美学芸術学研究室

「美学芸術学」は何を研究する分野なのか。【前編】

自己紹介を兼ねて、私が2年間と少し、お世話になった「美学芸術学」という領域について、この名前のついた研究室をちょうど抜け出すタイミングなので、書いておきたい。

始めにぶっちゃけて言ってしまうと、この研究室に2年間所属していたからといって、プラトンに始まりアーサー・C・ダントーなど現代の分析美学に至るまでの、人間の知覚や認識に関わる理論を網羅できているわけでは全くない(そんなことが2年間でできたらあらゆる学問を修めることができそうだ)。また、この学問領域自体が、それほどリジッドにあるべきではないのではないか、という意見が美学会(*1)の中にもあるわけなので、まして研究対象・方法等々について、「美学芸術学とはこういうものだ」と明確に言うことができるはずがない。

この記事はあくまで、「私が高々2年間所属して、ド素人ながらも真面目についていこうと勉強した結果、また、共にこの領域での研究や勉強を頑張った仲間と議論してみた中で漠然とながら感じたこと」から、この「何を研究しているのかよくわからない」領域がどんなところなのかの言語化を試みたものだということを、予め了承していただけるとありがたい。この記事をたまたま読んでいる方が、「美学」や「芸術学」、そして「美学芸術学」なるものに少しでも関心を抱いていただければ嬉しいし、しかしだからといって「美学芸術学」研究室へ進学・入学して、「こんなはずではなかった」と幻滅されても責任は負えないということも断っておきたい。あくまで、私の2年間(ry)

「美学芸術学」とは

まず、「美学芸術学」は、「美学」(Aesthetics, Ästhetik)と「芸術学」(Art Studies, Kunstwissenschaft)を繋げた名称である。きわめて簡素な説明で恐縮だが、前者は古くは「アイステーシス」という言葉で表されていた、人間の知覚に関する議論を、18世紀の半ばにバウムガルテンというドイツの学者が「感性の学」として打ち立てたものである。哲学では有名なカントやヘーゲルも、この分野について論を展開している(いわゆる「三批判」書や『美学講義』)。後者の歴史は前者のそれよりは浅く、19世紀末に、美学に含まれていた「芸術に関する理論、哲学的考察」が分離して、(知覚や認識に関わらず)もっぱら芸術について考えてみましょうということで、コンラート・フィードラーという人物が創始したのがはじまりとされている。芸術作品の解釈・批評、芸術の定義や芸術作品の存在論などが、この分野では中心的な問題として取り上げられる(20世紀半ば以降の分析美学など)。

「美学」と「芸術学」それぞれを分けて説明すると教科書的には上のような基本情報が共有されているわけだけれど、これらをひと続きに表記した「美学芸術学」という名称の研究室は、いったいどのようなことを研究しているのか。

「美学芸術学」研究室とは

結論から言うと、「”芸術”や”感性”に関するテーマなら、何でもあり。方法も、現象学だろうが社会学だろうが心理学だろうが、OK」な研究室である(*2)。したがって、周りの同期の卒業論文テーマも極めて多彩であった(映画、ポピュラー音楽とクラシック音楽の関係、18世紀ドイツ音楽、俳句表現、美術鑑賞、明治期美術政策、ヨーゼフ・ボイスの思想、コンサート・プログラム、AKB、「美女」、制服、シナモロール、等々)。むしろ「美学」や「芸術学」そのものにおける諸問題の理解を進めようとするような研究テーマのほうが圧倒的に少ないのが実際のところかもしれない。(*3)

これだけ「何でもあり」な研究室だったので、私自身、好き放題やらせてもらった感がある。進学当初より、デジタル技術を用いた表現(デジタル・アートとかメディア・アートと呼ばれるジャンル)に興味があったので、その中でも特に最近の――かつ、未だに「アートであるか否か」がはっきりとせず「論争的な」――事例であるチームラボを題材に選んだ。方法も、「彼らの作品がどのような環境で受容されてきたのか」「彼らの作品に対する評価の言説はいかなるものなのか」を取材して分析するという、ほとんど社会学と言ってよいような方法をとった(*4)。

このように書いてしまうと、「美学芸術学ってけっきょく無法地帯じゃない」とか、「教授は一体何をしているのやら」等とお思いになるかもしれない。以下では、これらの疑念について、教授陣の具体的な「変態」度合いを示すことで、決して「美学芸術学」研究室が無法地帯ではないことをお伝えしたい。そして、今の世の中で「美学芸術学」が持ちうる価値というか、譲れない立場のようなものを、私が感じ取った範囲内で言語化していく。

文量が長くなってしまったので、後編へと譲ることとする。

(*1) 1949年に設立された学会で、東部・西部に分かれている。2019年度の学会(台風19号の影響で中止・延期された)のシンポジウムが2020年1月12日に延期開催された。ここでの「意見」とは、当シンポ内の「美学という呪い――美学会と芸術研究」(室井尚(横浜国立大学))と題された発表で、「雑種性と異種混淆性が今後の美学会のあるべき姿で、横に繋がっていくような内なる学際性が重要なのではないか」といった旨の登壇者の発言を受けている。

(*2) 研究室自体の歴史や紹介については、とても優秀で尊敬している同期が作成したこちらのパンフレットをご覧いただきたい。研究室史によれば、「美学芸術学」という呼称へ変更になったのは、学生運動が学内で激化してくるタイミングである。研究室では”伝説”になっているが、当時の「美学芸術学」研究室は、学生運動に対して高圧的な教授が君臨されていたという。今のような「何でもあり」とは程遠かったように推察される。

(*3) 同期の中で唯一「美学」の領域に取り組んでいたように思うのは、アメリカの美術史家・分析哲学者アーサー・C・ダントーの著述における「鏡」のモチーフを、彼の複数の文献とそれへの解釈を行なった諸研究とを読解することを通じて整理を試みた1人だけであった。もっとも、「ゆーて卒業論文」だし、学部生のほとんどが就職を選択するので、先生方やTAの先輩方もテーマ自体を厳しく指導することはないのかもしれない。

(*4) 私の卒業論文の具体的な内容については、修士課程以降の研究との兼ね合いではあるが、随時お伝えできればと思う。

(※ 見出し写真出典:https://www.facebook.com/UTokyo.bigaku/photos/p.2177967042424989/2177967042424989/?type=1&theater)




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