだ

フットボールネーション7巻より

そして、アオアシで阿久津が葦人に

テメエがネットでサッカー観る時、得点シーンだけダイジェストで観て終わりとか言いやがったら、それじゃアイデアが増えねえって言っただけだ!試合は必ず通して観ろってのはそういう意味だボケ!

アオアシ21巻より

このシーンを見た時。

思わず「わかりますっ!」と唸ってしまいました。
そして、仕事でも同じなんだよなあとも。

仕事柄、企画作業が多いのですが、まずプランナーの頭の中に「大量のインプットがあること」が大前提としてあるかと思います。特に大量に企画を出すことが求められる場合、インプットやストックの量が効いてくる。

点の企画(言い方が難しい)を求められる時は、他の成功事例やTIPS的な情報から根底のエッセンスを抽出し、横展開したり掛け合わせて企画を出すことが出来るのですが、骨太なストーリーを描くことが求められるような企画(言い方が難しい)の場合は、他の成功事例やTIPSからのエッセンス抽出から横展開や、掛け合わせだけでは難しく、古典的、学術的な文献など「読むことに知力と体力と根性が必要」な情報もインプットして、頭の中で編集していく必要が出てくると思っています。

プロの選手がよく言う「今はネットで良いプレイの映像がたくさん観れるから羨ましい。たくさん見て真似た方がイイ。」このメッセージを受けて子供たちが思い浮かべる「良いプレイ映像」は、点のプレイ、TIPS的な映像をイメージしている気がしないでもない。観ることに体力と知力と根性が要らないため、この手の映像ばかりインプットすることになりがちなのでは…?対して90分の試合映像をしっかりと観ることは、古典的、学術的な文献を読了することに近く、意識して取り組まないと身につかない技術なのかもなと。出来る子が少ないという仮説が正しいのであれば、出来るようになれば、さらにレベルアップするチャンスなのかも…?

とっかかりとして、この試合はすごいお勧め。
もちろんハイライトではなく!


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