第58話『強射』
「あっちも弓を構えました。やはり、追っ手ですね」
豆麻の言葉通り、船に乗っている男たちは弓を取り出し、矢をつがえた。
お互いに指示を出し合っており、その言葉はやはり唐の言葉だった。
「伏せて!」
ウンノが叫び、全員が身を伏せた。
その直後に弦が鳴る。
一斉に唐兵たちが矢を放ってきた。
薩夜麻たちの船を漕ぐ水夫たちも、身を屈めて矢をやり過ごした。
だが、その分、船の速度は落ちる。
櫂を漕ぐ手を止めて、矢から自分の身を守ったのだから当然だ。
敵からすれば、このように逃げる隙を与えず矢を撃ち続けて、距離を詰めたいところだ。
だが、薩夜麻たちもその思惑に気づいている。
「まずは向こうの水夫から」
豆麻が体を起こし、すぐさま矢を放つ。
唐兵たちは身構えたが、豆麻の放った矢は、唐船の水夫の頭を射抜いた。
頭を射抜かれた水夫は、後ろにいる仲間に寄りかかる。
こともなげに命中させた豆麻の腕に、唐兵たちはおろか、薩夜麻たちも絶句した。
「ははっ、こりゃとんでもないのう!」
富杼は楽しそうに笑った。
「まだまだこれからですよ。次は、あっちの船の水夫を」
豆麻はふっと微笑んでから、さらに矢を放った。
今度は別の船の水夫を狙ったが、その水夫は慌てて頭を引っ込めた。
しかしその後ろにいた水夫の胸に、矢が突き刺さった。
即死ではなかったが、まず助からないだろう。
「負けてられないで! 薩夜麻!」
「わかっていますよ、っと!」
豆麻の射撃に気を取られた唐兵に、薩夜麻は矢を撃ちこんだ。
当たるかどうか不安だったが、矢は真っ直ぐ飛んでいき、唐兵の胴体に突き刺さった。
「さすがですね、若さま!」
豆麻が称えてくれたが、薩夜麻は素直に誇れなかった。
もう一度同じことをやれと言われても、正直に言って自信はない。
二連続で敵の水夫を射抜いた豆麻の方が、明らかに格上だ。
「お、やつら、盾を構えおったで!」
「矢の撃ち合いでは勝てないと考えたようです! こっちも急ぎましょう!」
薩夜麻はこちらの水夫たちに命じる。
倭人の水夫たちも急いで櫂を漕ぎ、全速前進で本土へと船を進めていく。
矢の撃ち会いが終わったことで、純粋な追い比べになった。
倭国本土まで逃げきれば、薩夜麻たちの勝利だ。
だが、追っ手も全力で追いかけてくる。
唐の水夫たちも矢を警戒しながら、薩夜麻たちの船に向かって櫂を漕ぐ。
「くそ、差が縮まっている……!」
薩夜麻は顔をしかめた。
唐船の方が大きく、水夫の数も多い。
豆麻の矢によって死人は出たが、船の進む速度が大きく落ちることはなかった。
対する薩夜麻たちの倭船は、唐船よりも小さく、速度も遅い。
倭人の水夫たちも必死で漕いでいるが、わずかに最高速度では負けている。
少しずつ、だが確実に、二隻の唐船が迫ってくる。
「仕方ありませんね」
そこで豆麻は弓矢を下ろし、荷物から石弓を取り出した。
「なっ……それは唐軍の!」
「ええ、交易で手に入れたものです。連射はできませんが、威力は段違いです」
驚く薩夜麻に対して説明しながら、豆麻はばね仕掛けを引いて、矢をつがえた。
「それで盾ごと貫くのか?」
「いえ、矢ももったいないので、船体を狙います」
豆麻はそう言って、片方の船に向けて石弓を構えた。
「……そこだ」
石弓から矢を放つ。
矢は海面と船体の際、喫水線の辺りに命中し、船体に風穴を空けた。
ばねの力で飛んだ鉄の矢は強力で、上手くいけば船の木材すら貫くのだ。
穴から海水が侵入してくる。
唐兵たちは驚き、慌てて船体を補修しようとする。
だが、豆麻の手は止まらない。
もう一度ばね仕掛けを引いて、しっかりと石弓を構え直して、矢を放つ。
次は別の箇所に命中し、もう一つ風穴を空けた。
続けざまに船体に穴が空いたことで、唐兵も水夫も、空いた穴をふさぐことしかできなくなる。
「今だ!」
そこで薩夜麻が矢を放つ。
見事に水夫の頭を射抜いた。
この薩夜麻の一矢で、唐船に混乱が起こった。
水夫たちが櫂を逆に動かして、後退を始めたのだ。
これに唐兵たちは怒鳴ったが、水夫たちも負けじと逆らい、味方同士で揉めていく。
水夫たちも唐の人間だが、国に忠実に仕える兵士ではない。
船は沈みかけ、仲間も次々と矢の餌食になるとなれば、唐兵に命を預けて協力する義理はない。
彼らに、国に殉じる想いはさらさらないのだ。
こうして一隻の船が脱落し、残るはあと一隻となった。
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