『第54話』同時攻撃作戦:筑紫隊 対 唐の奇襲部隊

「若! 敵襲だ! ふもとから攻められている!」

 叫びながら、博麻は斜面を駆け下りる。

「はい! 者ども、後方から唐軍! ただちに押し返せ!」

 薩夜麻も馬首を返し、周りの倭兵に反撃を命じた。
 一方、博麻は目にも止まらぬ速度で斜面を下りつつ、斧をしまって斬馬刀を抜いた。

 ふもとの平原では唐兵が倭兵に襲いかかり、倭兵は慌てて迎え撃っている。
 奇襲を受けた被害は大きく、すでに数十人の倭兵が倒れている。

「しゃあっ!」

 平原に降り立ち、倭兵にとどめを刺そうとしていた唐兵の首を、一太刀ではね飛ばす。

 いきなり現れた博麻に驚きつつも、周りにひしめく唐兵たちは怒号を上げ、襲いかかってきた。
 仲間が目の前で殺された怒りを、博麻にぶつけてくる。

 博麻はそれ以上の気勢で吼えて、巨大な刃を振り回す。

 斬馬刀でなぎ払うと、迫りくる唐兵の一部が宙を舞う。
 血しぶきとともに悲鳴が上がり、そして新たな唐兵が憤怒の顔で襲いかかってくる。

 望むところだと博麻は笑った。

 命を奪う楽しさはない。
 だが、戦うことにかけての迷いもない。

 己にぶつけられる憎しみや怒りすら、丸ごと飲みこんでやろう。

「うぅぉおおおっ!」

 長尺の斬馬刀を、縦横無尽に振り続ける。
 鋼鉄の刃は唐兵の肉体を裂き、兜を砕き、時には腕や首をはね飛ばす。

 これまでの鍛錬が肥やしとなり、血染めの花をいくつも芽吹かせる。

 重厚な斬馬刀はすでに博麻の一部そのものだ。
 たしかに凄まじい重さを誇る武器だが、己の体全体を使うことで、その重さに絡めとられることもない。

 博麻とともに戦う倭兵ですら、近づくことをためらっている。

 今の博麻のそばにいれば、唐兵に殺されることはないだろう。
 それでも近づいて一緒に戦おうとする者はいない。
 嵐の中に自ら身を投じる者はいないのと同じように。

 敵味方関係なく恐れられる博麻だったが、彼の活躍で戦場の空気が変わっていく。

「博麻どのに続け!」

 一人が叫ぶと、周りの者も呼応する。
 背後から奇襲を受けて混乱していた倭兵だったが、博麻が次々と唐兵を討っていくことで、まだまだ自分たちは戦えると認識した。

 戦意を取り戻した倭兵は唐兵に襲いかかり、一進一退の攻防となった。

「将はどこだ! 出てこい!」

 押し寄せる唐兵を倒しながら、博麻は前方の唐軍に叫んだ。

 戦っていくうちに、これまでの唐軍とは何か違うと感じていた。
 具体的には言い表せないが、あの蘇定方の隊とは別の何かを感じ取った。

 冷静に考えれば、ここに唐軍の奇襲部隊が現れること自体がおかしいのだ。

 先に西から攻めた土師と遅受信を、唐軍は迎撃した。
 すぐに決着がつかないということは、それなりの軍勢を土師たちにぶつけたのだろう。

 となれば、熊津城に残っている唐兵は、かなり少ないはずだ。

 中には新羅兵も混じっているが、大多数は蘇定方が率いて出発したため、ここに現れる戦力はたかが知れている。

 ゆえに目の前に広がる軍は、博麻たちから見れば謎の軍勢なのだ。
 姿かたちは唐軍で間違いないが、それ以外はまったく謎に包まれている。

「蘇定方か? 将なら出てきて、俺を殺してみろ!」

 再び博麻は叫んで、この軍を率いている将を見定めようとした。

 南に向かったと見せかけて蘇定方が現れたというなら、まだ救いがある。
 この戦場では不利になるが、その代わりに泗沘城攻めが一気に楽になるからだ。

 しかしこの唐軍を率いている人間が、蘇定方とはまったく別の将なら、倭軍と百済軍の計算が根本から崩れ去る。

 小さな戸惑いが生まれながらも唐兵たちをなぎ倒していったが、そこに一本の矢が飛んできた。

「くっ」

 顔に迫ってきた矢を、とっさに斬馬刀で弾いた。
 矢を弾いたことで足が止まる。
 その直後に、馬上で弓を持った細身の男が現れた。

「蛮族にしては、よく周りが見えているようだ」

 射手はあざけりながら、博麻を見下ろしてくる。

「お前が、この軍の大将か?」

 博麻の問いに、射手は首を振った。

「残念ながら違う。お前ごときでは、ここの大将のお目にはかかれんよ」

 弓を持った騎兵が大仰に答えると、その脇から大槍を担いだ大男が現れた。

「その通りだ! 仁軌の大将は、倭の木っ端兵に構うお方じゃないぜ」

 対照的な雰囲気の二人だが、どちらも博麻より年上らしく、戦の経験を積んだ男たちなのだろう。

 その二人を見比べ、博麻は深く息を吐いた。

「ならば、お前たちを討ち取れば、その仁軌とかいう将も出てくるか?」

 二人は目を丸くして、お互いの顔を見合わせてから笑った。

「ああ、こりゃおかしい! 無謀もこうなると美点だぞ」

「どうせ最期の言葉だ。好きなだけ言わせておけ」

 嘲笑を浴びせる二人を見て、博麻は足元にあった石を投げつけた。
 石は馬の顔に命中し、怯んだ馬が馬上の射手を揺らがす。

 すかさず踏みこみ、射手を叩き斬ろうとしたが、その一撃を槍使いの男が止めた。

「おっとと、やはり蛮族は手癖が悪いなあ!」

 男はお返しとばかりに槍を突き出してくる。

 見た目に似合わず、男の槍さばきは丁寧で油断ならない。
 何度も槍を突き、時には石突きで足払いを狙ってくる。
 槍を引いて戻す動きも素早く、博麻は休む暇のない連続突きにさらされる。

「まだまだぁっ!」

 男が叫ぶと、さらに槍の動きは速くなった。
 連続する槍の音が重なるほどの速度だ。

 さすがの博麻も防戦一方となり、後ろへ飛び退いた。

「そこだ」

 着地した瞬間、弓騎兵が矢を放ってきた。
 博麻は身をよじったが、かわしきれず二の腕に当たった。

 ぐっと博麻はうめいた。
 しかし足を止める隙はない。

「そらそら、もう死ぬか!」

 槍を持った男が踏みこみ、博麻の胴を狙う。
 斬馬刀の柄で槍の穂先をいなそうとしたが、いなしきれずに脇腹を切り裂かれた。

「博麻どの!」

 近くにいた倭兵が助太刀に入ろうとする。

「はんっ、邪魔だ!」

 槍使いの大槍が倭兵の体をあっけなく貫く。

「ちぃっ!」

 博麻は倒れず踏みとどまり、斬馬刀で男の頭を狙う。

「けっ、遅いんだよ!」

 男は槍で斬馬刀を受け止め、押し返してから槍で薙ぎ払ってきた。

 横から迫る槍を、博麻も斬馬刀で防いだ。
 槍使いの腕力は凄まじく、一撃を受け止めるだけで腕がしびれる。

「かかっ、所詮は井の中の蛙だったか! 半端な腕では死ぬだけだ!」

「黙れ! 俺は死なない!」

 男の罵りに対抗し、斬馬刀を再び振りかぶる。
 同じく男も振りかぶり、お互いが全力で武器を振り下ろす。

 両者の間で武器が衝突する。
 耳鳴りがするほど激しい金属音が鳴り、つばぜり合いが繰り広げられる。

「ぬううっ!」

「はっはっは! どうした、こんなものか!」

 武器を介した力比べは、博麻が目に見えて不利だった。

 どちらも力自慢といえど、体格には明らかな差がある。
 槍使いの男は博麻よりも頭一つ分大きく、腕も一回り太い。

 博麻は歯を食いしばりながら、目の前にある男の顔を見た。
 男の表情を見れば、それなりに油断なく力をこめているとわかる。

 それでも自分に比べれば、槍使いの男には圧倒的な余裕がある。

 これが唐の精鋭なのだ。
 将の身分ではない兵ですら、こういう豪傑がいくらでも潜んでいる。

「そうらっ!」

 男が腕に力を籠めて、その上で体ごと押してきた。
 踏ん張ろうとした博麻だったが、なすすべなく押し飛ばされる。

 地面を転がる博麻へ、男がすぐさま距離を詰める。
 体勢を立て直して顔を上げると、すでに男は槍を振りかぶっていた。

「終わりだ!」

 その瞬間、博麻は血を吹きかけた。
 押し飛ばされた時に、頬の内側を噛みちぎっていた。

 血が目にかかり、男の手が止まる。
 すかさず斧を抜き、男の足首に叩きつける。

「ぐああっ!」

 初めて男の顔に苦悶が浮かぶ。

 足首に食いこませた手斧を捨て置き、男の腰に目がけて体当たりした。
 大柄な体が倒れ、槍がかたわらに転がる。

 博麻はそのまま馬乗りになり、閉じたまぶたの上から親指を突っこんだ。

「あが、うあああっ!」

 片目をつぶされた男は激しくもだえる。
 そして、もう片方の手斧を抜いて首筋を引き裂くと、ようやく男の動きが止まった。

「ご、ぐぅっ……この……ばん、ぞくがっ……!」

 槍使いの男は恨み言をつぶやき、それから力尽きた。

 ほっと胸を撫でおろしたのもつかの間、嫌な雰囲気を感じて飛び退いた。
 それとほとんど同時に、博麻がいた場所を矢が通過した。

 後ろを向けば、あの弓騎兵の男がいた。

「使えないやつだ。まさか倭人に負けるとはな」

 博麻に討たれた男の亡骸に、弓騎兵は白い目を向けていた。

「仲間にかける言葉じゃない」

 斧を拾いながら言うと、男は馬上で失笑した。

「馬鹿なことを。負けて死んだ人間を、どう扱えと?」

 笑う弓騎兵に、博麻は舌打ちした。
 この男は本心から、そう言っている。

「お前もそうなるんだよ、唐兵」

 双斧を腰に戻し、斬馬刀を拾って構えた。
 弓騎兵は馬に合図を出し、博麻から距離を取った。

「待て!」

 怒りをたぎらせ、博麻は走りだす。

 追いかける博麻に向かって、弓騎兵は矢を次々と放ってくる。
 さすがに当たることはないが、避ける度に足が遅れるため、なかなか追いつかない。

「それ、そこだ」

 ある矢を避けた直後の博麻に、弓騎兵の矢が襲いかかる。

「うっ」

 とっさに兜で矢を受けたが、衝撃で視界が揺れた。

 その隙を見逃さず、男はさらに矢を放ってくる。
 ついに博麻の足が止まり、選択肢が身を守るのみになる。

 精度はもちろん、矢をつがえる速さが尋常ではない。

 そうしている間にも、弓騎兵の部下が代わりの矢筒を渡していく。
 矢が尽きるのを待っても意味がない。

 博麻は身をよじってかわすことを止めた。
 当然、ただちに急所が狙われる。

「ふっ」

 頭を狙ってきた矢は、首の回転でかわす。
 当たっても死なない場所に飛んできた矢はあえて気にせず、刺さったまま突き進む。

 やじりがいくつも肉に食いこみ、生温かい血がこぼれていくが、倒れるほどの痛みではない。

「は……こいつ……!」

 初めて弓騎兵が当惑の表情を見せた。

 やぶれかぶれの突進ではないのは明らかだ。
 頭や胴体に当たる矢はかわしているため、命を捨てたのではなく、ただ勝つために選び取った最短の方法だ。

 しかし常軌を逸しているのも、また事実。
 あえて矢を受けて突進するなど、まともな思考では選択できない。

 博麻が身を沈め、一気に駆け出す。
 初めて矢の精度が乱れ、博麻に当たらない矢が増える。

「せやぁっ!」

 斬馬刀を低く薙ぎ、馬の両前脚を刈り取る。
 がくりと馬が崩れ落ち、乗っていた弓騎兵がすべるように前に出てきた。

 あっと弓騎兵が声を上げた。

 それが最期の言葉となり、男は斬馬刀によって袈裟がけに断ち切られた。
 自分の割れた肩と胸を、呆然とした目でながめながら男は倒れた。

「はぁっ……はぁっ……」

 博麻の呼吸は荒い。
 体には何本も矢が刺さったままで、体中が血と泥で濡れている。

 唐兵たちは博麻の異様な雰囲気に飲まれかけていたが、すぐに仲間の復讐を果たすために襲いかかる。
 目の前に映る博麻は不気味だったが、今なら倒せると踏んだらしい。

 唐兵が怒声を浴びせながら迫る。
 博麻は無言で斬馬刀を振りかぶり、一人の唐兵を唐竹割りにした。
 派手に叩き斬られた仲間に驚く唐兵たちにも、続けて斬馬刀の一撃を喰らわせる。

 何本もの矢が刺さり、血だらけになりながらも、博麻の動きは衰えない。

 むしろその逆で、さらに動きに激しさが増した。
 死地を乗り越えたせいだろうか、本人ですら制御できないほどの興奮に駆られていた。

「邪魔だ……邪魔だ!」

 痛みが遠のき、呼吸も苦しくない。
 武器を振りかぶってくる唐兵たちの動きがさらに鮮明に、そして少しだけ遅くなったようにも見える。

 今までとは違う自分をかいま見るような、そんな異常な感覚だ。

 分厚い刃が閃き、何人もの唐兵を斬り裂く。
 死体が積みあがっていく一方で、博麻はその中をゆっくりと進みながら、激しく斬馬刀を振り回す。

 やがて博麻の周りに唐兵が近寄らなくなった。

 いつかはこの男も疲れ果てるはずだと、そう信じて立ち向かった唐兵たちの希望が、だんだんと削り取られていった。

 近寄らなくなった唐兵たちを見て、博麻は一瞬だけ後ろを向いた。
 後ろには骸の山ができあがり、自分はそれを踏みしだきながら突き進んできた。

 向こうでは倭兵たちが必死に戦っている。
 しかし多勢に無勢で、一人また一人と殺されている。
 見知った顔の男たちが、槍で突かれ、矢に射られ、断末魔とともに倒れていく。

 大勢の唐兵を討った博麻だが、軍と軍のぶつかり合いで言えば、ちっぽけな影響でしかなかった。

 拮抗した戦力どうしなら、一人の活躍によって戦況をひっくり返すことも可能かもしれない。
 しかし、それ以上に唐軍の奇襲部隊は強大で、薩夜麻が率いる倭軍は貧弱だった。

「これが戦だ。倭の戦士よ」

 声の方向に振り向くと、唐兵たちの間から、馬に乗った男が出てきた。

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