仕事の話。
私の指示で動いた部下。
部下の動きを見て、
「あいつ今日、良かったな。」
と上司がほめる。
よくあることだ。
このとき、私はどうしても言いたくなる。
「その指示出したの、僕ですよ。」
出た。
自分の中の武藤敬司。
それも、解説者として呼ばれたときの武藤敬司だ。
彼は自分の得意としているドラゴンスクリューという技を決めた選手に対して
「あれ、オレの技だよ!」
と解説する。
私の気持ちは、そのときの感覚に近いのではないだろうか。
ここは自分が出しゃばるところではない。
素直に下の者の評価が上がったことを喜ぶべきだ。
ただ、どうしても自分の手柄にしたい。
これはなぜなのだろうか。
武藤さんの場合は、
「その技で盛り上がってるのは、業界の先輩でオレが下地を作ったからだぜ?」
という思いがあるからではないだろうか。
自分の技を後輩が使う。
会場が盛り上がる。
「誰が頑張ってきたおかげ?」
そう言いたくなる気持ちは大いに分かる。
私の場合はこうだ。
活躍した部下を褒める上司に対して
「そいつ、なんの指示もなしでそれ出来るほど優秀じゃないですよ。」
「私が口出したに決まってるじゃないですか。」
そういう気持ちがある。
武藤さんの嫉妬が観客へのものなら、
私の嫉妬とは上司に対してのものだ。
後輩や部下が活躍することは素晴らしい。
結果的に、自分の指示や教えが間違っていなかったことの証明になる。
ただ、感謝を示してほしいのだ。
願わくばそいつに言ってほしい。
「○○さんのおかげです。」
と。
その手柄は自分だけのものと思うな。
そうなると、やはり口出ししたくなる。
おそるべし、自分の中の武藤敬司。
こんなところにも潜んでいたとは。
いや、もしかしてフルポン村上か?
ネタを考えているのは自分。
相方の亘に対して
「お前は幸せな家来だと思え。」
と、言ったとか言っていないとかでおなじみのフルポン村上か?
いま、あなたが芸能界にいるのは誰のおかげ?という気待ちと同じ?
いや、そうなると話は変わってくる。
まあ、物は言いようだ。
ここは「武藤敬司」にしておこう。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!