見出し画像

中村憲剛×村井満が日本サッカーの未来を語る!ヨコハマ・フットボール映画祭トークショーレポート

ヨコハマ・フットボール映画祭2022では、川崎フロンターレと中村憲剛が地域との繋がりの中で成長してきた18年間を描いたONE FOUR KENGO THE MOVIE~憲剛とフロンターレ 偶然を必然に変えた、18年の物語~(以下:ONE FOUR KENGO THE MOVIE)』の上映後に、現在は川崎フロンターレのFRO(Frontale Relations Organizer)を務める中村憲剛氏と2022年3月まで第5代Jリーグチェアマンを務めた村井満氏のトークショーを開催。かつての思い出や、お二人の新たな挑戦が語られました。

「たくさんの元気、勇気、夢を与えられる存在であることを体感した」(中村憲剛)

―まずは、ご来場の皆様に一言お願いします。

 村井:Jリーグのチェアマンをしておりました、村井と申します。大変ご無沙汰しております。『ONE FOUR KENGO THE MOVIE』は、何回観ても本当にいい映画だなと思っています。今日は宜しくお願い致します。

中村:こんにちは、中村憲剛です。本当にお忙しい中、作品をご覧いただきありがとうございました。短い時間ですが、村井さんとのトークを、最後まで楽しんでいってください。

村井:地域密着を目標にスタートしたJリーグは、ついに30周年を迎えましたが、憲剛さんご自身はどのように感じていらっしゃいますか。

中村:僕自身も、映画の中で言っているんですけど、入団した当初は「Jリーガーは、ボールを追いかけてさえいればいい」と思っていました。なので当時を振り返ると、18年間の選手生活の中で、地域貢献活動を通して、自分たちがどれだけ元気、勇気、夢を与えられる存在なのかと言うのを、僕自身はすごく体感できました。Jリーグが理念として掲げている地域密着や100年構想というところを、自分たちが体験し、それを示せたという意味ではすごく僕の中では意味があって。映像をいろんな地域の方にも見ていただくこともできたので。自分にとっては大きな財産であり、経験になったなと思います。

村井:映画の中では、「いい車を買って、いいもの食べて、家でも建てて…と言う存在がサッカー選手だと思っていた」という風に、中村さんは話されていました。その考え方を変えてくれたのは、やっぱりフロンターレの存在が大きかった?

中村:そうですね。「フロンターレの当時の立ち位置」って言ったほうが正確かもしれないですが。今のように人気があって、毎試合チケットも完売というクラブの新人選手だったら、ひょっとしたらそういう考えにはならなかったかもしれないです。自分たちから向かっていかないと、スタジアムに足を運んでいただけない状況だったので、それが大きかったかなと。

「全てのクラブの社長に観てもらいたい作品」(村井満)

村井:この映画を私が最初に観たとき、「全クラブの社長に観てもらいたい」と思ったんです。要は、言い訳ができないんです。フロンターレがここまで地域密着を体現出来るのであれば、「もっとできるクラブがいっぱいあるだろう」と思いまして。実際、全国で上映されたわけですが、その手ごたえや反響というのはいかがでしたか。

中村:反響が本当に凄まじくて。「自分の地域では観られないので、何とかしてください」というメッセージが届いたりとか。川崎だけではなくて、ほかの地域の方々も興味を示していただけているというのがすごく嬉しかったですし、自分の中で勇気になりましたね。

村井:今日は、私も拝見させていただいたんですけど、作品の途中ですすり泣く声が聞こえてきて。映画を改めて観ると、すごく丁寧に作っている作品ですが、今だから言えるエピソードとかはありますか?

中村:僕自身は特に演じたわけでもなく、ドキュメンタリーなので、本当に素のままですよね。撮影していた素材を、皆さんで形にしていただいて。僕自身も「こういう見え方をするんだ」っていうのを感じられたし。「これが皆さんに届いていただけたらいいな」と思っています。

村井:「引退します」と告げるシーンで、鬼木監督が泣いてたり…。普段はなかなか見られないシーンもありましたよね。

中村:普段はカメラが入れない場所なんですけど、事前にあの場を借りて引退することを伝えさせてもらうつもりだったんです。僕自身も泣いていて、あまり見れていなかったんですけど、僕の目線では見れないところをカメラが追ってくれていて。

お二人のこれからと、日本サッカー界の未来について

村井:選手生活に別れを告げ、ピッチを離れた憲剛さんは、今度はJリーグ全体を育てる側になりました。これからの日本サッカー界をどのように引っ張っていかれますか?

中村:これまでは、プレイヤー目線で「日本サッカーがどうすれば良くなっていくか」と言うことに対して、とにかく真摯に向き合ってきましたけど。引退後に、FROに就任して2年経ちましたが、「本当に自分がいた世界というのは狭かったな」というのを改めて感じています。プロ選手って、練習場やスタジアムと家の往復なので、外の世界はなかなか見られないですから。そういう意味で言うと、今の自分自身にわくわくしていますし、今度は違う立場で、日本サッカーを良くする活動を、全力でやっていきたいなと思います。今日みたいにこういうところに呼んでいただいて村井さんとお話をするっていうのも。僕の中で非常に貴重なので…。

村井:私もワクワクしています(笑)。  

――憲剛さんにとって、村井チェアマンの8年間のJリーグの貢献とか個人的な思い出とかありますか。

中村:個人的には、思い出が一番多く残っているチェアマンの方で、僕のような一人の選手のお話を、本当にたくさん聞いていただけたので、僕は大好きなチェアマンでした。実際に、社会連携活動の件をご相談させていただいた時には、現在の「シャレン」の活動に繋げていただきましたし、本当にJリーグに尽くしてくれた方なので、今後も引き続き見守っていただけたら嬉しいです。

――ご自身の8年間を振り返って、何か一言いただければ嬉しいのですが?

村井:コロナ禍で、2年間くらいお客さんが入らない時期がありましたけれど、サッカー選手がどんなに頑張っても作れないスタジアムの空気を、ファンやサポーターの皆さんに作っていただき、ずっとJリーグを支えていただいてたんだなということを、本当に強く感じていました。実は、この間も、日本代表戦のチケットを買いに行ったんですけど、全然買えなくて…。これからは自分でチケットを買って、皆さんと同じようにこれからサッカーを見守りたいなと思っていますので、またいつかどこかでお会いできたら一緒にサッカーを盛り上げていきたいと思います。

――それと、ヨコハマ・フットボール映画祭では毎年上映作品を対象に審査員によるYFFFアワードを設定しております。『ONE FOUR KENGO THE MOVIE』の中村憲剛さんがYFFFアワード2022ベストプレイヤー賞に輝きました。

中村:まさか引退した後でも賞をもらえると思っていなかったので、嬉しいですね。本当に素敵な賞をありがとうございます。本当にこれも皆さんのおかげだと思います。

『ONE FOUR KENGO THE MOVIE ~憲剛とフロンターレ 偶然を必然に変えた、18年の物語~』

日本中が日韓ワールドカップに沸く2002年の夏、一人の無名の大学生が、観客も記者もほとんどないJ2のサッカークラブの練習に参加していた。そこから始まる18年間の物語。中村憲剛と川崎フロンターレは、何を信じて、何を目指して、これまで歩んで来たのか?30名を超える関係者へのインタビュー、そして現役最後の2カ月間に密着した映像と共に紹介します。クラブ初の公式ドキュメンタリー映画です。 2021年製作/138分/G/日本 配給:バスコム

2022年6月4日(かなっくホール•東神奈川)にて実施

最後までお読みいただきありがとうございました!この記事が気に入った方は、ぜひスキ❤️をクリックしてください!

ヨコハマ・フットボール映画祭 公式noteマガジンは、映画祭を楽しむための記事を発信しています。この機会にマガジンの他の記事もご覧ください。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?