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おだんごをたべたのは

「すずちゃん、もうやめてよぉ」

耳まで真っ赤だ。
私から冊子を取り上げようと
一生懸命になっている姿がかわいくて、
つい意地悪をしてしまう。

「おつきさまがー、」

「きゃぁ〜っ」

「ひとくちー、」

「わぁ〜っ」

「たべて くれました!」

「もう、やだぁ〜」


文節ごとに強調して読み上げると、
姪はぷぅーっとほっぺたを膨らませた。


12年前、姪が書いた作文が市の文集に載った。おばあちゃんと一緒におだんごを作り、窓辺に飾ってお月見をしたという話。当時まだ小学1年生だった彼女が一人で書きあげた作文は、短文がたくさん集まって組み立てられていた。素敵な情景描写がある訳でもなく、つながりが唐突だったりもする約500文字。それでも伝えたい思いがギュッと詰め込まれた文章は読み手の心を掴んだらしい。

だんご粉さえあれば、おだんご作りはそう手間ではない。粉に砂糖と水を入れてこね、ひとつずつ まるくまとめてお湯に落とす。茹で上がったら氷水にくぐらせ水分を拭き取り、うちわであおいで冷ませばできあがり。熱湯にさえ気をつければ、子供メインでも十分 作ることができる。


作文の中で、おだんごを茹でる工程はこんなふうに書かれている。

まるめたあと おだんごをあたためました。
あたたかくなって おだんごがぜんぶういたら、
おさらにうつしました。

茹でる、という言葉を知らなかった姪には、大きなお鍋に入れられたおだんごは、のんびりお風呂に入っているように見えたのかもしれない。

次々に浮かび上がってくるおだんごを指差しながら大喜びしていたのよ、とおばあちゃんに言われて、姪はすっかり観念したようだった。おとなしく話を聞きはじめたショートヘアの横顔に、ツインテールの少女が重なる。

懐かしいな。

「おだんごは、おこめのこななんだよ」
と、おばあちゃんにおしえてもらいました。
わたしは おだんごづくりが とくいになりました。


得意だと言い切っているのが微笑ましい。きっと今までで最高の出来だったに違いない。まぁ、その日のおだんご作りが2回目だったというのは、ここだけの話。

作文は続く。

お月みの日に、お月さまがおだんごをひとくちたべてくれました。


このあと、嬉しくなって自分もたくさん食べたことや、おだんご作りの感想などが書かれているのだけれど、この作文のクライマックスは やはりこの一文だ。


文集を読んだ友達のお母さんは、お月さまを擬人化するなんてすごいと絶賛し、作品を推薦した担任は文末に「おばあちゃんとつくったおだんごは、お月さまにもよろこんでもらえて、とってもおいしかったのですね」という感想を書き添えてくれた。

作文は国語の授業中に先生によって読み上げられ、クラスメイトの前で褒めてもらえたそうだ。

でも姪は腑に落ちないらしい。

「先生がね、“みんなもミオちゃんみたいに想像の羽を広げられるといいですね“って言ったの。どうしてかな」


無理もない。

あの日彼女は、窓辺におだんごを飾ってお月さまを眺めたあと母親とおふろに入った。待っている間に私は、積み重なった15個のおだんごからひとつ取りだして、ちょこっとかじって元に戻しておいた。

「お月さま、まだいるかなぁ」

ほっぺたを真っ赤にしてかけ足でリビングに戻ってきた姪は、窓に駆け寄りカーテンの隙間から空を見上げた。残念ながら月は見えない位置に移動していた。


がっかりする姪におばあちゃんは、お月さまは帰ったからミオちゃんもおだんご食べていいよと声をかけ、多めに作っておいた おだんごをお皿に乗せて持ってきてくれた。

ほんのり甘くて少し硬めが姪の好み。フォークに刺して、あんこもきなこもなにもつけずにパクッとかじりつく。ゆっくりゆっくり、まずひとつ。時計の秒針までのんびり動いているみたいに静かな夜だった。


「おばあちゃん、おだんごおいしくできたねぇ」

上機嫌のまま、2つめを口に入れた時、ふと窓際に目をやった姪が何かに気付いた。


「ママー、見て!」


「ママ、はやく〜。お月さまが来たぁ。おだんごを食べてくれたよぉ」


ミッションクリア。
私は妹と目配せをする。


「それでね、休み時間にタケシくんがね、ミオのことばかだなーって笑ったの。お月さまが食べるわけないじゃんって。そしたらあっこちゃんが、そんなこともわからないの?ミオちゃんは心の中でお月さまが食べてくれたって思ったんだよ、ってタケシくんに言って」

「違うのに。ミオは心で思ったんじゃないのに。ほんとなのに。ねぇママ、お月さま来たよね?そうでしょ?ねぇ、ミオに本当のことを教えて」

姪は忘れている。もっと小さい頃、何度かやったことのあったお月見あそび。ある年はパパが、別の年にはおじいちゃんがお月さま役になっていた。当時、子どものいなかった私は何度かそのお月見に同席していて、ママの腕の中ではしゃぐ姪に癒されていた。仕事ばかりしているうちに年を重ね、もう子どもを授かるのは難しいとあきらめていた私に、母になりたいと思わせてくれた天使の笑顔。そう、今も昔も私は相当な伯母バカなのだ。


あのお月見の日、妹夫婦が同居している実家に息子を連れて遊びに帰っていた。楽しそうにおだんごを作っている姪を見て、誰からともなくもう一度やってみようという話が出た。私はお月さま役に立候補した。

結局、妹は真相を話して謝ったそうだ。共犯、のはずがいつしか主犯になってしまった私は後日 謝りに行ったけれど、姪はいつものように笑ってくれなかった。多分「お月さまだよ〜」とおどけて見せたのがいけなかったのだと思う。

天使に嫌われてしまうなんて。慌てた私はそれから毎回おみやげを持参した。要するにご機嫌取りだ。好物のいちごチョコ、シルバニアファミリーの家具、ルロロマニックのキーホルダー。ごっこ遊びもたくさんやった。音読の宿題にも付き合った。

数日後、私は晴れて“仲良しのすずちゃん“に戻ることができた。



それから数年たって。

息子が幼稚園に通い始めると、姪はお月見あそびをやりたいと言い出した。もちろん自分がお月さま役。

かじったおだんごになかなか気付かない息子を必死に窓際まで連れて行く。種明かしする前にバレてしまいそうだとハラハラしながら、やりとりを見ているのはとても楽しかった。

二人はずっとこのあそびを忘れないだろう。




数年前、息子にもおだんご作りブームがやってきた。おばあちゃんに習っている写真が残っている。

こねてまるめて…

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全部のおだんごが浮かんだら…

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氷水にいれ、水気を拭き取り、うちわであおぐ。

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教えてもらう側だけじゃない、教える側にとってもうれしい時間。

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おばあちゃんのおだんごは、キッチンに立つ子どもたちに自信を与えてくれた。

子どもたちの笑顔は、大人たちの心をあたためてくれた。

お月見のルーツや意味合いをはっきり理解していなくても、興味を持って調べれば今はなんでもわかる時代だ。幼稚園や保育園でも十五夜のお話をしてくれる。それをいいことに私は簡単な説明しかしてこなかった。

でも代わりに、短くてもいいから“一緒に月を眺める時間”を持った。

「いつも見守ってくれているお月さまに感謝しようね」
そう言って空を見上げた。

その記憶が息子の未来につながってくれたなら。
楽しみ方はきっと自分でアレンジしてくれるだろう。



2021年9月21日、
今年の十五夜はぴったり満月。

美しい月の下、やさしい記憶がまたひとつ増えていく。



*****

こちらの企画に参加させていただきました。

手作りだんごのいいところは、サイズや硬さの調節ができるところ。やわらかいおだんごを食べさせるのが不安な幼少期は特に、大きさや歯ごたえにこだわって作れて便利でした。

そしてこの“お月見あそび“、子供たちのリアクションがかわいくて、とても楽しいんです。嘘をつくことになるので胸を張ってお勧めできないのが残念ですが…

懐かしい思いにふれ、子供たちの成長を感じることができました。貴重な機会をいただき、ありがとうございました。

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