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じいじ 保育士を目指す! 紙は神?

ある講義でのディスカッションで

 私の立場は、保育の世界でも使えるテクノロジーは使っていい。例えば、紙媒体でなくても使えるならデジタル化してもいいし、保育の記録にリアルタイムな映像や音声自動文字化ツールやその他必要なら分析ツールだって使っていい。

 保育実践で、保育記録の本質的な部分の時間的集約度を上げる補助という意味やサポートとして有効であれば、紙とペンにこだわる事は意味がないと考えている。

 アートという意味で紙や筆、ペンというモノを否定していない。ここを勘違いしている人が多いが、表現手段という意味で言っているのではない。あくまでも業務遂行上の処理をどうするかという意味でデジタル化は必須だと言っているのだ。

 だから、保育実習で実習生に紙とペンで実習記録を提出させる事を議論した。私はそういう行為はある意味でハラスメントだと思う。現在はデジタルツールが使える状況で、あえて根性論や実習先園の頑迷なこだわり(これって自分達がされてきた事を後輩にも味わってもらう的な陰湿なイジメもどき)が本質的教育内容になっていますか?という意味だ。

 講義では、保育実践家としての学生(社会人大学院生)が紙は、全体を俯瞰して見やすいからとか、iPadの様な機器を買えない生徒もいるという意見(?)が出てきた。

 こういう類の反応は、紙が本質的な教育と関係がありますか?という問いになんら答えていないと思う。いや、反論になっていない。見やすいからという理屈は、では画面サイズの問題?、情報ツールが格差問題だと言うなら、政策的問題として議論すればいいだけで議論の本筋とは別の問題点だ。

 私ははっきり言った。そういう本質的議論をすり替えた紙至上主義(結局、PC等ツールが苦手)を言い張るその体質と内向きな保守的態度が保育の世界を中側で自らを退化させる原因になっている。この体質こそ保育の処遇問題を進めない一つの足枷の様に働いているのでは?そう思うと。

 その人達は黙ってしまったが、結局講義でのディスカッションになっていないし、その人達には私が言わんとする事は伝わらないし、きっと教育実習における記録は紙!という事を守り続けるのだろう。

 次世代を担う学生を、更に言えば育てるという事で繋ぐ幼児教育の未来を考える事は、子ども達の未来を繋ぐ事そのものだと私は思うのだが。。。

さて、今日はこの辺で。

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