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”大河津分水の氾濫危機 ”「ケンオードットコム 佐藤さん」インタビュー

※記事の最後にインタビュー動画を追加しています。

土木学会国際センター情報グループです。

これまで当センターでは、SNS企画 ”旅に出たくなる日本の土木遺産” 企画第一弾として、2022年に通水100周年を迎える 近代土木遺産「大河津分水(おおこうづぶんすい)」の秘蔵資料を紹介してきました。
その大河津分水では、令和元年台風19号直撃後の2019年10月13日、観測史上最高水位の17.06 m を記録し、計画高水位を数時間超過する危険な状態が続きました。

そこで本企画では、危機にあった大河津分水についてより深く迫るべく、
10月から4週にわたり、関係者へのインタビュー記事を掲載いたします。

一回目は、現地で取材活動を行っていた、地域情報サイト「ケンオードットコム」の記者、佐藤 雅人 (さとう・まさと) さんに、当時の現場について詳しくお話を伺いました。

ケンオードットコム(Kenoh.com)
新潟県の県央地域 (燕三条地域) を中心に、一日10件以上のネット記事を扱う地域情報サイト。取材、記事の編集、運営をすべて佐藤さん一人で行っている。

写真①

インタビュアー、記事作成:新潟大学3年 神村 幸弥 (かみむら・こうや)

1.2019年10月13日 当時の大河津分水

ー 改めて当時を振り返り、危険な状態の大河津分水を目の当たりにして、どのようなことを感じましたか?

当時は氾濫危険水位を超えてたわけですけど、一番印象的だったのは、とにかく天気が良かった。ということですね。

氾濫危険水位
河川が氾濫する恐れのある水位や安全に避難するために避難を開始すべき水位
出典:国土交通省 川の防災情報

写真②

佐藤 雅人 さん

なぜかというと、三条市の 2004 年の 7・13水害や、その後の (2011年の)7・29水害では豪雨だったわけですよ。豪雨の中で、水かさが増して氾濫とか堤防の決壊などの危険が迫っている。
そういう状況だったから、当時みんなものすごい緊迫感があったわけですよ。

写真③

2011年の7・29水害発生時の大河津分水の可動堰の様子
 出典:信濃川河川事務所

でも去年の台風19号の場合は、地元で降った雨ではなく、上流部で降った雨によって大河津分水路が増水した、全然経験したことのない感じですよね。青空が広がっているのに水かさが増し、危険な状態になっていると。
だから私を含め、地元の人たちは危機感が全然なかったですね。

『危険なので堤防から離れて下さい。』 とか 『危険なので川の様子を見に行かないでください。』 というような防災行政無線が流れていたんですけども、本当にたくさんの人が見物に来ていて、万が一、堤防が決壊したら。という非常に危険な状況にも関わらず、祭りじゃないかというくらい堤防が賑わっていて。それが一番印象的でしたね。

ケンオードットコムでは、良い天気の状態なのに分水路がものすごい危険な状態になってる、というのを伝えたくて、防災行政無線が流れる中、青空が広がっているという構図で動画をとって、今までにない形の洪水の危険の迫り方だ、という絵をとりました。

防災行政無線が鳴る中、青空が広がる様子(本編 3:28 から)
 出典:【観測史上最高水位を観測】大河津分水路

2.120年前に起きた大水害「横田切れ」

ー今から120年前には、信濃川の堤防が決壊し、新潟平野の広範囲が浸水する「横田切れ」が起きました。

そうですね、横田切れの時も 1 か月(下流側で)水がひかなかったと。いくら現代であっても、もし広大な面積が浸水したら、排水には相当な時間がかかったのではないかと。

下流側の自治体では、避難所を開設するなど危機感をもって行動していましたが、いかんせん青空が広がってるもんで、危険が迫っていることを肌で感じにくかったんですよね。

なのでニュースサイトという立場で、みんなが肌で感じにくい危機感を、どうやって文章で情報発信して伝えるか。という事に重点を置いて情報を発信してきました。

横田切れ
明治29(1896)年7月22日、横田(現在の燕市横田)の信濃川堤防が切れ、 あふれ出た水は越後平野の広い範囲を一面の泥海としました。 浸水は長期間にわたり、低い土地では11月になっても水に浸かったままで、 衛生状態の悪化に伴う伝染病が蔓延し、命を落とす人も出ました。
 出典:横田切れから120年 信濃川大河津資料館

3.当時の周辺住民の動きについて

ー周辺住民の様子から、あの時こうしたほうが良かったのでは、など反省点に思うことはありましたか。

こうすべきだった、と思う事はそんなにないですけど、さっきも言った通り、見物に来る人が多くいらっしゃってて、すごいそれは危険だなと。

 一方で分水(※旧分水町。現在の大河津分水路周辺にあった町)の、特に商店街の方たちが「あの人はいるのか、いないのか。」とか、「避難所があるので避難してくれ。」というような声掛けと避難誘導を率先してされてて、そのあたりは分水は防災意識が高いと思いましたね。

分水の方は普段から避難訓練を行うなど、防災に対して意識が高いと聞いているんで、それがいざ大河津分水がああいう状況になっても、ちゃんと皆さん訓練通りにできたんじゃないかなと。
もしかしたら訓練以上にできたのではないかと思っております。

横田切れや他の水害についても、いかに自分が住んでいる場所の危険性を認識しているか。というところが大きいんじゃないかと思います。

4.地域情報サイトとしての役割

ーここ数年、毎年のように日本各地で災害が発生していますが、災害情報の発信で意識していることはありますか。

普段はジャーナリストとして記事を書いていますが、災害の時は自分でも意識的にモードを切り替えてますね。
災害時は、こういう事がありましたと後で伝える報道の形ではなく、住民の生命と財産をいかに守れるかという事を第一と考えて、すばやい情報発信を重点的にやっています。

災害のときはデマがものすごく多く、そのデマを防ぐための正しい情報というのは大切で、結果的にそれが住民の生命と財産を守る事につながります。だから、早くて正確な情報を第一に、報道は二の次にしています。

ー住民が正しい情報を取得できるように、迅速に、そして正確にというのを意識しているんですね。

そうですね。テレビ、新聞は報道がメインだけれども、(自分は)たまたま燕三条地域という狭い地域の中で情報を扱っているんで、テレビ新聞が扱わない情報が扱えるわけですね。
今、どこでどういうことが起こっている。という事はテレビ、新聞は伝えてくれないので、でもそこを地域情報サイトであるケンオードットコムなら伝えられる。
そういう自負というか、他では替えが聞かない部分があると思っているんで、それを自分たちはやろうと考えていますね。

5.災害時のSNSはデマばかりではない

ほぼ1人で動いているから、もし移動手段が無くなったりすると情報がとれなくなってしまうんですよね。そういう時に助かるのはSNSで、今回の大河津分水であれば、ここから水漏れしているらしいよとか、あそこがちょっと危ないらしいよという情報はSNSで流れてくるし、直接ケンオードットコムに情報を寄せてくれる人も多くて、それはものすごい役に立ちます。

SNSはいろんな人が発信していて、もちろんデマもあったりして鵜呑みにはできないので、SNSで得た情報を一旦、関係機関、市役所や消防隊に確認して、ケンオードットコムとして発信している。というような事もかなりやっています。なのでSNSの力はこれからの時代有効に機能するのではないかと考えております。

ーデマだけではなく、正確な情報も紛れているので、それをちゃんと発信していくという正しい使い方も必要という事ですね

そうですね。だからデマが流れていることが分かったら、それをデマですよ。と発信することは大事なことですし、個人が発信しているSNSと比べても、ケンオードットコムがデマだと発信すれば皆デマだと理解してもらえる。という意味ではケンオードットコムで発信していく意味はものすごくあると思いますね。

6.インタビューを終えての感想 (神村)

ー本日はお越しいただきありがとうございました。今回は去年の台風19号について、詳しくお話をお伺いしました。
当時は天気が良く危機感を感じなかったという状況。避難準備もしっかり行われていて、ちゃんと住民の意識も高かったという事や、佐藤さん自身の、情報をすばやく正確に伝えるという使命感や意識をインタビューから知る事が出来ました。インタビューにご協力いただき、ありがとうございました。

大河津分水に深く迫るインタビュー企画。一回目は、現地で取材活動を行っていた、地域情報サイト「ケンオードットコム」の記者、佐藤 雅人 (さとう・まさと) さんでした。次回のインタビュー記事もお楽しみください!

本企画についての情報はこちらから!ぜひSNSもご覧ください!

※今回のインタビュー動画を4週にわたって配信しています。


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