見出し画像

雅楽

京都芸術大学公開講座2022 

日本芸能史 第4回  
講師 東儀秀樹さん


今回は雅楽師の東儀秀樹さんが講師だった。
東儀さんのことは、高校時代に仏教の授業で少し聞いたことがあるくらいで、詳しくは存じ上げていなかった。
今回の講義で雅楽を通して、東儀さんの人生哲学を垣間見、東儀さんの雅楽の世界観に惹きつけられてしまった。講義の翌日、図書館で東儀さんの著書『雅楽 僕の好奇心』を借りた。この本の中で、東儀さんはこんなことを記しておられる。

…たかだか千年や千五百年で人間の奥に持つ感情が変わるはずがない。僕としてはそう信じている。むしろ雅楽が、昔はあったはずなのに今は忘れかけている人間本来の感受性を喚起させるきっかけになればいいとさえ思っている。そのためにもきちんと雅楽のことを伝えたい。気の遠くなるような歴史と完成度をもつ雅楽の継承者として、いかに雅楽が哲学的な深い世界観を持っているかを、正しい知識とともにここで理解してもらいたいと思い、本書を書こうと思いたったのだ。(p20)

東儀さんは宮内庁雅楽部に在籍し、その後、宮内庁をお辞めになってソロデビューをなさった。
「異端児」と捉えられている東儀さんだが、雅楽やその時代の暮らしの文化が、ただ精神世界の中だけに存在するのではなく自然の摂理といかに調和してきたか、ということに関して深い考えを持っておられる。

雅楽は元々西からきた文明であるとされているが、今では日本にしか残っていない。
「天からふりそそぐ光」といわれる笙(しょう)の音、「人の声(地のおと)」といわれる篳篥(ひちりき)の音、「龍の声(天と地を行き交うもの)」といわれる龍笛(りゅうてき)の音。講義でそれぞれの音色を聴いて、私は身体の奥から何かが沸き起こる心地よさを感じた。聴いた、というよりも楽器の音色と身体が共鳴した、という方が感覚的には近い。心地よい音のゆらぎを体感した。
音の幅があることで微妙な変化を表現できることは雅楽器の大きな特徴だ。雅楽は高尚な音楽で難しいものだとばかり思っていたが、楽器の音が伝わってきた途端に私の思い込みはひっくり返された。
音が、こんなにも人を包み込み、人と共に響いてくれるものなのかと感動してしまった。

雅楽器の音について、東儀さんは、出た音の形に寄り添い、全ての生命体に通じる音の揺らぎを追究しているということをおっしゃっていた。確かに、音は波であるから、あらゆる動物や植物に影響する。
機械文明が発達していなかった平安時代の人々は、現代人よりも自然との調和というものをよく分かっていた。自然との調和を統計し、整理し、当時の人々は占星術や陰陽道を発達させた。そして、雅楽の曲は占星術や陰陽道に基づいて演奏される。(例:ソ=東=春=青)

自然の中で生きる人々にとって、自然との調和はごく普通のことだ。
今、雅楽がどんなものかよく理解できないという人が多い理由の一つとして、現在の私たちの暮らしが自然と調和をせぬ様になってきていることが挙げられるのではなかろうか。

千三百年前に自然と共に育まれた雅の音を実際に体感し、東儀さんのお話を聞いて当時の思想や文化についてより理解が深まった。雅楽器の奏でる音を感じ、私はつい、平安貴族たちの暮らしに想いを馳せてしまう。彼らが過ごした、いとおかしな世界に引き込まれてしまいそうだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?