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The Hideout-8

Hideout

「新田いまどこ?」
「神戸西インター。高速に乗る」
 出水の声に、スマートフォンをドライブモードに切り替えて新田が応える。出水はヒカリを運び出す新田を手伝ったあと、基幹AIのプログラム操作を続けるため所内に残っていた。
「そろそろHALの細工は限界。警備会社に連絡行くし、原さんにもバレる」
「うん……、一気に三島の分生研まで行くのは無理だと思う」
「高速フルに使って6時間か。着けたとしても早朝じゃちょっとな」
「まだ向こうのラボにスタッフが来てないだろう」
 新田はそう言いながらアクセルを踏み、夜の高速道路を加速していく。京都から神戸に通勤するためだけに買った中古のセダンは、ヒカリのような特殊で貴重な生体資料を運ぶにはおよそ向いていない。それでも他に輸送手段が思いつかず、急遽後部座席を改造してこの日に間に合わせたのだ。
「ヒカリは?」
「眠ってる」
 新田はミラーで後部座席を確認した。シートに設置された、透明な厚いビニール製の巨大な繭。感染症患者搬送用陰圧隔離チャンバー。2020年代、新型コロナウイルスの流行時に開発された汎用モデルで、本来は感染力の強いウイルスを持った患者を自宅などから医療施設へ輸送するためのものだ。内部の温度と湿度の上昇を軽減するために、大型の空気供給ポンプが常時濾過した外気を吸引するしくみになっているが、新田と出水はこれを改造して逆に内部から風を出して不純物が入らないようにしていた。ヒカリはその中に丸くなるような姿勢で眠っている。長く仰向けに横たえるほどのスペースは車内にないので、その分チャンバーを切り詰めてあった。
「隔離チャンバーなんかよく手に入ったな」
「廃棄品だからね。パーフェクトな動作じゃないけど、しょうがない」
 もとはCeRMS附属の再生医学病院から回収してきた廃棄品だった。最近ではこういう機器は珍しいものではないし、価格も安いのだが、新規に購入するのは目立ちすぎる。緊急の実験に必要だと言い繕ってもらってきたのだ。
「酸素ボンベと点滴は?」
「足りると思うけど……、ああ、ちょっと待って、またかけ直す」
 新田のスマートフォンが新規着信を告げていた。ヒカリの受け入れ先として秘密裏に協力を依頼していた、国立分子生物学研究所の多村教授からだ。
「新田です」
「明日の受け入れ、こちらに直接来るのはやめたほうがよさそうです。さっきうちの研究所に不審車輌が入って……。動物愛護団体の抗議で動物実験棟に侵入しようとしたみたいなんですが、こんな時間だしそちらと関係あるかもしれない。君たちはいったん別の施設に留め置きます」
「ええと……、どこへ向かったら」
「岡崎の生命統合医療研究所、あそこのシュウ君のラボに話をつけました。彼なら新田くんもわかるでしょう、私とテーマも近いですし。おなじ生命倫理と人権を扱う人間だから話が早かった」
 多村教授は新田の都路大学時代の研究室のボスだ。許は中国からの留学生として新田と学生時代を共にした。そのまま日本の研究所を渡り歩いて統合研で准教授になったと聞いている。関わる人間の数を増やしたくないのはやまやまだが、今はここに縋るしかない。
「ありがとうございます」
「そのまま統合研まで行ってください。スタッフを呼び出しておいてくれているから」
「はい」
 車内は隔離チャンバーのポンプが空気を吐き出す排気音と、ヒカリに取り付けられたバイタル測定機器の作動音が和音を奏でている。新田は軽く頭を振ると、正面の暗闇を見つめてハンドルを強く握った。

 深夜3時を過ぎる。新田の車は岡崎I.Cを下りた。寝静まった住宅街の中、唐突に城塞のような壁が視界をふさぐ。コンクリートの堅牢な壁が施設の外周を囲み、それを鬱蒼と繁る木々が覆うつくりだ。生命統合医療研究所、通称統合研。本州中心部のバイオサイエンスの拠点として、ここ岡崎で八十年近い歴史のある研究・教育施設だった。
 通用門から時間外入構する。許から送信されたゲスト用のデジタル入構証で問題なくパスした。分子棟の裏手に駐車したところで、ヘッドライトに照らされて人影がうかんだ。
「新田さんですね」
 細身の女性だ、ということだけ漠然と把握した。許研究室のスタッフであることは間違いない。新田は無言で頷き、後部座席を手で示す。女性は機器や試薬用の大型の荷台を押してきていた。
「物品納入口から入ります。深夜に大きいサンプルが届くことにしてあって」
「こんな時間に大丈夫でしたか、申し訳ない」
「いえ、うちのラボは深夜まで詰めてる人がわりといるんです」
 手早くヒカリのチャンバーの両端をそれぞれが抱えて荷台に移した。ヒカリは発熱と発汗があるようだ。あまりいい状態ではない。そのまま大型の荷物搬入用エレベータに乗せる。三人でもまだかなり余裕のあるものだ。最上階の研究室に着くと、会議室か学生居室を改造した小部屋に通される。ビニールのカーテンの層がベッドを囲み、大型の空気濾過装置が音を上げて稼働する中へチャンバーを入れる。ビニールを開けると、ヒカリは軽く意識を戻してなにやらつぶやいたが、新田はそれをあえて聞き取らないようにして布団の中へ横たえてやる。
 ヒカリがゆるやかに眠りに落ちるのを確認したあと、無菌室を出て新田はため息をついた。
「外より陽圧にした簡易的な無菌室です。へパフィルターでクリーンに保っています。今ここのラボでできる最大限の処置です」
「充分です、助かります。なんと言っていいやら……。よくこんなシステムをお貸しいただけましたね」
「許研究室はちょっと変わったラボで、無菌的な環境が必要な患者さんを特別に診せていただいたり、実験に協力していただくことがあるんです。私はそのような、疾患がヒトの精神活動や脳の機能に与える影響を研究しているので」
「……そうか、では今回もヒカリを、あの個体を研究対象にするのが『条件』だと」
「直截ですね。その通りです。培養で体をつくり、チップ埋め込みと電極刺激入力だけで神経系を育ててここまでにした個体の精神・心理学的調査がしたい。データはわれわれで厳重に保護して外部には出しません。せっかくだから、心理面や感情面での支援もできます。発達段階を踏ませて情緒教育したりね」
 そこまで言ったところで、その女性ははじめて笑顔を見せた。
「私、岸音葉(キシ・オトハ)といいます。ふふ、自己紹介が遅くなってしまって」
 短く耳下でそろえたボブカットの、額を出したつやのある黒髪が揺れる。新田は少し戸惑ってから、
「新田秀明です。しばらくの間、お世話になります」
 と応えて目を伏せた。


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