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魔力って何?どうして呪文を唱えるの?あらゆる疑問を解決する結論、「魔力とは観測者である」理論を解説

魔力の分類について

魔法を考える上で必要になってくるのが、魔力の設定だ。
ゲームやラノベなどの魔力の設定には大きく分けて3パターンある。

1つは「魔力=体内エネルギー」説。
一般的な認識としてこれが1番多いのではないだろうか。
何故かと言えばこれはゲームにおける「MP(マジックポイント)」という概念から来ている。
魔法を使う度に消費し、使い切ると魔法は使えない。この設定であれば間違いなく体内エネルギーだろう。
体内エネルギーという設定は、無詠唱と相性も良い。自分の中にある者を放出しているわけだから、詠唱のために発声練習や早口言葉を練習するより、身体の中の魔力をコントロールするなどの修行が効果的だろう。
逆に詠唱は、何故詠唱する必要があるのか、この設定だと全く分からない。無理やりこじつけることはできるが、納得感は薄くなってしまう。

2つ目は「魔力=精霊」説。
そもそも魔法は呪文を言って発動するんだから、その呪文を聞く相手がいるはずだよねというものだ。
呪文というものと相性が良いと見せかけて、大抵の呪文が命令形で若干失礼ではというツッコミもある。
どちらかと言うと「精霊と仲が良く、普通にお願いをすれば聞いてくれる」みたいな設定のキャラと相性が良い。
とはいえどちらにせよ「何故精霊は、命令口調の一般人の言う事を聞くのか」についての設定を考える必要はある。

3つ目は「魔力=体外エネルギー」説。
魔力が空気中などに粒子として存在するという説。「魔素」と呼ばれることもある。
1つ目とのハイブリッドの場合も多いが、これはこれで別で考えるべきだと思う。
この設定はなにより魔道具などの外付けの機器との相性が良い。また、詠唱も無詠唱も、まぁ両方とも出来なくはない。
詠唱をする場合は、所謂音声認識的な感じでできるし、無詠唱に関しても、体外のエネルギーを操るわけだから特別な力を持った一部の人間だけができるという納得感もある。
一方でこの設定では「魔力切れ」という概念は無いことになる。空気中にある魔力を使って魔力を打ち出しているわけだから、無限に魔法が使えることになりかねない。
似たような概念を作る場合は、「魔力切れ」とは別の設定を考えた方がいい。

全ての要素を使うための設定考察

仮説:魔力には世界を観測する役割がある

ここまで良く使われている設定をそれぞれ考えてきたが、どれも一長一短で、しっかり考えると使える要素と使えない要素があることに気づくだろう。
しかし、やはりどの要素も切り難いので、結局その辺の設定は曖昧にしてしまいがちなのだ。

現在研究中ではあるが、面白い設定を個人的に考えたので紹介する。

この記事を読んでいる厨二病の諸君らは、こんな話を聞いた事があるだろう。曰く、「観測されていないものは存在しない」。シュレディンガーの猫と呼ばれる考えだ。
人の主観で「存在しないのと同じ」というのならともかく、「存在しない」と言い切ってしまったらそれは違うだろう。実際シュレディンガーもそんな訳ないよねという文脈での実験である。

一応量子物理学的に考えればそうなのだが、では世界を構成する全てがそうなのかと言えば違う。
では仮に「本当に、この世のあらゆる物が観測しなければ存在しない世界」だとすればどうだろう。

どこかで神が人間を作ったのは、世界を観測させる為だと聞いたことがある。神はなんでもできるが、自分の作った世界を観測する者がいなければ、存在しないのと同じだからだ。
しかしそれでも観測器官として、人間を含めた全ての生物だけではこの世の全てを認識するには足りない。人がまだ誰も認識していない遠い宇宙の星々は、しかし確かに存在するのだ。

では世界は何故存在するのか。
ここで登場するのが魔力だ。
魔力はあらゆる空間全てに存在する、としよう。世界を観測する「目」としては優秀だ。
そして魔力が観測したものは存在するものとして、現実に現れる。
(逆に観測できない物は存在しないのかもしれない。それがあるかどうかは分からないが)。

ここまで聞いて、勘がめちゃくちゃ良い読者は気づいたかもしれない。
そう、魔力が観測したものが存在することになるというのは、魔力には観測したものを存在させる力があるということだ。
人も大地も宇宙の彼方も、人が通常観測できない空気中の分子も、そして光や音、感情までも、魔力が認識することで存在するのだ。

そんな魔力に「強い願い」が観測されたらどうなるだろうか。
その願いはただの妄想ではなく現実となる。憎い相手は燃え、自由に空を飛び、なりたい自分に大変身☆できる……のかもしれない。
とはいえ我々は人間だ。再現性のない奇跡のままで放っておくはずがない。
奇跡が魔法に変わった経緯はわからないが、どうせどこかの天才が魔力に願いを伝えるための呪文でも発見、開発したのだろう。

これで呪文を唱える合理的な理由もできた。呪文でオーダーすることで魔力に伝わり、願いは現実に、魔法となって現れるのだ。
しかし今度は、ただの音と魔力に伝えるための呪文の区別をつけなければならない。

疑問:魔力に意思がないのであれば、ただの音と呪文をどう区別するのか?

魔法の呪文をコンピューターのプログラムのように捉えている作品もある。プログラム言語はコンピューターが理解しやすい言語だ。0と1のみで世界を認識している機械にとって分かりやすい言語。
つまり魔法の呪文は、魔力にとって認識しやすい言語だ。そもそも魔力は音を認識しているのか。
私は違うと思う。いや、振動は認識しているだろう。しかし音は我々生物の鼓膜を通して、脳にその情報が渡って初めて音となる…と解釈できる。
ここまで書いた内容的に、魔力には所謂「意思」のようなものはないとしよう。そうなのであれば、魔力は音ではなく振動として認識しているしていることになる。
しかし魔力に振動を「音」として伝える方法を考えてみたが、イマイチ思いつかなかった。

そこで次に、「感情」から考えてみよう。先程私は、人の感情を認識することでそれを現実としていると言った。
まぁ、思いが強すぎて魔力の認識器官がバグったと思ってくれればいい。

感情を認識する方法を考えるには、感情がどこにあるのか知らなくてはならない。
リアリストであれば脳と答えるだろうが、ファンタジー世界であれば感情は「魂」という謎の場所に存在することになる。
何処をどう解剖しても人から魂が見つかることはないのは、恐らくファンタジー世界でも同じだが、しかし少なくともファンタジー世界には「在る」のだから、魔力から認識されていることになる。しかし魂の中の、人の感情まで観測されているのなら、常に人の願いは具現化されていなければおかしい。
前回私は、魔法は魔力による魂への直接攻撃だと説明したが、魔力が魂を認識している以上、魔力は魂に触れている。つまり、魔力が身体や魂に触れるだけでは当然ダメージはない。
では、「魔法になった魔力」と「魔力」では何が違うのか。

仮説と疑問の整理

・魔力は世界を認識し、存在させる
・魔法は魔力が強い願いを読み取った結果である。
・呪文はそれを伝える手段である。
・ただの振動と「強い願い」がこもった音の違いをどう説明する?
・魂を魔力が認識しているなら、人の願いは常に具現化されているはずだが、実際にはされていない。
・「魔法になった魔力」と「魔力」の違いとは?

ここまでは思いつくことができた。
これらを全て解決する設定はあるのだろうか?

結論:呪文とは「魂のこもった言葉」である

自然と私は「魔力=体外エネルギー」(生物の体内で発生するものではない)という方向で考えていたが、しかし魔法が無限に撃ててしまうこの設定は不完全だ。
だが何故、人が魔力を操ったりできるのか。体内エネルギーではないのに。
じゃあ魔力は体内エネルギーなのかと言えば違う。正確には、魔法を使うために使っているその体内エネルギーは、魔力ではない。

体内エネルギーとしての正体は魔力ではなく、魂だ。

魔法には強い願いが必要だ。
じゃあ強い願いとは、感情とは、どこからくるのか。それは魂だ。
よって魂が魔力に干渉することで魔法となるのだ。

これで呪文も説明がつく。
「魂を込めて」呪文を詠唱することで、振動ではなく音として、魔力に伝わる言葉で呪文を言えば言語として伝わる。
言語として具体化された魂に干渉された魔力は、ただの振動ではなく「意味」として観測する。そして観測すれば存在しなければならない。
魔力は炎や水となり、人の願いを叶えてしまうのだ。

ファンタジーにあまり慣れていない読者に分かりやすくするなら、魔力はコンピューターでありポリゴン、魂はコンピューターで言語でありウイルスのようなものと思ってくれれば良い。
魔力というコンピューターで作られた、魔力というポリゴンで構成されている世界が、「魂のこもった」言語に干渉されて、バグのような形で新たなポリゴンを生み出してしまうのだ。

この設定のいい所は、呪文だけでなく、魔法陣などにも対応できることだ。
魔力に伝わるように文章を書いた紙に、魂を込めれば発動する。
魔道具にはあらかじめ、魔法陣に触れさせないように魂を込めておく。スイッチなどを押すと魂と魔法陣が触れ、魔法となる。
無詠唱もできる。魔力に伝わるようにするのは難しいが、魂をコントロールして魔力に干渉させれば魔法になるのだから。
魔力切れなどの描写もできる。魔法を使い過ぎれば魂がすり減っていくのだから当然だ。

前回の話とも辻褄が合う。
魂への直接攻撃。魔力単体では他者の魂を傷付けられないが、そこに他者の魂が入ることで攻撃になる。
攻撃をしようとしているということは、敵意や悪意があるのだから、そんな魂の乗った魔力を受ければ魂への攻撃になりうるだろう。逆に回復魔法なんかは相手を助けたいといった感情があるわけだから、その魂が乗った魔力を受ければ回復するというのも成立するだろう。

まとめ。

ある意味これを伝えるための前回までの記事でした。
「魔力は世界を認識する器官である」という設定を思いついた時、天才すぎて自画自賛しましたが、こうして文章にしてみると全然穴があったりして、前回までよりかなり長い文章になってしまいました。最後まで読んで頂きありがとうございます。

とりあえず基礎というか、大まかな「魔法ってこういうものだよ」という説明はこれで終わりになるかなと思います。

次回からは細かな魔法の性質の研究、既存の作品の魔法を近代魔法学的に見た時の考察、魔法言語などの設定の具体例などを記事にしたいと思います。

質問やこんな設定はどうですかといった設定があればコメント欄で書いて頂いてもいいのですが、是非みなさんも近代魔法学のタグを付けて記事を書いてみてください。
そして是非、近代魔法学者を名乗りましょう!

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