虹の橋の向うから 愛情はさわれる(7)

私の一頭目の盲導犬スースーは今から7年前に旅立ちました。
とてもまじめで繊細で、けなげな女の子でした。
スースーは10才で盲導犬を引退した後、私の妻が引退県ボランティアとしてスースーを引き取り、スースーは引退後も二頭目のシジミと一緒にわが家で暮らしました。
旅立った時は私と家族とシジミで看取りました。

スースーは旅立つ一週間前までは一緒に散歩に行けましたが、月曜日から散歩に行けなくなり、うちに来て初めてフードを食べなくなりました。
そこから寝付いて動けなくなり、その週の土曜日に旅立ちました。
スースーが旅立ったのは春の土曜日でした。
ちょうど家には家族全員がいました。
スースーが家のリビングで皆に見守られながら息を引き取った時、ちょっと不思議なことが起こりました。
みんなでお別れをしている時、部屋がなんだか温かいエネルギーに包まれているのを感じました。部屋はまるでうっすらと金色の光に包まれているみたいで温かく、私や家族が感じていた悲しみもその温かいエネルギーに包まれていくようでした。
私たちはいつのまにか涙を流しながらほほえんでいました。それからみんなでスースーの思い出を語り合って笑いました。
今でもあの時の光と温かい部屋の雰囲気を思うと不思議な気持ちになります。

スースーが旅立ってからしばらく後のことです。
ある時、なぜかスースーの写真が気になって、写真に近づいたら、そこから私に向かって温かいエネルギーが流れてくるのを感じました。
その温かなエネルギーは光の帯となって私の胸のところに向かって流れて来て、やがて私の胸のところがじんわりと温かくなりました。
私には霊能力のようなものはありません。でもそこから流れてくるのは生きている動物たちが私に送ってくれるのと同じ愛情のエネルギーでした。

それ以来、私は今でも時々スースーの写真を私の目の前に置きます。
すると、まるで目の前に生きたスースーがいた時のように、エネルギーの光の帯が私に向かって流れてきます。そのエネルギーを感じていると私の胸は時にはちょっと熱いと感じるくらいに温まり、とても美しい愛情の質感を強く感じます。
これは私が今感じることのできる最も美しい感覚の一つです。

そしてそのエネルギーを感じた時、その質感はかつてスースーが旅立った時に部屋を満たしていたあのエネルギーと同じだと思いました。
もしかしたらスースーが旅立ったあの時にも、身体から抜け出したスースーは私たちに向かって愛情の質感を送ってくれたのかもしれません。

たいていの人は、子どもの時には愛情の質感をふつうに感じられる世界に生きています。
やがて成長するにつれ、どこかの時点で生活や仕事での他の感覚情報の優先度が上がって、その人の「世界の見え方」の編集パターンからこの「目に見えず、役に立ちそうにない」感覚情報が除外されていくのだと思います。
私も大人になるまでのどこかでこの感覚を感じられなくなりましたが、視力を失ったことをきっかけに失われた視覚情報を補うようにこの感覚が再び感じられるようになりました。

虹の橋を渡った動物たちは、スースーのように虹の橋の向うから相変わらず愛情のエネルギーをこちらに向けて送り続けてくれているのかもしれません。
もし愛する動物が旅立って、
写真を見るたびに悲しい思いをしている人がいたら、自分の「世界の見え方」をを再編集して愛情の質感を感じられるようにすれば、虹の橋の向うから自分に向かって送られている愛情の質感をいつでも受け取れるようになるだろうと思います。

愛情の質感を感じるように感覚情報の編集パターンを変えることは、楽器の演奏を
習ったり、新しい語学を学んだりするように、少し練習をすればまた思い出せるものだと思います。
動物と一緒に暮らす人で愛情の質感をあまり感じられない人は、この感覚を取り戻すことで動物たちがいつも愛情の質感という「目に見えない大切なもの」を贈り合う喜びについて伝えてくれていることに気づけるようになると思います。

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