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苦いのも甘いのもどっちも好きなんだ

「おねがいっ!甘めにしてー。」

息子が必死に訴えるのがおかしくて吹き出しそうになってしまった。
ダメダメ、彼は必死なんだから。


***


休校が5月31日までに延長となってすぐのこと、息子の通う小学校では期日指定のある課題が追加された。再開時期が不確かだった4月中は「できたらやりましょう」だったものが「がんばってやってみよう」に変わっている。まず5月の前半分をやり終えて中旬に提出すると、引き換えに後半の課題をもらえる段取りのようだ。添えられた手紙には、提出は生徒ではなく保護者にお願いしたいと書いてあった。変換すると、保護者のみなさん、きちんとチェックしてくださいねとなるのだろう。


それにしても結構な量だ。復習だけでは再開後に追いつけないと判断したらしい。料理を作って家族に食べさせようなんていう変わり種や、習っていない単元のプリントを教科書を見て解いていくハイレベルなものもある。苦戦する子の多そうな算数ドリルには答えがついているから、わからないけどまぁいいっかと写す子がいるかもしれないが、きちんと理解した子との学力の差は当然開くだろう。休校期間の長さに比例して。


幸い息子は不正のできないタイプだ。例えば私が店のレジに向かう時にうっかり「出口」と書かれた札の方から入ろうものなら大変。すごい勢いで飛んできて、違うよと小声で言いながら袖を引っ張って連れ戻す。うん、そうだ、確かに息子が正しい。でも誰も並んでいない時はどうだろう。「入口」の札はずっと先だし、レジの店員さんはどうぞという顔でこちらを見ている。今回はいいよねと試しに歩き出すけれど、やはり息子は許してくれない。結局私は店員さんが見守る中、離れた「入口」まで行き、誰も並んでいない通路をロープに沿って小走りしながら数回折り返してレジに向かうことになる。正しいことをしているのになんだか恥ずかしい。いや、恥ずかしいと思う心が恥ずかしいのか。大人はなかなか厄介だ。


そんな息子だから答えを見て写すなんてことは絶対にしない。よく考えて自分の力で解きなさいと先生にいつも言われているのだからズルはダメ。うん、そうだ、確かにキミが正しい。でもそこまで杓子定規なのに、漢字練習ノートのマス目から文字がはみ出しても、消し残した文字の上に重ねて書いてしまっても、平気な顔ができるのはなぜだろう。こんな文字書いてたら減点されるよ。別にいいんじゃない?えっ、いいんだ。みんなに迷惑をかけることはダメ、でも自分だけのことならまぁいいかになる。キミもなかなか厄介だ。


結局、真面目なのか適当なのかわからない息子だけれど、解けない問題をそのままにするのは嫌なようで、近頃の私は度々息子からお呼びがかかる。

「この答えであってる?」

どれどれ。
小学校の算数くらい余裕だよね。

あれ?
ん?

得意げに問題を解説しはじめたものの、私は途中で固まってしまった。答えは出せる。でも解き方をうまく説明できないのだ。こんなの“比”で出しちゃえばいいじゃん、なんて通じない。xとyを使わずにどうやって説明すればいいんだっけ?えーと、まだ分数の計算やってないんだ。じゃぁ違うやり方のほうがいいんだよね。うわ、なに、こんな面倒な計算するの?ちょっと、この答えであってる?

息子にされた質問をそのまま返している母。情けない。

蓋を開ければ社会も理科も覚えていないことだらけで、私は教科書や資料集を慌ててめくっていた。Youtubeで簡単な授業をしてくれるチャンネルを見つけて一緒に勉強をすれば、先に理解した息子に説明を受ける始末。心はもうペチャンコだ。別に格好つけるつもりはなかったけれど、母はお利口だと信じている息子をガッカリさせるのはやはり残念でならなかった。


と、そんな時に飛んできた言葉。

「おねがいっ!甘めにしてー。」

そうだそうだ、唯一私が立派に見える教科が残されていた。
ペチャンコの心が膨らみだす。
ありがとう、ありがとう、国語!


自粛になる前、私は息子の宿題を確認していなかった。もう高学年だし、そこそこ成績は取れていたから安心していたのもある。仕事で自分に余裕がなかったことも大きい。でもその時から息子は、読書感想文や作文だけは私に目を通してほしいと言っていた。おそらく前に相談に乗った作文が褒められたことで、この類は私を信用するのもいいと思ったのだろう。簡潔に書きすぎて言いたいことが抜けがちな息子に、みんなに届けるにはもう少し文字を足した方がわかりやすいんじゃない?とアドバイスするのが毎回の役目だった。

よし、ここは挽回のチャンスとばかりに課題のプリントを受け取る。

登場人物の気持ちをシーンごとに並べて書き込むフォーマットには、息子の不揃いな字が並んでいた。教科書に載っている話を読んで、揺れ動く男の子二人の心情をプリントに書き出すという課題らしい。男の子の名前は律と周也。

ジャッジしろと言いながら、息子は私のOKが出ないことをちゃんと知っている。だから「甘めに(採点)して」と言ったのだ。掌を顔の前で合わせる姿がかわいくて笑いそうになったけれど我慢。ここは威厳を保たなければ。


「まずは話を読ませて。」
そう言って教科書を受け取った。『帰り道』というタイトルがついたその話は、些細なことで気まずくなってしまった幼なじみ二人が、互いの気持ちを探りながら関係を修復しようとする短編だった。


昼休み、律と周也はクラスメイトたちと二つの物のどちらが好きかを話していた。海と山、夏と冬、カレーとラーメン。他の子たちがポンポン答える中、律は言い淀んでしまう。どっちかな、どっちもかな。はっきりしない律に周也はイライラして、どっちも好きなのはどっちも好きじゃないのと一緒だと言ってしまう。軽い気持ちで発した言葉が律を傷つけたことに気づき、周也は放課後の野球の練習を休んで昇降口で律を待つ。物語は、微妙な空気の中、二人で一緒に帰りはじめるシーンから始まっていた。

活発な周也とおとなしい律、お互いの目線で見える景色をそれぞれの立場から描いた物語は私の心をひどく揺さぶった。わかりたい、わかって欲しい、でもそれがうまく伝えられずに歩調が合わなくなっていく二人。クライマックスで突然の天気雨が降ってくると、思わず二人ともはしゃいでしまい、止んだ後にバツが悪くなるのだが、それをきっかけに律は周也に思いを伝えようと決心する。晴れも雨も好き。本当にどっちも好きなんだ。周也は静かにうなずき、二人は並んで帰っていく。


***


「ねえ大丈夫?」

「うん。」



「でも…
 なんで泣くの?」

私にティッシュを渡しながら息子が言う。

「わかんないけど、涙が出てきた。」

「もうしょうがないなー、コーヒー入れてあげるから待ってて。」

まったく、どっちが親だかわからない。
キッチンに向かう息子の後ろ姿を眺めながら、
いつの間にこんなに大きくなったのだろうと思った。


結局、頼みの綱の国語でも名誉挽回とはいかなかった。
改めて読み返した課題のプリントには主人公と同年代らしい解釈が書き込まれていて、私が赤入れする必要はなさそうだ。あえて注文をつけるなら文字が線からはみ出ないようにとか、ゆっくり丁寧に書いてとかだけれど。きっと息子は、別にいいんじゃない?と言うだろう。

絶対にダメなことと、まぁいいかと思うこと。
息子にとってはどちらも本当で大切なのだと思う。




言葉にできない気持ちがある。
一つに決められないことだってある。

人の気持ちはいつだって複雑でわかりにくいから
私は大切な人のすぐそばにいたくなってしまうのかもしれない。

一緒に天気雨を見てはしゃげるほど近いところに。




「ブラックでいいんだよねー?」

キッチンから聞こえた声に、うんと答えようとして考え直した。


「おねがいっ!甘めにしてー。」



ちょっと味わってみたくなったのだ。
苦手なコーヒーを一緒に飲んでくれたあの人の気持ちを。

聞こえてくる言葉しか信じられなかったあの日の私がつかみそこねた優しさに、今なら手が届きそうな気がしたから。







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