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科学映像と土木

久米川 正好
依頼論説
明海大学 名誉教授
NPO法人科学映画館を支える会 理事長

私が骨の研究を始めたのは、48歳の時だった。1980年代、細胞レベルのメカニズムが不明な時代に骨の科学映画を撮っていた小林米作氏が、私を訪ねて来られたことから研究生活が大きく動いた。「科学映画の父」といわれた小林氏が、熱意をもって顕微鏡下の撮影を行った映画『The BONE』は、骨の形成を鮮明に示した作品で、国内外の学会で大きな反響があり、続編はメディキナーレ国際医学科学映画祭秀作賞・優秀撮影賞や科学技術映画祭科学技術長官賞を受賞した。

科学映像の美しさと力強さに魅せられた私は研究上多くの科学映像に接してきたが、同時にフィルムで保存された貴重な科学映像の劣化に強い危機感を持った。その後2002年に大学を定年退職し、歯冠を集めた寄付や協賛企業、支える会のメンバーらの協力を得、2007年から科学映像館(国内外の貴重な科学映像作品をデジタルアーカイブ化して無償配信を行うオンライン上のサイト)の理事長としての日々を送っている。大学にいた頃はまったくパソコンを使えなかった私が、いまや多種多様な提供先から収集したフィルムをデジタル復元しては,週に1度新しい作品をウエブにより無料公開し、Twitter(X)Facebookで情報を発信している。ジャンルは生命科学だけでなく,自然科学、動植物、工業、農業、社会など多岐にわたり、2024年2月現在、総配信作品数は1270本を数えている。その一部を国立国会図書館にも納める他YouTubeでも配信している。研究生活を劇的に変えた映像の仕事に、今年90歳となる今もかかわりが持てることに運命的なものを感じるのである。

土木の分野でも映像の力は大きい。現在土木学会の論説委員を務める知人は、小学生の時に大学の文化祭でタコマ橋の映像を見たことが土木分野に興味を持つ端緒となったと聞いている。基礎や骨格の工事、衛生状態など土木分野でも映像で伝わることは多く、当館ではダム、トンネル、地下鉄、日本最古の架橋、東京湾横断工事などの貴重な映像(一部削除)も公開している。いくつかご紹介したい。

1)鴨緑江大水力発電所工事
鴨緑江にある水力発電用ダム。右岸の中華人民共和国遼寧省寛甸満族自治県と、左岸の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)平安北道朔州郡の中朝国境を跨ぐ戦前の植民地時代の水力発電工事記録

2)名田橋架設工事記録:斬新な設計によるわが国初の名田橋架設工事(ダイジェスト版)
設計、施工、工事記録の8ミリによる映像である。鉄筋の様子も分かる

3)振動の世界
1940年11月7日、振動工学史上の一大事件。世界3位の吊り橋タコマ橋(米国)が、風速わずか19mの風で共振し、崩壊した映像

4)生活と水
1952年、水道特に町村の簡易水道の啓発普及を目的として、厚生省後援の下に製作された映画。岩波映画を設立した羽仁進監督揮身の第一作

5)し尿のゆくえ
水洗トイレや下水道が整備され、徐々に環境が改善された様子を克明に記録した映画。2023年9月の公開以降YouTubeでは3ヶ月で100万回再生を超えた

当館では、製作者および企画者から作品の使用許諾を得るにあたり交渉や調整に大変な時間と労力を費やすことも度々である。作品の権利関係の複雑さも相まってフィルムの保管が曖昧となり、かくして貴重な作品の多くが死蔵化の一途を辿るという、科学技術立国を目指す日本にとってまことに憂慮すべき状況となっている。さらに製作者の老齢化に伴い、制作活動を停止、閉鎖した会社も少なくない。

あるがままを淡々と、しかも粘り強く写し出した科学映像は美しい。その映像の中から受け手次第で種々のメッセージを受け取ることができ、貴重な映像が永遠に陽の目を見ることなく忘れ去られることは看過できない。

当館では上記の寄付などによりデジタル化を無償で行っている。行政、会社などでお持ちの映像で、土木の記録を広めるべき映像がございましたらぜひ当館にお寄せいただきたい。

第202回 論説・オピニオン(2024年3月)



国内有数の工学系団体である土木学会は、「土木工学の進歩および土木事業の発達ならびに土木技術者の資質向上を図り、もって学術文化の進展と社会の発展に寄与する」ことを目指し、さまざまな活動を展開しています。 http://www.jsce.or.jp/