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今、私を包んでいるものすべて

私という人生を半分生きた。

今、自分を包んでいるものすべてを
私は「ゆたかさ」と呼びたい。


ーーー


「2つを繋ぐパイプになって欲しいんだ」
会社が分かれることになった時、社長が言った。


まただ…


思い返せばずっと昔からそうだったのかもしれない。
人と人を繋ぐパイプ役、それが他人から見た私の適所だった。





「suzucoとは親友だけど大親友はミユキだから」
ミユキがお休みの日、サトコが言った。

4年5組、仲良しトリオ。小学校からの帰り道はいつも一緒だった。キャンディーズの歌を練習して地域のノド自慢大会に出たこともある。衣装は3人で買いに行って決めた水玉柄のワンピース。赤、青、黄の3色が揃っていたからみんなで大喜びして売り場のお姉さんに笑われた。確か私はスーちゃんで、黄色を着ることになった。

2人では物足りない、3人が楽しい。でももし定員が2人ならサトコはミユキを選ぶ。子供は残酷だ。ミユキが私と仲良くするのを見て気持ちが揺れてしまったとはいえ、私だってちゃんと傷つくのに。両方が大親友じゃどうしてダメなんだろう。

悪気なんて全くなかったのだと思う。サトコとミユキは私を繋ぎ目にしてますます仲良くなっていった。相変わらず帰り道は3人で、交換日記も公平に1日ずつ回してはいたけれど。





中2の時、休み時間のたびに私の席に一人の女の子が来るようになった。
その子はとてもかわいらしくて、所属しているバレー部では珍しくおとなしい感じの子だった。私はテニス部で、バレー部の子たちとは全く雰囲気が違う。それまでほとんど接点のなかった部活の子と話すのは楽しくて、私は仲良しの友達にも彼女を紹介した。


「suzucoさぁ、利用されてるんだよ。バレー部でもめて一人になっちゃったから急に寄ってきてるんでしょ。ほっときなよ」

彼女のいないところで忠告された。そういえば噂が出ていたかもしれない。友達の好きな子だと知っていながら、その男の子と付き合ったとかなんとか。それでも私は彼女を嫌いになれなかったから一緒におしゃべりをしたり、トイレに行ったりを続けた。

数ヶ月後、彼女は私の席に来なくなった。バレー部の仲間たちと和解できたらしい。よかったねと言うと、彼女はありがとうと言ってちょっと笑った。





高校でもテニス部に入った。
部活紹介のイベントでは「エースをねらえ」のパロディが大評判で、お蝶夫人役の先輩に惹かれたという子がたくさんいた。でも私の入部理由はただ一つ、他にできそうなことがなかったからだ。運動部には入りたい、けれどスポーツが不得手だった私は、同じことを長く続けていくことでしか楽しむ方法を知らなかった。軟式から硬式に変わっても、中学から続けてきたテニスならなんとかなるはず。そんな気持ちで入部を決めた。


テニス部は人気で、1年生だけで約20人が集まった。海までのランニング、素振りと球拾いばかりのメニュー、練習後に土のコートを整えるローラー引きなど、先輩たちに毎日しごかれた。でも仲間と過ごす時間は本当に楽しくて、真っ黒に日焼けした顔で泣いたり笑ったり、大忙しの日々だった。あっという間に2年になり、先輩たちの引退が近付いたある日、次期部長が発表された。そろそろだと思っていた何人かは、数日前から予想を立てていた。


「ユキとマミ、どっちが部長かな」

「二人ともかわいくて上手だしさ、どっちになってもまた部員増えるよね」


みんな仲良しだったけれど、実はふんわりと二人の取り巻きができていたから、部室では時々こんな会話が聞こえてきた。無所属の私はそれには参加せず、一人に決めなきゃいけないなんて先輩たちも大変だなぁ、などと呑気に構えていた。だから当日、みんなの前で自分の名前が呼ばれた時には、すぐに気付くこともできなかった。


「部長はsuzuco、副部長にユキとマミ。みんなで3人を助けてあげてね」

落胆とも違う微妙な空気感。ユキとマミはもちろん全員が混乱していた。少し遅れて状況を理解した私は、部室を出ていく先輩を慌てて追いかけた。補欠の部長なんてありえない。自分には無理ですと伝えると、先輩は私を部屋の外に出し、ドアを閉めてから言った。

「二人のどちらかではダメなの。だからsuzucoにしたんだよ」



ーーー


その後、進学して就職して母になった。
いろいろな環境に身を置きながら、少しずつ自分の役回りを理解していった私は、いつしか自分からパイプ役を引き受けるようになった。といっても、その役が好きになったわけではなくて、やる人がいない状況を見過ごすことができなくなっていただけ、だけれど。


当然、面倒だと思ったこともある。繋いだ人間関係に振り回されてヘトヘトになったこともある。それでも繋ぐことをやめずにいたら、私のまわりには少しずつ人が集まってくれるようになった。そこには新しい出会いもあったし、一度離れたものが戻ってくるような懐かしさもあって、そんな時私はいつも、時間の尊さを感じた。中学時代のあの子も、今ではグループLINEのメンバーだ。他のバレー部の子たちと一緒に。


何か特別な出来事があったわけではない。

父を亡くした時、旧友たちが支えてくれた。
子育てに悩んだ時、先輩ママが心を軽くしてくれた。
自粛で仕事が減った時、仲間が声をかけてくれた。

そんな、いくつもの出来事が積み重なって、
今さらだけれど気付けた大事なことがある。


辛い時、声をかけてくれる人がいること。
嬉しい時、一緒に喜んでくれる人がいること。

誰かと誰かを繋げることしかできないと思っていた私も
みんなとちゃんと繋がっていたのだということ。


だから私は、
今、自分を包んでいるものすべてを「ゆたかさ」と呼びたい。




次に立ち止まった時、この「ゆたかさ」はカタチを変えているだろう。
どんどん増えていく繋ぎ目とともに。


でもそうやって動き続ける限り、未来の私はきっと幸せだ。


どんな所に立っていても
私を包む「ゆたかさ」は変わらず、あたたかいはずだから。





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「#ゆたかさって何だろう」コンテストに参加させていただきます。





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