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「伊勢物語」から「古今和歌集」へ

『伊勢物語』のお話を始めたところ、なぜだか話題が餃子になって、そこから焼き肉に移り、ブリティッシュ・ロックにスライドして、ついには外国語学習の効果的な方法に飛んで行きました。
そろそろ戻したいと思います。

「東下り」の段、最初の歌はこれです。
唐衣 着つつなれにし 妻しあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ

この歌、
「『かきつばた』という五文字を句の上に据えて歌を詠め」
というリクエストにお応えして詠んだそうです。
五七五七七、の各句の先頭の文字、すなわち、
「からころも」の「か」
「きつつなれにし」の「き」
「つましあれば」の「つ」
「はるばるきぬる」の「は」
「たびをしぞおもふ」の「た」
みごとに「かきつばた」が詠み込まれている。

このテクニックを「折り句」といいます。
実はけっこう古くから使われるテクニックで、『古今和歌集』には盛りだくさん。
をぐらやま みねたちならし なく鹿の へにけむ秋を しる人ぞなき
わかりますね。
「をみなへし(おみなえし)」が隠れています。

時代は違いますが、『徒然草』で有名な兼好と、お友達の頓阿はこんな歌をやりとりして遊んでいました。

兼好から頓阿へ
夜も涼し 寝覚めの仮庵(かりほ) 手枕(たまくら)も 
真袖(まそで)も秋に 隔てなき風

頓阿の返事
夜も憂し ねたく我が背子(せこ) 果ては来ず 
なほざりにだに しばし訪ひませ

まず、兼好の歌は各句の頭を見ると、「よねたまへ」となります。
つまり、「お米をください」。
そして、各句の最後の文字を第五句から逆に追っていくと、「ぜにもほし」。
つまり、「銭も欲しい」。

頓阿がちゃんと返事をしています。こちらも第一句から頭の文字を追うと、
「よねはなし(米は無し)」
第五句から最後の文字を逆上っていくと、
「ぜにすこし(銭少し)」

頓阿は有名な歌人です。兼好とともに二条派の「和歌四天王」と呼ばれていたとか。
溢れる才能を持って、こんなことして遊んでいたんですね。

『古今和歌集』には、「物名(もののな)」という部が立てられています。
歌の中に何かの名を隠し詠む。
かなり知的な遊戯です。

今いくか 春しなければ うぐひすも ものは眺めて 思ふべらなり
紀貫之の歌です。
ここに「スモモの花」が隠れている。
今いくか 春しなければ うぐひすも ものはながめて 思ふべらなり

負けじと詠んだのがこれ。
逢ふからも ものはなほこそ 悲しけれ 別れむことを かねて思へば
探せます?
逢ふからも ものはなほこそ 悲しけれ 別れむことを かねて思へば
「唐桃の花」が隠れていました。
詠んだのは清原深養父(ふかやぶ)、清少納言の曾祖父です。

『古今和歌集』はこんな風にテクニック自慢の歌が多かった。
だからかな?
後の世の正岡子規という方は『古今和歌集』を否定して、こんなことを言っている。
「貫之は下手な歌詠みにて、古今集はくだらぬ集にて・・・」
『万葉集』的な実直・素朴を良しとすれば、テクニック重視の『古今和歌集』は認めがたかったんでしょうね。

ま、好き好きは人それぞれ。
私は『古今和歌集』の歌、嫌いじゃないな。

今回は『伊勢物語』から『古今和歌集』へのジャンプ。
良識内のジャンプでした。

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