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#この仕事を目指すまでの私【盲導犬協会職員から介助犬協会へ】管理部総務G 山本香織 編

みなさん、こんにちは。管理部総務Gの山本香織です。

私が研修生として日本介助犬協会に関わり始めたのは2009年、シンシアの丘開所の年です。
八王子市の旧拠点での約3か月の研修とシンシアの丘で寝泊りしての研修を経て、気がつけば干支が一回りして、現在は総務の一員として働いている私の、研修生になる前の話です。

中学1年生の時に、テレビで盲導犬訓練士を知りました。その方は20代くらいの女性訓練士で、その姿に「この仕事は年齢や性別に関係なく活躍できる仕事なんだ!」と思い興味を持ちました。…今思えば変わった角度からの興味だったなぁと思います。もちろん犬は好きです。好きというよりずーっと実家には代々犬が居たので、「好き」とか「嫌い」とかそういうことではなく傍にいて当たり前の存在、に近いかもしれません。

他の職員のnoteを見ていると「すぐ色々調べた」とか「その夢に近づくように進学した」ととても素晴らしい行動をしていて感動していますが、私はのらりくらりと完全に回りの流れに身を任せ、普通の高校に進学し、ずっと心の中には盲導犬訓練士への想いはありましたが「もっと他に惹かれる職業があるかも」と外堀を埋める意味もあり、「寒い地域に住んでみたい」というまたもやよく分からない進路選択により親元を離れて信州大学へ進学しました。
バイトに明け暮れた大学生活も周りの友人が髪を黒く戻して就職活動をし始めた頃、私もようやく観念し、行動を始めます。

まず、全国数か所の盲導犬協会へ一人旅を兼ねて見学会に行きました。
宮城県、神奈川県、愛知県、京都府、兵庫県…など一部ですが、それぞれ施設やそこで働く人の話を伺いました。

そして日本盲導犬協会の盲導犬訓練士学校も受験し…二次面接で不合格!

その後、大学のある長野県と実家の三重県の間にある中部盲導犬協会のイベントボランィアに参加し始めました。
とはいえ、夏休みなどで実家との行き来をする時など回数は限られていましたが、名古屋駅での募金活動やイベントのお手伝いをしていく中で、盲導犬を訓練すればいいってものではなく、運営していくためのご寄付を集めたり啓発をすることがとても大切!ということを知りました。そのようなタイミングで広報職員に欠員が出ることとなり、採用試験を受け、中部盲導犬協会の広報職員として大学卒業後の2006年から3年間働くこととなります。ここに至るまで様々な点が線となって円(縁)となることを感じるタイミングの積み重ねでした。

同じ愛知県に介助犬の訓練施設が出来るらしい、というのを耳にし始めたのは2007年頃でしょうか。協会が施設建設の為に東奔西走していた頃だと思います。その頃は「へーそうなんだ」くらいで盲導犬協会で働いている自分がまさか数年後そこで働くとはその時は全く思っていませんでした。

そこから少し月日は流れ、「そういえば介助犬の施設いつできるんだろう?」とホームページを見た時に、第4期研修生募集の案内を目にしました。犬のトレーニングや障がいについて学べるというカリキュラムを見てとても魅力的に感じ、非常に迷いましたが、転職の決断をしました。
面接で初めて日本介助犬協会の施設に行くことになるのですが、当時はシンシアの丘は建設中だったので、八王子市高尾まで夜行バスで行き、地図を頼りに住宅街をウロウロ…見つからず…たまたま車いすでトレーニングしている職員を見かけて辿り着けたのですが、盲導犬協会の施設しか見たことなかった私は、立ちはだかる5階建てビル!玄関開けたらすぐ階段!の施設にとても驚いたことを今でもよく覚えています。

また、私は研修後もあくまで広報に携わりたかったので、「トレーナーを養成する研修生なのに広報に携わりたいというのはいかがなものか?」と門前払いにされるかも?と内心ドキドキしていましたが、無事に合格できたこと、今でも感謝しています。

こんな感じで研修生になるまでの流れですが、今思うのは母親への感謝です。

盲導犬訓練士をテレビで見た中学1年生の時、私は父親を亡くしました。その頃、兄と姉は大学生で、教育費もまだまだかかり、本当に大きな苦労があっただろうに母は全くそのような様子は見せず、私ののらりくらりした夢も進路選択にも反対も口出しもせず、したいことをさせてくれました。

今私は2人の男の子の母親業もしていますが、彼らが将来したいことや進みたい道に対してあたたかく背中を支えてあげられる、そんな親になれたらと自分の半生を振り返り強く思っています。

お子さんとの写真

★職員の仕事紹介動画にも出演中♪

介助犬1組の育成には240万円~300万円ほど費用がかかります。 みなさまのご支援をよろしくお願いします!