『第100話』伽耶諸国の激戦:到達

「本当に、俺たちのことは殺さないのか」

「邪魔さえしなければな。それほど心配なら、門を開けたら少し待ってやる。その後はどこへでも好きに逃げろ」

 年長の傭兵は息を呑み、それからゆっくりと息を吐いた。

「……おい、あの幹部たちは近くにいないよな」

 彼のそばにいた傭兵たちは、おそるおそる辺りを見渡してから「いません」と答えた。

「よし、静かにここから下りるぞ。誰にも気づかれるなよ」

 年長の傭兵がそう命じると、その場にいた傭兵たちも無言でうなずく。
 彼らの顔にはおびえがあったが、どこか腹をくくった顔をしていた。

 それから少し経った。
 なるべく音を立てないようにして、城門が開け放たれた。

 激しく燃え盛る炎に囲まれているせいで、傭兵も倭兵も門に殺到しようとしたが、博麻がそれを手で止めた。

「本当に、殺しにこないんだな」

 門の陰から、あの年長の傭兵が現れた。

「まあな。それが約束だ」

 博麻は平然と答えた。
 その答えを聞いた傭兵は、疲れた顔をしてうなだれた。

「開ける直前、後悔しかけた自分がいたよ。もしかしたらすべて俺たちを騙すための罠で、門を開けたら一斉に襲いかかってくるんじゃないかとな」

「無理もない」

「だが、あんたは違うようだ。なんせ、敵を助けちまうような人だから」

 それから年長の傭兵は、庭園に残っている傭兵たちに深く頭を下げた。

「すまねえ、お前ら。他のやつらはさっさと逃げちまったけど、その分、俺のことは殺しても構わねえ」

 庭園にいた傭兵たちは剣を強く握りしめていたが、年長の傭兵に襲いかかることはなかった。

 彼らはほっと安堵した顔で、武器を捨てて門の奥へと走っていく。
 誰も彼に言葉はかけなかったが、悪態をつく者もいなかった。

 一度は見捨てようとしたことを許しはしないが、助けてくれた恩もある、ということなのだろう。

 傭兵たちがいなくなったところで、倭兵たちも静かに素早く門を通った。

 最初に火にまかれて死んだ者もいたが、大半の兵は生き残っていた。
 将の指示の下、燃える物を武器で破壊して、蹴って遠ざけて、なんとか炎に囲まれないように対処していたためだ。

「感謝する」

 博麻は年長の傭兵の胸を、優しく拳で叩いた。
 傭兵は複雑そうな苦笑いを浮かべ、ため息を吐いた。

「別に、仲間が焼き殺す覚悟がなかった臆病者さ」

「それは関係ない。俺はあんたに感謝している」

 傭兵は目を大きくしてから、今度は素直な笑みをこぼした。

「あんた、不思議な男だ。鬼のようにおっかねえと思ったら、そんなことを言うとはよ」

 それから傭兵は城の奥を指差した。

「ほら、行けよ。張堯は奥の城館にいるだろうぜ」

「ああ」

 博麻は仲間たちのほうに振り返る。

「みんな、あとは張堯と幹部たちだけだ! 敵兵も残り少ない! 武器を捨てた傭兵たちには目もくれるな!」

 博麻の叫びに、諸将はうなずく。

「行くぞぉおっ!」

 博麻とラジンが走りだす。
 それに土師、上毛野が続き、薩夜麻と物部も走っていく。
 倭兵も槍を構えて猛然と駆けていき、広大な三岐城の奥へと進んでいく。

「なっ、こいつら! 一体どこから!」

 城の各所に残っていた傭兵たちが、慌てて応戦する。
 彼らも倭軍が城門前で炎にまかれたと聞き及んでいたため、いきなり現れた倭軍に仰天した。

 怒涛の如く突き進む倭軍に、傭兵たちは次々と蹴散らされていく。
 人数でも倭軍が傭兵団を圧倒している。
 すでに傭兵団に勝てる要素はない。

 城館で悠々と過ごしていた張堯のもとへ、一人の傭兵が飛びこんできた。

「も、申し上げます! 倭軍が城門を突破し、城の中央区画までなだれこんできています!すでにこの城館へと押し寄せております!」

 その報告を聞いた張堯の手から、酒の入った盃が落ちた。
 残る片方の腕でユナを抱いていたが、その手もかたかたと震える。

「いま、なんと言った」

「倭軍が、来ております! もうすぐそこまで……!」

 張堯の顔から笑顔が消え、血の気が引いていく。

「ふざけ、るな……こんなバカなことがあってたまるか! こんな、こんなぁああっ!」

 張堯が叫び狂い、城館の大広間が揺れる。
 ふうふうと荒い息を吐いていた張堯だったが、それがようやく落ち着くと、その場にいる幹部たちに鋭い視線を向けた。

「朱伯! 青脩! 白稜! やつらをここで殺せ! 将を一人殺すごとに、屋敷と領地を一つ用意してやる!」

 法外な報酬を言い放った張堯に、大広間に一同がざわつく。

「他の傭兵たちも同様だ! 倭兵を一人殺すごとに今の十倍の金を払う! もちろん将を殺せば、屋敷と領地をくれてやる!」

 傭兵たちの目が一気に色めき立つ。

 あまりに現実離れした報酬だが、張堯本人の言質はとれた。
 あとはここに来た倭の人間を一人でも討ち取れば、ひと月は遊んで暮らせる金が手に入る。
 もしも運よく将を討ち取れば、一生食っていける生活が手に入る。

「紂玄は俺と来い! お前は俺の供をしろ!」

 張堯は立ち上がり、そのままユナを連れ出そうとした。

「離して!」

「貴様、この期に及んでまだ諦めていないのか! お前の娘がまだ生きていると⁉」

「生きています! あの子は絶対に……っ!」

 ユナは必死で抵抗する。

 燃える庭園を見た時は絶望しかけたが、それでもウンノは倭軍とともに城門を突破した。
 もしかしたら炎に包まれて死んでいるかもしれないと思ったが、それよりも希望にすがることにした。

 優しかった娘が、戦に身を投じてまで、ここまで来てくれたのだ。
 燃えていく庭園を見て心が折れかけた自分を、ユナは強く恥じていた。

「もうあなたの言いなりにはなりません! 私はここで……うっ!」

 ユナのみぞおちに、紂玄の拳が入った。

 彼女は張堯の腕の中でぐったりと倒れた。
 一度、張堯は紂玄に厳しい目を向けたが、紂玄は無言で頭を下げた。

「まあ、良いだろう。さっさと運べ、紂玄」

 張堯はユナの体を紂玄に預ける。
 大柄な紂玄は軽々とユナを担ぎ、館の裏手に向かっていく張堯の後ろについていく。

「ぎゃあっ!」
 館の入口に立っていた伝令が悲鳴を上げた。
 中にいた者たちが一斉に振り向く。

 倒れた傭兵の陰から、ラジンが出てくる。
 返り血にまみれ、剣を持ったラジンが館へ足を踏み入れた。

「見つけたぞ、張堯」

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