第38話『策略』

「教えてくれよ……頃合いだろう?」

 そこで氷老は、博麻の手首を結んでいた縄を一気に切断した。

 氷老がゆったりとした着物を着ていたせいで、周りにいる男たちも、博麻の拘束が解けたことに気づくのが遅れた。

 直後に博麻は短剣を受け取り、目の前にいた西方人の男に投げつけた。

「ごっ、ぐ、うぅっ⁉」

 短剣は男の胸に突き刺さり、男は血を吐いて倒れた。

 氷老も他の男たちが対応する前に動きだし、博麻が座っていた椅子を男たちに向かって振り回す。

「な、貴様ら、謀りおったな!」

 典了は怒鳴るが、博麻は素早く死体から短剣を引き抜いて接近する。

「させるか!」

 二人の取り巻きが剣を抜いて、博麻に襲いかかる。

 だが、博麻はすれ違いざまに一人の心臓を貫き、もう一人の頸動脈を切断した。

 わけもわからず倒れた二人には目もくれず、博麻は典了の服をつかんで投げ飛ばし、倒れたところで顔面を踏みつぶした。

 残る取り巻きも、氷老に気を取られている隙を突かれ、次々と博麻によって殺された。
 ものの十秒ほどで、五人の男たちが無力化された。

「う、ぶっ……ぶが……」

 顔を踏まれて鼻をへし折られた典了は、まだ意識が残っていた。
 博麻と氷老が歩み寄り、顔中が血だらけになっている典了を見下ろした。

「残念だったな。お前は利用される側だったわけだ」

「典了殿、あなたが人身売買に手を染めていることは昔から知っていた。まあ、周りの官僚も黙認はしていたが……逆に今は、あなたが今日まで廃業していなかったことに感謝しているくらいだ」

 博麻と氷老の黒い微笑みに、裏社会の住人である典了すら恐怖で青ざめる。

「お、お前たち……なんで、こん、な、真似を……」

「俺たちの描く筋書きに、必要だったからだ」

 氷老はしゃがみ、典了に耳打ちした。

「博麻を奴隷として売った金を手に入れ、その上で博麻の行方をくらませる。そのために、あなた方に対して芝居を打たせてもらった。俺は博麻を奴隷として売り払うつもりなど、さらさらなかったわけだ

「馬鹿めっ……今さら、そんな真似しても……俺たちには他の仲間がいる……売られたはずの博麻がいないとわかれば、犯人としてすぐに追われる、ぞ……!」

「あはは、それは問題ない」

「……は?」

 自信たっぷりに答える氷老に、典了は呆然とした。

「お前たちの死体を何分割にも切り分け、ここに居た人間の人数を把握できないようにする。その上でこの隠れ家を燃やせば、お前たちも、博麻も、焼け死んだという筋書きになる。博麻は奴隷として捕まり、その後に運悪く焼死したという扱いになる」

 氷老の説明が終わると、博麻は男たちの死体から剣を拾い集めた。

 そしてそのうち一本の剣を、典了の眼前に突きつけた。

「切り分ける時間も惜しいんだ。さらばだ、奴隷商」

「ま、待っ」

 典了は博麻に命乞いしようとしたが、その前に博麻の振るった刃が首をはねた。

 博麻と氷老以外は死体となった。

 早速、二人は作業を進めた。
 剣で死体を何分割にも切断し、室内に散らばせる。

 博麻も、氷老も、顔色をほとんど変えずに作業を行う。
 博麻は戦場を経験しているため、より素早く、効率よく死体を切り分けていく。

「これで良し。あとは燃やしてしまえば、焼け跡から死体が見つかっても正確な人数はわかるまい」

 すべての死体を切り終え、氷老はひたいの汗をそででぬぐった。

「しかし、あんたの演技はなかなかだったよ。まるで本当の悪人のようだった」

 博麻は使い終わった剣を投げ捨て、苦笑しながら首を振った。

「お前こそ、人を逆なでする芝居が上手すぎるぞ。俺が出てくる前に、こいつらに殺されたらどうするつもりだったのだ」

「あれくらい反抗的でなければ、こいつらを騙せないと思ってな」

 そう答えた博麻は、氷老が出てきた扉の方へ行く。

「もう行くのか」

 氷老が問うと、博麻は「ああ」と返した。

「他のみんなにも、心配せず準備を進めてくれと伝えてくれ。あとは決行日の変更があれば、西市(せいし。商人、旅人が集まる西の市場)に潜伏している俺に報せてくれ」

「わかった……ありがとう、博麻」

 氷老が礼を言うと、博麻は首を振った。

「それはこっちの言う言葉だよ、氷老殿。あんたが力を貸してくれなければ、ここまで事を進ませることはできなかった」

「いや、それもこれも、お前と老猿のおかげだ。お前たちが話を持ちかけてくれなければ、俺は今も自分の想いに蓋をして、黒常の言いなりになっていた」

 氷老は典了から受け取った金と、典了に一時的に渡していた金をすべて袋に入れた。

 そして、その袋を博麻の前で掲げた。

「お前を死人に変えて得たこの金は、ただの金ではない。倭国を救うための、希望だ

 氷老は博麻の目を見据える。

「必ず、俺たちは倭国に帰る。唐帝国の計画を報せて、お前の故郷も守る」

 力強い宣誓だった。

 氷老は博麻に、後のことは心配するな、と言いたいのだ。

 博麻は優しく微笑むと、氷老を抱きしめた。

「頼んだ」

 それだけを言ってから体を離し、最後にうなずいてから、博麻は先に出ていった。

 博麻という男は『死んだ』ことになり、氷老の手元に金が残った。

 四人分の、逃亡資金だ。

 この金は決して無駄にしない。

 氷老はそう決意を固めた。

 それからすぐに室内に油を撒き、火打ち石で着火して、奴隷商の隠れ家を燃やした。

 激しく燃え盛る隠れ家から離れ、氷老は倭人屋敷へと帰っていく。

 後は、この長安から脱出するだけ。

 治安長官、黒常の屋敷を襲撃し、脱出する決行日まで、あと三日。


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