あうんコンプレックス

 人と人との適切な距離、というものについて考える機会が多くなった。
めちゃめちゃ好きな映画、「勝手にふるえてろ」の劇中歌(たぶんタイトルは「アンモナイトの歌」)に、「この距離が私と世の中の限界」という歌詞がある。この言葉は、私が周りの人との距離においてぶつかり、悩んだ時にいつだって脳内に浮かんで、私を絶望させてきた。大好きな人でも、毎日一緒にいる人でも、所詮は他人で、「頼っていいよ」にも限度がある。それが当たり前で、お互いが心地いいと思える距離を保つことは、誰かと有効な関係を築く上で結ばれる暗黙の契約にしっかり事項として入っているんだろうなあ、的な。
「適切な距離」という概念は、ポジティブにもネガティブにも響く。半年に一回近況報告をするのが楽しみで繋がっている友達がいるけれど、毎日会っていた高校時代はここまで仲良くなかった。親子関係だって、親元を離れて一人暮らしを始めてからの方が両親のことを大切に感じている。人間関係は難しくて、一人だけのものではないから、自認する「適切な距離」が相手と一致しているか不安が付きまとう。心地いい距離感は人それぞれだしタイミングもそれぞれ、オーダーメイドだとつくづく思う。

 人間同士の関係だけではなく、世の中の色々なものに「適切な距離」は存在する。壮大なものでいえば、地球と太陽の距離もそう。近すぎても遠すぎても生命が存在する環境は生まれないようで、本当に奇跡みたいな距離だと思う。あとは、映画館でスクリーンからどれくらい離れた席を取るかとか、ワインをボトルから注ぐときにどのくらい上から注ぐかとか、高速道路の車間距離、教授の視野からは外れつつ目立たない席を探して授業中にツイッターを開くとき、などなど…日常生活で「適切な距離」に思いを馳せることって結構多い。

 ミュージカル「メリー・ポピンズ」の練習も佳境を迎え、ディレクターとしてシーンの練習に携わるときもかなり踏み込んだコメントが出来るようになってきた(といいな。)それぞれのキャストが自分の役について造形を深めていて、ディレクターの仕事は皆が演じるキャラクター同士の関係性の調整といったものになってきた。
 ただ、色々なキャラクター同士の関係の中で、最初からなんとなくしっくりこないものがあった。主人公のメリーと元教え子で現相棒のバートとの関係だ。メリーは魔法が使えて、子供たちを導くのが役目。バートは普通の人間で、メリーの相方として一緒に子守に携わることはあるけれど、メリーはバートに子育てについての手の内を明かしきることは無いし、自分の去り際みたいな大事なことは一人で決めてしまって、そこでバートが何を言ったところで考えを変えることは無さそうである。バートもそんなメリーを理解していて、メリーが伝えたことも、あえて伝えなかったことも静かに受け入れる。それにメリーがいなくなったとて彼の生活は彼なりに愉快なものとして続いて行くんだろう。風に乗ってフラッとやってきて、役目が終わればまたどこかへ消えてしまい、次はいつ会えるのか分からない。そんな人とパートナーになんてなれへんやろ、と脚本を書いている時の私は思った。私は大切な人とは割と一緒にいたいし、会わない時間が続くと疎遠になるし。
 でも、本番を前にして「メリー・ポピンズ」という物語に向き合う時間も終わりに差し掛かった今、なんとなく二人の感覚がつかめるような、いや、つかめはしないけれど、そんな二人の関係性に憧れに近い感情を抱けるようになった。きっと二人の間にある静かな好意とか、信頼とか、尊敬とかそういった感情が、二人の間の「適切な距離」を心地よいものにしているんだろう。シンプルに羨ましい、この二人。

 個人的な性格(を通り越して「癖(ヘキ)」まである)として、「なんでも言語化しないと落ち着かない」みたいなものがあり、だからこそ私は上に上げたメリーとバートみたいな、言葉にしなくても伝わるタイプの相棒に憧れというか最早コンプレックスに近い感情を抱いているのかもしれない。阿吽の呼吸って何なん、言わなくても分かるって何なん、「ありがとう」も「好き」も「これはされたくない」「こういうとこ直してほしい」も全部伝えてくれないと逆に察しにいきすぎてそれもまた相手に窮屈な思いをさせてしまいそうで怖い。相手が言おうとしない事柄の言語化を強いることは、相手が保ちたい距離の内側に踏み込むことだ。話して楽になりたいのは自分のエゴで、大切な人を疲れさせてしまって、本当に本当に、誰かと一緒にいるのって難しいなあ…と痛感する日々である。

 さて、2年半日常生活を注ぎ込んできたサークルが、終わろうとしている。公演が無事に終わってほしい、はディレクターとしての私の想いだけれど、一大学生としての私が恐れているのは、人間関係の更新というイベントが到来することである。なんせ全ての人間関係をサークルに収束させてきたもので、サークルの中でも特に近しい人間にはかなりの激重好意を溜めているはずである。そんな愛すべき友人達と必然的にちょっと疎遠になって、きっと課題もバイトも予定もない夜なんかが増えて、連絡する人もいない、になった時に私はどうやって過ごすんだろうか、ていうか大丈夫か??阿吽のそれを求めて相手が必要とする以上に繋がりを保つことに躍起になって、せっかくいい思い出を共有しているはずの人達を、後味の悪い関係に腐らせてしまったりしない?

 つまるところ、ちゃんと一人の時間を愛せるようになる必要があるんだと思う。家を整頓して、一人前の晩ごはんを作って、好きなドラマを見て、ゆっくり風呂に入る。勉強もする。もやもやすることは自分の中で言葉にする。(こうやって書き残してもいいし)自分に還元されることにしっかり時間を費やせるようになる訓練は大学生のうちに積んでおかないと、余裕のあるかっこいいおばさまになるという夢は叶わないような気がする。で、一人の時間を十分に満喫したうえで、たまに会う大好きな人たちとの時間は、きっといつだって新鮮で長続きすると思うので。

 「適切な距離」は身に付けたいマナーで、目標で、コンプレックスだ。人への執着っておそろしい。私の愛が、太陽の強すぎるエネルギーみたいに近しい惑星を燃やし尽くしてしまわぬよう、エネルギーを幾分かは内側に向けて、自分だけの時間をじっくりと熟成しつつ、落ち着いて周りを見渡せるかっこいい大人になりたいなあ。どうやらこの数年ですっかり阿吽の呼吸コンプレックスを拗らせてしまったようだけれど、好きな人の背中を見ても安心できるようになった時、私はもうひとつ成長できるんだろうなあ、と思う。

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