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余裕がない日もあなたの音になりたい

初めて会ったのは夏の日。彼女はカラフルな絞り染めのTシャツにデニムのショートパンツという姿でベンチに座っていた。無防備に投げ出された足は程よく日焼けしていて露出が多くても官能的には見えない。あどけなさの残る横顔が追う視線の先には見慣れぬ少年がいて、あぁまた随分かわいらしいお母さんが来ちゃったなと思った。

こういう時の私がとても嫌いだ。仕事が好きだからと結婚話を反故にしたのは自分でしょ、心の中で吐き捨てる。20代後半、次々に苗字を変えて行く友に同調できず、好きなことをやり続けたのは私。自らの意志で選んだ道の途中にいるくせに、今さら若さを羨むのはお門違いだし、第一、私の心の未熟さは彼女には全く関係がない。

ふう、とたまった毒を出す。息子を3歳から預けているサッカークラブですっかり古株の私は、入会を検討しているお母さんの話し相手になることをコーチから暗に頼まれていた。

「こんにちは、体験ですか?」近づきながら声をかける。

あれ?

「こんにちは」ともう一度。それでも振り向かない彼女を前に、あっ、この違和感知ってると思った。



学生時代、アルバイト先のレストランで知り合ったパートさんがいた。社員にも一目置かれるほど仕事ができてほんの少し言葉のキツイ女性。でも実は面倒見がよくあたたかな彼女の人柄に惹かれ、次第にプライベートでもご一緒させてもらうようになった。

ある時、知らせたいことがあって後ろから小さな声で話しかけた。仕事中だったからこっそりと。

あれ?

あの日も思ったのだ。
もしかして届いてない?と。

「私、左耳が聞こえないのよ、若い時から」

あっけらかんと言われてうまく返事ができなかった。だからついイライラした感じになっちゃって声も大きくてごめんね、と笑う姿に、言葉じりがキツく感じるのには訳があったのかと納得した日を思い出した。


ベンチに意識を戻し、彼女の視線に入る位置からゆっくり近づく。私に気づいた彼女は慌てて立ち上がるとペコっと頭を下げ、そのあとニッコリ笑った。

その時、向こうから誰かが走ってきた。すいませーんと近づいてくる年配の女性。

「娘は…ユリは、聞こえなくて。孫もなんです。サッカーやりたいって言うもんですから。すみません、お願いします」

息を切らしながら見つめられて、やっぱり私はうまく返事ができなかった。



息子より4つ上のゴウくんはサッカーが上手だった。ホイッスルの代わりにコーチが手で合図しているのを見なければ聞こえていないとは誰も思わないくらいに。正直、大きなコートでポジションを決めて練習するクラブでは厳しかったかもしれない。でも息子のクラブは異学年と交流しながら心の成長を促すという方針だったから、ゴウくんはいつも楽しそうにボールを追っていた。

ゴウくんには妹がいた。笑うと右頬にだけエクボができるかわいい子。“学園祭でダンスを踊る、ゴウの方は劇の主役“ ユリちゃんはそう紙に書いたあと “見に来れる?“ と付け加えながら不安そうにこちらを見た。とにかく安心させたくてうんと首を振った。聾学校の場所を確認しながら、そういえば今までそこに学校があったことさえ知らなかったなと思った。

ゴウくんの入会後すぐ私たちはノートで筆談を始めていた。仲良くなってからは隣でLINEを送りあったり、口を大きく動かして話したり、ジェスチャーをしてみたり。工夫することで意思疎通もまあスムーズにできていたと思う。それでも学園祭の日は目を見てまっすぐ気持ちを伝えたかったから「すばらしい」という手話をひとつ、息子と練習してから出かけた。


初めて入る聾学校。緊張しながら体育館を探す。途中、ユリちゃんのご両親と出会えてホッとする。曲に合わせた華やかなダンスとナレーションに合わせた白雪姫の劇、息子が隣に座っていなかったらきっと涙を堪えられなかったと思う。2人とも、いや、演じていたすべての子供たちが一生懸命で心がキュッとした。舞台から降りてきた2人に金色のコインチョコで作ったメダルを渡し、覚えたての手話を披露する。素敵だったよ、とても。近くにいたユリちゃんのお母さんは目頭を押さえていた。



「今日はパパが迎えにきます」
ある練習後、ユリちゃんに連れられて駐車場に行くと背の高い男性が車から降りてきてお辞儀をした。この家族は本当に笑顔がキュート、つられてこちらまで頬がゆるむ。彼は手話でユリちゃんに何か伝えたあと紙袋を手渡してこちらに向き直した。ユリちゃんはありがとうと大きく口を動かして、その袋を私にくれた。

中身はこの辺りで評判のケーキ屋さんの焼き菓子だった。リッチなスイーツ。手を振って車に乗り込む4人を見送りながら、私は謎の達成感を味わっていた。


クラブのイベントではスケッチブックに文字を書き、音が必要なゲームは光や動作で教えられるように道具を用意した。どうしても合唱をしなければならないシーンで妹さんを泣かせてしまったことはあるけれど、概ねうまくやれていたと思う。さみしくさせないようにできる限りの配慮をしていた私にユリちゃんはいつも、ありがとうと言ってくれた。感謝されて私はいい気分だった。


ゴウくんが5年の時、上級生の卒業パーティーをすることになった。保護者と子供たちの大所帯。幹事の私はユリちゃんたちの席に気を配り、ゲームも皆で楽しめるものを準備した。当日、サポート役のお母さんと一緒に会を進行していると、料理が出てこないというアクシデントが起こった。会場は時間で借りている。お店との相談をサポート役のお母さんに任せ、とにかく会を進めた。いけない、順番が間違ってる。落ち着け、私。次はゲームで大ポカ、答えを読み上げてしまう。

こんなはずじゃなかった。ちゃんと準備したのに。料理はどうなってるの。

その時思ってしまったのだ、
普通に進められたらもっと時間がまけるのに、と。


私の動揺に気づいた息子がそっと近づいてきて私の手からスケッチブックを取った。説明文をゆっくりめくりながら続きを促す。ユリちゃん家族の席に目をやるといつもと同じ笑顔が4つ並んでこちらを見つめていた。



今までなにをしていたんだろう。

私は、余裕がなければ渡せないやさしさに酔っていただけだった。



*

あれから2年半。今、私は『要約筆記者養成講座』に通っている。

数ヶ月前に偶然見つけた手話奉仕員養成講座のポスター。唐突にやってみたいと思った。電話をかけてみたところ、募集はすでに終了とのこと。それでもあきらめきれずネットで調べ続けていると、手話と一緒に『要約筆記者』という単語が出てくることに気づいた。なんだろう、初めて聞く言葉だ。どうやら話し言葉をリライトして紙に書いたりパソコンに打ち込んだりする人らしい。それ以上の情報が得られないのでとにかく話を聞きに行こうと思った。

のんびり屋と言われることの多い私だけれど、時々自分でもびっくりするような瞬発力を発揮することがある。まず動く。決めるのはそれから。この日の私もまさにそれだった。

聴覚障害センターの門をくぐり受付と書かれた扉の前に立った時、自分の装いがあまりにラフなことが急に気になった。もたもたと逡巡していると人が出てきて、反対に私は中に押し込まれた。書類を抱えた女性が怪訝そうな顔でこちらを見る。

思い切って要約筆記について知りたいと話し始めたが、飛び込みでそんなことを言う人は他にはいないらしく、女性の表情が更に険しくなる。

助け船を出してくれたのは講座の担当者だった。たどたどしい話が聞こえていたようで、手には申し込み用紙を持っていた。

「要約筆記者の講座、明日からだから申し込んでみたら?」

突然の展開。自分は『要約筆記』という言葉自体を知ったばかりだし、仕事にしたいと思って来たわけでもなく、ただ知りたかっただけなのだと慌てる私を見て彼女は声をあげて笑った。

「怖い?大丈夫よ、そういう人ばかりだから。じゃぁ明日ね」

そんな風にして決まった週一回の講座は、大丈夫と言われるほど気楽に受けられるものではなかった。課されるレポートにも講義内容にもついていくのが精一杯。毎回必死だ。それでも、知らないことを知っていけるのは嬉しい。


驚いたことに、講師には聴覚障害者もいた。生まれた時から聴力に障害を持つ聾者、途中で音を失った中途失聴者、聞き取りに問題がある高度難聴者。タイプも年齢も性別もまちまちだけれど、障害によりコミュニケーション手段を狭められた方ばかり。講義中は音声を文字に書き起こすノートテイクという要約筆記者が隣に付き添っている。この形にたどり着くまでの長い道のりを想像するだけで胸が熱くなった。


「みなさんが耳を塞いで音が聞こえないと感じるのとは全然違います。私たちは内側で響くはずの自分の声も聞くことができません」

講師から聞くこの言葉。不自由なく音を聞き取れる自分が実感することのない世界。ユリちゃんたちもそうだったんだよな。ふいに彼女の笑顔が浮かんできて奥の方がチクリとした。でも酔っちゃいけない。私のセンチメンタルは音の代わりにならないのだ。そのことを忘れずにいなければ。


耳の不自由な人。私の中で今までひとくくりにしていたけれど、聾者と中途失聴者ではまったく状況が違うことを知った。小さい時から手話を母語にしている聾者と違い、途中で聴力を失った人々はその瞬間から外部とのコミュニケーションを断たれてしまう。紙でのやり取りは時間もかかり、勘違いも生む。今まで簡単にできていたことが難しくなり、疎外感が膨らんでくる。自分が聞こえないと言う事実が周りをも苛立たせることを知った時、中途失聴者は自殺を考えるところまで追い込まれてしまうのだと講師は冷静な口調で話してくれた。当事者の声を集めたという書籍を見せてもらった時は誰も何も発することができなかった。


知らないというのは怖いことだと思う。あの時の私はユリちゃんに寄り添いたいという気持ちだけで動いてしまい、結局、苦しくなって手を離した。途中で離れることと、始めから寄り添わないこととどちらが罪深いのだろう。今でもわからない。でももし私が知識を持っていたなら、少なくとも卒業パーティの幹事の数はもっと増やしていたし、自分は寄り添えていると過信はしなかったはずだ。

聴覚に障害のある方は笑顔がチャーミングだなんてのんきに思っていた。仲良しのパートさんもユリちゃんの家族もみんなそうだったから。でもそんなものじゃない。あの笑顔は懸命に身につけてきたコミュニケーション手段だったのだ。隠された辛さの目盛を私は見誤った。それに気づくまでにこんなに時間がかかってしまった。


手話から遅れること20年。中途失聴者にとって音代わりとなる要約筆記の認知度はまだ低いそうだ。ゼロからスタートした自分になにができるのかわからない。それでも知識を得ることが彼らの思いを少しでもキャッチすることにつながるような気がするから、私は来週もまた講座に参加する。

耳の障害は外から見えない。だから障害者が自分で伝えなくてはいけないのだと男性講師は言った。そう言えるようになるまでに乗り越えた困難には一切触れずに。どうか私たちの味方になってほしいと頭を下げた彼の姿を私はこの先ずっと忘れないだろう。

自分が音の代わりになるなんてたいそうなことは言えないけれど、今はもっと知りたい。



鼻をすする前に終わりの号令がかかってくれることを祈りながらそんなことを考えた。バッグからハンカチを出すのが恥ずかしくて、教室前方の壁に付いたスイッチ盤の緑色を見つめていたら、今日はこれで終わりですという声が聞こえた。








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