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その会話、子どものやる気を削いでいませんか?

こんにちは。元小学校教師 スクールコーチの「ケンさん」です。

前回まで、教育現場における「支援」について概念的な部分をお伝えしてきましたが、本日は私がコーチングに出会って気づいた子どもとの向き合い方についてお話します。

同じように悩んでいる方々への何かしらヒントになると嬉しいです!


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コーチングを知ったきっかけは、後輩指導に悩む先輩のぼやき

コーチングとの関わりの直接のきっかけは、ある指導的立場にいる先輩のぼやきからでした。

その先輩は、よくぼやいていました。
「いくら教えても伝わらない」
「そもそも言葉が通じない、としか思えない」

それがある日突然に「コーチングを学んでみたら、後輩や弟子とどう関わればいいかが分かったんだよね。」とつぶやくようになったのです。とくに、彼らが「動く・行動する」というところにずいぶん力点を置いていたのです。

その「コーチング」という響きは、私にとっては「支援」という言葉と響き合いました。当時は「指導ってティーチングだよね、横文字で言うと。コーチングって、つまり支援でしょ、縦文字で言うと。」と、単純に結びつけてしまったのです。厳密に言うと、そう単純ではないのですが「要するに」という便利な言葉を頭にくっつけて単純化してしまったのです。

その先輩に「日本語で支援ということでしょう?」と言ったら、ちょっとイラッとされましたが(苦笑) 、「そんなんじゃない、心理関係の様々な研究から体系的に組み立てられたものだぞ」と教わりました。学問的な歴史をしっかりと背負った凄いものなのだ、と言いたかったのだと思います。

そんなわけでコーチングという言葉を知り、前回の学校教育界で沸き起こった「支援」ブームとが直接・間接的なきっかけとなってコーチングのセミナーに出るようになったのです。


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指導における「支援」とは何でしょうか?

学び始めると、「いったいどうすることが支援になるのか」という疑問への答えがあちこちに転がってることに気づくようになりました。

まず、指導における「支援」とは何でしょうか?子どもたちが「やる気をおこして自主的・主体的に行動する」のを後押しするというイメージですが、その肝心な「後押し」する前の「自主的・主体的に行動する」ところで足踏みするのが常でした

しかし、時は「支援ブーム」です。自主的・主体的に行動するのを後押しする以前に、自主的・主体的に行動をなかなか起こさないので、まずはそこから「後押し」することになってしまうんですよね。

結局「これからは皆こうでないといけない」と「言い聞かせる」ような、"動いていないのに後押しする" 指導になってしまったのです。初めは、仕方ないですけどね。ですので、すごく疲れることにもなってしまったのです。


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教室は間違えるところ?

そんな頃、流行った言葉に「教室は間違えるところだ」がありました。授業で間違いや失敗を恐れて、自分の考えを出したがらない傾向があったからです。そして更に、「失敗が大事だ」「気にしないでドンドン自分の考えをだしなさーい」「もっと自信をもちなさーい」です。

でも、先輩ではありませんが、「いくら教えても伝わらない」「そもそも言葉が通じない、としか思えない」という状態の先生方が多かったように感じます。そして、この状態はそれほど改善されませんでした。

結局です。同じような方法になってしまっていたのです。というのは、「支援」しようとして「指導」してしまうのです。やる気がいまいちな子どもに、「もっと自分から」「もっとやる気をだして」「自分から進んで」「頑張れ」「フレーフレー」と、色々とついつい働きかけてしまうのです。そして、それなりに少しは効果もあるので、まぁこんなものかなー、ということで時は過ぎていったわけです。疲れますけどね。


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コーチングで大切なスキルはコミュニケーション

ちょうどそんな疲れる頃にコーチングの世界を知ったのです。

そこでまず印象に残ったのが「スキル」という言葉です。横文字ですね。当時「なんだスキルって」と心で叫んだことを覚えています。この世界はやたらと横文字が多いんです。でも慣れますね。今では普通に使っています。

スキルというのは「訓練して獲得する能力」です。日本語で言えば「技(わざ)・技術」です。こんなに素晴らしい言葉があるのに、とは思いましたが、なぜか横文字で言うと新鮮なんですね。

話を元に戻すと、コーチングはコミュニケーションに関わるスキルを身につけて、それからクライアントとのセッションに臨むものだと。もう急に横文字だらけになりましたね。とにかく、このスキルが大事だとコーチングでは言うのです。

つまりです。私たちの世界では、“指導に関する教育” は、教師になる以前から長い時間をかけて訓練してそれなりに身につけてきていたのですが、 "支援に関わる教育” は全くなかったなと、そこに気づくことになったのです。


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その会話、子どものやる気を削いでいませんか?

例えばです。コーチングを学んで、これが支援の具体的な方法か!と思ったものの一つに「会話」があります。会話なんて誰でもが普通にできるものと思われがちです。

でもコーチングでは、コミュニケーションは「会話」だというのです。当たり前、といえば当たり前ですが、でも私たちは子どもとの普段のやりとりが、つまり「会話」であるという意識は特にもってはいなかったのですね。

ということは、これまでは無頓着に会話をしていたことになります。でもコーチングの世界から見ると、会話の質によって相手(クライアント・子ども)の能力はまったく違ったものになるのに、なぜそこを意識しないのか、と考えるのです。支援の具体化においてまず最初に必要なことは、普段行っている「会話」を見直すことなのです。例えば、その会話、子どものやる気を削いでいませんか?という問いです。

「会話」というのは単純化すると、「言葉のやりとり」ですよね。当時はそういう意識すらなかったのですが、コーチングを学んだあとはそういう認識になりました。言葉のやりとりには「うまいへたがある」というわけです。例えば、野球のキャッチボールにうまい下手があるように、ボールならぬ言葉のやりとりである会話も同じようなイメージです。

つまり、言葉にもキャッチボールのスキルがあるんですね。下手な人の会話と上手なひとの会話です。もちろん私たちの立場からすると、学校教育の教育する主体というのは教師になりますので、子どもとの会話が “うまいへた” というのは、教師のスキルに関わっているのです。

子どもが受け取りやすい言葉を投げ、子どもから受け取った言葉のリアクションをしっかりと返し……と、こちらしだいということです。そして、恐ろしいことに、この会話の “うまいへた” で子どものやる気・能力・主体性などに大きな影響を及ぼすことになるということに次第に気づくことになってきたのです。

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