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【劇評】星組公演『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』(脚本・演出:生田大和)

※ 以下には本劇の内容が含まれています。未見の方はご注意ください。

 一

 本劇の舞台は、一三世紀初頭のコーカサス地域である。当時、コーカサス地域を国土としていたのは、キリスト教国のジョージアである。しかし、ジョージアの隆盛は、イスラームやモンゴルの台頭により陰りを見せ始め、コーカサス地域はパワーバランスを失いつつあった。
 本劇の主人公・ディミトリは、大国間のパワーバランスに翻弄される存在として描かれる。彼は、イスラーム国家であるセルジューク朝の第四王子であったが、幼少期に、ジョージアとセルジューク朝の和平のために、ジョージアの王都トビリシに送られた。つまり、ディミトリは人質であった。ディミトリは人目を嫌い、暇さえあれば一人になれる場所で静かに過ごしていた。
 そんなディミトリに秘かに好意を寄せていたのが、本劇のもう一人の主人公・ルスダンである。彼女は、ジョージア国王ギオルギの妹であり、ディミトリとは幼馴染であった。一人で過ごすディミトリを、その足跡を追って見つけるのが得意だった。ディミトリもルスダンを想っていたが、ルスダンはいずれ外国に嫁ぐ身であり、この恋は叶わないはずであった。

 二

 当時、ジョージアでは、ギオルギの妻・バテシバに疑いの目が向けられていた。バテシバは平民出身の既婚者であったため、偏見に晒され、ギオルギを惑わせていると非難されていた。ルスダンもそのような偏見から自由ではなく、バテシバに対して「あなたのことは嫌い」と言い放った。ギオルギとバテシバは、愛し合うからこそ別れるという選択をし、二人の関係は、バテシバが王宮を去るという形で終わりを迎える。
 そんな折、モンゴルの大軍がジョージア国内に侵入した。ギオルギは戦闘のさなか、瀕死の重傷を負う。彼は今際の時に、王位を妹のルスダンに継承させ、王配をディミトリとするようにとの言葉を遺した。この遺言に基づき、ルスダンは、政治経験のないままに、国王としてジョージアの運命を背負うことになった。そして、思いがけない形でルスダンとディミトリは婚姻することになり、二人は愛を誓い合う。

 三

 この婚姻はディミトリの地位を人質から王配に上昇させ、国内外の政治的なパワーバランスを動揺させた。二人は祝福されず、国内外からさまざまな干渉や攻撃を受けた。
 まず国内では、ジョージアの政治的階層は、セルジューク朝出身のディミトリに支配されるのではないかと怖れ、議会は慣例に反して王配ディミトリの出席を拒否した。副宰相アヴァクを筆頭とする政治的階層は、その後もディミトリの追放を画策し続ける。
 また国外では、イスラーム国家であるホラズム朝が台頭しつつあった。皇帝ジャラルッディーンは、モンゴルへの復讐のために、ジョージアを手中に収めて国力を強化しようとした。彼はジョージアの王配の地位を狙い、ルスダンに手紙を送って求婚した。彼女に拒絶されたジャラルッディーンは、大軍を率いてジョージアに侵攻した。これによりジョージアは大打撃を負った。
 さらに、セルジューク朝は、密偵を通じてディミトリにルスダンとの離婚を勧めてきた。ホラズム朝の侵攻によってジョージアは弱体化し、ディミトリをジョージアに差し出しておく必要がなくなったからである。ディミトリは、ルスダンとの離婚を拒否しつつ、ホラズム朝への対抗手段としてジョージアとセルジューク朝の同盟を構想し、王宮の庭園で密偵と面会を重ねた。
 しかし、ディミトリと密偵との面会を掴んだアヴァクは、その場面をルスダンが目撃するように仕向けた。ルスダンはディミトリの足跡を追って庭園の奥に足を踏み入れると、そこには密偵と面会するディミトリの姿があった。その時にディミトリが発した「ルスダンとは離婚しても構わないと思っている」との一言を耳にして、ルスダンはディミトリが裏切ったものと思い込んだ。悲嘆のあまり、ルスダンは寝室で白人奴隷ミヘイルとの禁じられた関係に身を投じる。今度はディミトリがこの場面を目撃し、ミヘイルをその場で斬殺してしまった。
 ディミトリは、外国との内通及び宮廷内での殺傷の事実により古城に幽閉され、二人の関係は破綻した。すべてアヴァクの目論見通りとなった。

 四

 二人の関係の破綻は、ジャラルッディーンにチャンスを与えた。彼は、殺害される危機に瀕していたディミトリを救出し、自身に忠誠を誓わせた。ディミトリは、ジャラルッディーンにジョージアの内部情報を提供することを決意し、本当に内通の罪を犯すことになった。
 ディミトリから得た情報をもとに、ジャラルッディーンはトビリシを攻撃する。ルスダンは、トビリシに留まって抵抗を続けると主張するも、アヴァクから、ルスダンが無事であればトビリシを失ってもジョージアは再興できると説得された。ジャラルッディーンは、国王不在のトビリシを蹂躙し、イスラーム教に改宗しない市民を殺害するなどの暴政を敷いた。
 抵抗を続けるルスダンに対するジャラルッディーンの次の一手は、ルスダンへの再度の求婚であった。しかも、彼が求婚の使者として派遣したのは、ディミトリであった。ルスダンとディミトリは、寝室での殺傷事件以来はじめて再会することになった。
 二人はぎこちなさを抱えつつ、互いの無事を喜び、愛が変わらないことを確認する。そして、ディミトリは、トビリシ奪還のためにジャラルッディーンを裏切ることを示唆する。ルスダンは、危険なことはやめてほしい、あなたが生きてさえいればいいと叫ぶが、ディミトリはルスダンの声に背を向け、ジャラルッディーンのもとに帰る。

 五

 ディミトリは、ホラズム朝の内部情報を書き記した手紙を伝書鳩に託し、人目を盗んでルスダンに送った。ディミトリは、ジョージアだけではなくホラズム朝をも裏切ったのである。ルスダンはその手紙の内容を信頼し、ジャラルッディーンの不在を狙ってトビリシに最後の攻撃を仕掛け、解放に成功する。
 トビリシ陥落の報を受けたジャラルッディーンは、内通者の存在に気づき、疑いの目をディミトリに向ける。ディミトリはその疑いは正当なものだと認めたうえで毒杯を仰ぐ。遠のく意識のなかで、一度は命を助けてもらったジャラルッディーンへの報恩と、彼に蹂躙されたトビリシへの愛情の間で揺れる心境を吐露し、絶命する。
 ルスダンは、トビリシ解放も束の間、アヴァクより、ディミトリに関して報告があると告げられる。彼女は報告に耳を閉ざし、アヴァクに対し、もしディミトリが帰ってきたら議会は王配ディミトリの出席を認めるかと問い、アヴァクはこれを認める。
 ルスダンは、解放に湧く人波を避けて庭園に足を踏み入れると、そこにディミトリの足跡を見つける。足跡を追って行く先にあったのは、かつてディミトリがよくその下で過ごしていたリラの木であった。しかし、そこにディミトリの姿はない。ルスダンは一人で悲嘆に暮れるなか、本劇は幕を閉じる。

 六

 本劇はディミトリの死という悲劇的な結末を迎えるが、その端緒はルスダンとディミトリの関係の破綻にある。なぜ二人の関係は破綻したのか。この点の検討を通じて、本劇の感想に代えたい。
 破綻の直接のきっかけは、ルスダンがディミトリと密偵の面会を目撃したことによる。ディミトリの発した一言をもってルスダンが裏切られたと感じる展開は、いささか急転であると感じられるかもしれない。しかし、この短絡こそ、ジョージアの政治的階層が抱える問題を端的に示している。
 ジョージアの政治的階層は、言葉を信用することができない。ギオルギ国王時代は平民出身のバテシバに、ルスダン国王時代は外国出身のディミトリに疑いの目を向けた。バテシバもディミトリも、王配としてジョージアに対する忠誠の言葉を述べていたはずである。しかし、バテシバは王宮を去ることになり、ディミトリは言質を取られて命の危険に晒される。ジョージアの政治的階層にとって、言葉は、他者を信用する手段ではなく、排除する手段である。
 このような排他的なメンタリティは、ルスダンとディミトリの関係にも影を落とす。かつてバテシバに「あなたのことは嫌い」と言い放ったルスダンは、政治的階層とこのメンタリティを共有していた。先に触れたルスダンの短絡は、ホラズム朝のプレッシャーが高まるなか、排他的メンタリティがディミトリとの関係において発露してしまったものと解釈できる。

 七

 ルスダンとディミトリの関係の破綻は、本劇の世界における婚姻の役割からすれば、運命であったと見ることもできる。
 もともと、ルスダンはいずれ外国に嫁ぐ身であり、ディミトリは外国からの人質であった。二人はジョージアの政治的階層の周縁に位置し、その婚姻は望もうとも叶うはずがなかった。それを可能にしたのがギオルギの死である。ルスダンとディミトリの婚姻は、王族によるジョージア支配の維持という目的においてはじめて可能になったのである。
 婚姻を政治的権力の所在と結びつける考え方は、ジョージアの政治的階層に限られない。ジャラルッディーンは、二度にわたってルスダンに求婚した。彼は、王配になればジョージアの支配権を掌握できると考えたのである。観客の目は、ディミトリを愛するルスダンにあえて求婚するジャラルッディーンの非道にばかり向かうだろうが、婚姻を権力の手段として考える点では、ギオルギもジャラルッディーンと同じである。
 婚姻が誰かの権力の手段である世界では、婚姻が自分の権力の妨げになれば、簡単に除去すべき対象になる。ディミトリに疑いの目を向けるジョージアの政治的階層にとっても、ジョージアの支配権を狙うジャラルッディーンにとっても、ルスダンとディミトリの婚姻は障害であったのである。

 八

 政治は言葉に対する信用なしには成り立たず、婚姻は二人の関係性それ自体の保障なしには立ち行かない。国王ルスダンと王配ディミトリの悲劇は、ジョージアにおける政治と婚姻の機能不全によるものであったと私は考える。
 この悲劇は、遠い過去のものとは思われない。観客は、本劇が描く十三世紀初頭のジョージアに、現代の日本が抱える病理を見ることができるだろう。

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