『第101話』伽耶諸国の激戦:倭将 対 傭兵団

「見つけたぞ、張堯」

 その一言で、張堯は恐怖に襲われた。
 兵を差し向けても、炎の海で覆っても、この娘は自分を殺すために、ここまでやって来た。

 この娘が恐ろしい。
 心の底から死んでほしい。

「こ、殺せ! その娘を殺しても、屋敷と領地を与えてやる!」

 張堯が叫ぶと、傭兵たちが目を輝かせる。
 ある傭兵が槍を構え、ラジンに迫る。

「お手柄は俺のもんだ! 死ねえっ!」

 鋭く突き出される槍を、ラジンはかわすまでもなく踏みつけた。
 傭兵の体は勢いよくつんのめり、目の前にラジンの顔があった。

 剣が二度、閃く。
 男の腹と首から血が噴き出し、ラジンはその血を浴びる。

 男が倒れた後、ラジンは顔についた血を気にせず、そのまま血のついた手のひらで前髪をかき上げた。

「ひっ……」

 髪を後ろになでつけ、あらわになった彼女の表情に、傭兵たちは震えた。

 ラジンは笑っていた。
 犬歯をむき出し、喜びと殺意が入り混じった獣のような笑顔だ。

「いっ、一斉にかかれ!」

 一対一では絶対に勝てないと理解し、傭兵たちは声をかけ合った。

 傭兵たちが彼女を取り囲もうとした時、ぬるりと人影が入ってきた。
 気づいたラジンが体を沈める。

 彼女の代わりに巨大な刃が現れ、傭兵たちを一気になで斬った。
 後ろから出てきた博麻は、斬馬刀を振り切った体勢から膝をついた。

「はぁっ……はぁっ……」

 博麻は肩で息をしていた。
 腕はきしみ、腹とあばらには深い傷を負っている。

 だが、彼の目は死んでいない。
 それどころか瞳には力がみなぎり、ラジンよりもはるかに強烈な殺意を宿している。

「おじさん」

「俺に構うな、ラジン」

 心配そうな彼女に、博麻は笑いかけた。

「このまま止まるな。張堯は、すぐそこだ」

「……うん!」

 彼女は力強くうなずき、剣を構え直す。

 同じ刺青の二人が揃ったことで、傭兵たちはたじろいだ。
 庭園でも城外でも、この二人の強さは群を抜いていた。

「兄貴!」
 そこに倭の諸将が続々と現れる。

 薩夜麻は膝をついた博麻に肩を貸し、上毛野、土師、そして物部も、腕に覚えのある部下たちを連れて館の入口に現れた。

「おいおい、あの豚男がいるぜ」

「せやな、ラジンの母ちゃんを連れて逃げようって腹づもりらしいのう。どこまでも卑劣な男やなあ」

「一気に制圧するぞ。将を討ち取り、あの女を救出してから引き揚げだ」

 大広間で傭兵と倭兵が向かい合う。

 人数はおよそ同数、倭兵のほとんどは怪我や疲労が残っていたが、戦意は圧倒的に上だ。
 自分たちはここまでたどり着き、落城まで間もなくなのだという自信が、彼らに疲れを忘れさせていた。

 大広間の最奥で、張堯は叫んだ。

「殺せ! 褒美は想いのままだ! 倭軍を滅ぼせ!」

 命令を受け、傭兵たちは一斉に突撃してくる。

「制圧せよ! 我ら倭軍は誰にも負けない!」

 物部が吼え、倭兵も武器を構えて突っこんでいく。
 豪華絢爛な館の広間が、むごたらしい戦場へと変わった。

「若造が! 今度こそ殺したらあぁあっ!」

 傭兵たちを蹴散らしつつ、上毛野は朱伯に向かって飛んだ。
 飛び上がった上毛野が剣を振り下ろし、朱伯がそれを受け止める。

「唐にも雇われた凄腕らしいな! 俺には及ばないがなぁっ!」

「うるさい男だな! 倭の賊に殺される僕ではない! 次は返り討ちにしてやるよ!」

 両者は剣を構えて睨み合う。上毛野と朱伯、再び激突する。

 一方、敵味方入り乱れる中でも、最も派手に暴れていたのは土師だった。
 どこから拾ったかわからない槍を片手で振り回し、時には敵の襟首をつかんで豪快に放り投げる。
 何人もの傭兵を宙に投げ飛ばす光景は、相も変わらず人間離れしていた。

 そこへ一人の影が、土師に向かって突っ込んできた。

「きょぉおおっ!」

 奇声とともに長い刃が頭上から振りかかる。
 だが、土師はそれに反応し、柄の部分をつかんだ。

「おっと! 少しは歯ごたえがありそうやな!」

 土師はつかんだ武器の主、醜く不気味な青脩に笑いかけた。

 青脩の持つ武器は、博麻の斬馬刀に似ている。
 長い柄の先に刃がついているが、斬馬刀よりも長く細い。
 そして刃の部分には、龍をあしらった装飾が刻まれている。

 三国時代の偉人、関羽将軍の青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)を模したものだ。
 時代は移ろっても唐の軍人をはじめとしたアジアの武人は「関羽」という大偉人の名に憧れ、この手の武器を作る者も多くいたという。

「吹っ飛べやあっ!」

 土師はそのまま柄ごと青脩を持ち上げ、投げ飛ばそうとした。
 しかし青脩はすぐさま偃月刀を手放し、懐から二本の短剣を取り出した。

「きぃいいいっ!」

 二刀流で激しく斬りかかってくる青脩に対し、土師は後ろに跳ぶ。
 そして距離をとると、自分の手に残った偃月刀を青脩に投げつけた。

 青脩は頭を沈めてかわす。偃月刀は別の傭兵の体に突き刺さった。

「なんだ、お前、武器も何もないのか」

 青脩はつまらなそうにため息をついた。

「おう、特にないで。それがなんや?」

「それは残念だ。せっかく、俺の宝が増えると思ったのになあ」

 青脩は自分の衣の内側を見せる。

 そこには大小さまざまな刃物、武器が隠されていた。
 どれも綺麗に磨かれた一品ものだ。
 大柄な上に厚着をしているため、体の至る所に武器を隠せるのだろう。

「お前を殺しても、何も手に入らない……ああ、ひどくつまらない」

「なんや、人の武器が欲しかったんか」

 落胆する青脩を見て、土師は上着を脱ぎ去った。

 上半身裸になったことで、土師の鍛え上げられた肉体とともに、あのヤマタノオロチの刺青がさらけ出される。
 その体は仁王像のごとく筋骨隆々としており、近くにいた傭兵や倭兵も言葉を失うほど雄々しい。

「わしの一番の武器はこの肉体や。決して奪えん」

 土師は拳を握りしめ、青脩に向けた。

「ほんでわしは、この武器でお前を叩き殺す……覚悟せいやああっ!」

 猛然と土師が駆け出す。
 殴りかかるかと思えば身を沈め、青脩の膝に向けて足払いを仕掛ける。

 青脩は飛び下がってかわし、二本の短剣から短槍に素早く持ち替える。 

「獣のような倭人だ。俺の武器で刺して、砕いて、斬って、仕留めてやる」

「わしを狩るっちゅうのか! はんっ、やれるもんならやってみい!」

 土師が跳びかかり、青脩が身をかわしながら隙を狙う。
 大柄な体躯を誇る両者だが、その戦法はあまりにも対照的だった。

 そして、物部は傭兵たちを斬り捨てつつ、全体の戦況を見ていた。

 この大広間だけではなく、その先にある廊下、部屋、裏庭でも戦闘は行われている。
 こちらの将は傭兵の幹部たちと対峙しており、他の倭兵は一進一退の攻防を繰り広げている。

 物部は危ない部下を助けつつ、自分に襲いかかる傭兵を討ち取っていた。
 そんな物部の後方から、小さな影が近寄る。

「物部どのっ!」

 離れたところにいた薩夜麻が、偶然それに気づいて声を上げた。
 物部は即座に振り向き、後ろから斬りかかってきた白稜の剣を防いだ。

「ちっ」

 白稜は舌打ちして、距離を取る。

「お前を斬れば全員に影響が出るはずだ。さっさと死んでもらう」

 見た目の若い白稜に不遜な物言いをされ、物部は顔をしかめた。

「後ろから暗殺まがいのことをするとは、やはり卑しい傭兵か」

「ずいぶんと偉そうな倭人だな。俺は身分のある人間が大嫌いなんだ」

 白稜はもう一本の剣を背中から取り出し、二本の剣を構えた。

 物部も足幅を整え、剣を構える。

 白稜が迫り、鋭い一太刀を浴びせる。
 物部は襲いかかる剣を弾き、袈裟がけに斬りつける。

 しかし白稜はそれをかわし、舞うような足取りのままに二刀を操り、連続で斬りかかってくる。

 続けざまに迫る刃を避け、弾き続け、物部は一瞬の隙を狙い、白稜の喉元を突く。

 白稜は体をよじってかわす。物部の刃が、彼の頬を削った。

「しゃあっ!」

 懐に入った白稜は剣を振るったが、物部はそのままあえて前に踏みこみ、剣が勢いを増す前に鎧で受け止めた。

「ふんっ!」

 そのまま体当たりして白稜の体勢を崩し、一気に斬りかかる。

 さすがの白稜も華麗にかわし続けることはできず、正面から切り結ぶしかない。

 物部は呼吸すら忘れ、六度、七度と休むことなく斬り続ける。

 だが、白稜の顔つきがここで変わる。
 斬りかかる物部の刃を、瞬時に双剣で挟みこむようにして巻き上げた。

「なっ」

 優勢だった自分の剣がいともたやすく巻き上げられ、その隙に白稜の刃が顔に迫る。

 なんとかのけ反って直撃は避けたが、物部の目の近くを刃がえぐった。

「ぬうっ!」

 物部は距離を取り、剣を構え直す。

 彼の右目のそばが深々と斬られ、赤い血がだらだらと流れていく。
 右目に血が混じってしまうため、物部は片目で白稜を見据える。

「勝負ありだ」

 白稜は鼻で笑った。切迫した勝負の中で、片目が見えなくなってしまえば命取りだ。

「お前の剣はもう見切った。力はあるが、俺より技術はない」

 たしかにこの若者は天才的な剣技を有している。
 物部もそれは認めざるを得ない。

 しかし不思議と物部は落ち着いていた。
 白稜は鋭く強いが、まったく恐くない。

 砂浜で力比べをしたラジンのほうが、はるかに恐ろしい敵だった。
 彼女の執念深い剣に比べれば、この白稜の剣に恐怖を感じることはない。

「終わってもいないのに何を言う。負けるのが恐いのか、小僧」

 白稜の目つきが険しくなる。

「ならば容赦しない。少しずつ、少しずつ……なます斬りにしてやる」

 冷たい殺気を放つ白稜に対し、物部は深く神経を研ぎ澄ませる。
 視界が半分失われているなら、より集中しなければ一瞬で殺される。

 この二人の剣戟を見ていた周りの兵たちも、鳥肌を感じていた。
 どちらも冷たい目をしたまま、的確に命を狙う剣士であった。

 敵味方入り乱れる大広間のすみで、薩夜麻は博麻の隣にいた。
 彼も剣を構え、近づく傭兵たちを斬り捨てていた。

 負傷と疲労が重なったことで、博麻は膝をついている。
 薩夜麻が博麻を守りつつ、目立たない大広間のすみへ逃げたのだ。

「兄貴、大丈夫ですか」

「まあ、な」

 博麻はそれだけ返事してから、大広間の奥を見た。

 張堯は紂玄にユナを運ばせ、大広間から姿を消した。
 ラジンは一人で張堯を追いかけ、傭兵たちの間を縫うようにして奥へ進んでいった。

「そろそろ、行くか」

 博麻は斬馬刀を握りなおし、杖のように床について立ち上がる。
 腹と胸から血を流している博麻を見て、薩夜麻は首を振った。

「いけません! その体では……」

「ラジンは、あいつなら心のどこかで俺を待っている。俺が行かないわけにはいかん」

「今、兄貴が行っても危険です! 誰か数人でラジンの援護に行かせれば、」

「約束なんだ」

 床についていた斬馬刀を離して、自らの両足で立つ。
 常人なら倒れてしまう痛みに耐え、博麻は斬馬刀を構えた。

「あの子を守り抜くと、俺が約束した。それを果たす」

 博麻が故郷で交わした約束だ。
 娘を頼むと言って亡くなった男に、『任せろ』と答えた。

 ならば命を賭けて果たすまで。

 薩夜麻は大きく息を吐いた。
 それから博麻に追いついて、一歩だけ前を歩いていく。

「露払いはお任せください。行きましょう、張堯のもとへ」

「……ああ」

 博麻は微笑み、薩夜麻の後ろをついていく。

 大広間の奥にある、裏庭や廊下でも倭兵と傭兵は戦っていた。
 そのような混戦の中でも、二人はすぐにラジンの足取りがわかった。

 彼女に殺された傭兵の死体と、彼女の足跡は一目でわかる。
 見事に一撃で殺された死体は、ほとんど一直線に転がっている。

 それをたどって進んでいくと、城館の北西側に抜けて、山頂へと続く石段が見えてきた。

「この石段を上っていった、ようです」

 薩夜麻は苦い顔をして、博麻のほうを見た。
 石段を前にしても、博麻は歩みを止めるつもりはない。

「兄貴、私の肩を」

「助かる」

「良いんです。行きましょう」

 薩夜麻は博麻に肩を貸して、引っ張るようにして石段を上る。
 博麻も懸命に足を上げるが、先ほどよりも進みが遅くなった。

 それでも博麻は休まず、弟分の助けを借りながら石段を上っていった。

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