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ライブや映画館や劇場が実現できていた価値(吉田尚記さんのFacebookを切っ掛けに考えてみた)

長年放置していたnoteを再開することにした。どういう目的で運用していくかはまだハッキリとは分からないけれど、取り敢えず、ちょっとした思考のメモとして使っていこうと思う。

さて、今、コロナ禍でライブイベントなど、リアルに人が大勢集まるイベントが行えず、その代わりに配信ライブや仮想空間でのヴァーチャルライブなどが増えている。

友人でもあるニッポン放送の吉田尚記アナウンサーがFacebookで、

【質問】ライブや映画館や劇場が実現できていた価値って何でしょう…?

というスレッドを立てていて、良い機会なので現時点での僕の考えをまとめておく。

僕が考える価値は、大きく以下の3つ。

1:巨大な画面や音響設備や建築そのものなど「空間」であったり「質量(≠データ)」の価値

2:会場への道程含めての「体験」の価値(物語)(手間を掛けさせると愛着が湧くなども含まれる)

3:大勢の人間が一箇所に集まって、同じ時間と感情を共有する価値

1については、4K、8Kの超高画質と高音質&大音量くらいなら、普通の個人宅でも作れる。
しかし本当の意味で圧倒的な空間と質量は、物凄い富豪とかなら個人的に自宅に環境を整えられるかもしれないが、大多数の普通の人には無理。

2については、道すがらの陽の光や風の匂いや街の雑踏などなどリアルじゃないと再現するのは難しい。必然的に1の要素も2には含まれている。

3 については、「時間」と「感情」で分けて考える必要がある。
「時間」の共有は、それこそトラヴィス・スコット×『フォートナイト』とかHorizon上とかのヴァーチャルイベントでも代替可能だし、ふつうの配信ライブのコメントや古くはTwitterのハッシュタグ付けて実況なんかでもある程度は再現可能。
(fhánaでも先日、昔ながらのTwitterハッシュタグを使って実況しながらみんなでアルバムをせーので同時に観賞する会を催したが、なかなかに盛り上がった。)
そういえばニコニコ動画のコメントは、オンデマンドで実際はみんながバラバラにコメントをしているのに、同じ時間が共有されているような感覚、共時性を再現している、なんて話を10年ちょっと前はよくしていた。

次に「感情」の共有については、ステージ上の生の演者が発するオーラを体感する感じや、人間が実際に集まって盛り上がることによって起こる脳のミラーニューロンが共鳴する感じは、やっぱりリアルじゃないと再現出来ないと感じている。

仮想空間でのヴァーチャルイベントも、そういうのが好きな人は今でも盛り上がれてると思うが、まだまだリアルのライブと同じような感情の共有や脳の共鳴が起こっているかと言ったら疑問だし、情報と質量やオンラインとローカルとの間には越えられない壁があると思う。
「まるで本当のライブに参加したような感じ」と「本当のライブ」は違う。
けれどもこれから先、さらにリアルに近づいたら、もしかして乗り越えちゃうんだろうか。そしたらマトリックスの世界ですね笑

それと、ここから先はちょっと論点変わるが、個人的には、「ライブ」「映画館」「劇場」の3つだったら唯一「映画館」だけが、自宅などに映画館並の環境があれば良いかなと思っちゃう。
何故なら、もともと映画館でも、レイトショーとかでなるべく他の観客がいないほうが好きで、出来れば完全に一人で見るのが好きから。
だけど、「ライブ」「劇場」は、やっぱり他の観客との感情の共有がセットになっていると思う。(もちろん「映画」だってそうだけど個人的には一人で見るのが好きという話)

やはり生身の人間がステージ上で演じているか、記録された情報を観賞しているかの違いがあるのかもしれない。

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