感情の波に乗りつつ飲まれつつ、今を生きる
こんにちは!ほのかです。
常体の方が率直な気持ちを書きやすいなと思ったので、今回も常体で書きました。
今後も記事によって書き方が変わるかもしれません。模索しながら色々やってみようと思います。
今回は前回の記事から今日までの変化を徒然なるままに書きました。
前回の記事↓
先週末はフェスへ行っていた。ただ、フェスの前日辺りでとんでもない量の寂しさに気づいたりして心の中が荒れてたから、果たして私はフェスを楽しめるのかと不安になってたけど、ちゃんと楽しかった。
ほのかちゃんにも居てほしいとか、誰か一緒に行ってくれる人がいるなら行きたいんだけど、と言ってくれる友人がいたから途中まではある人と一緒に、それからまた別の人と合流したりして楽しんだ。
そして、みんな別れ際に「来てくれて本当ありがとう」と感謝してくれた(こちらこそ〜)。存在してるだけで愛されるってこんな感じ?
とりあえず、無事にフェスを楽しめてちょっとホッとした。
次の日。寂しさの中に潜ってみた。切なくて悲しくて胸がキューっとなる感じ。正直しんどい。
でもこの先にまた違う世界があると思うからできる。
「寂しい」と思いながらご飯を食べて、「寂しい」と思いながらお風呂に入ってみたりする。
寂しいと思ってたらイライラしてくる。
イライラしてたと思ったら涙が出てくる。
ひとしきり泣いたら安心する。
でもまたイライラし始める時もある。
今週はずっとこんな感じ。感情を抑圧して生きてきたものだから、この動きがまあしんどい。
でも、同時に軽さを感じる。今までよりももっと心が軽くなって、活力がじわじわ湧いてる感じ。涙も、絶望の涙じゃない。ホッとして出てくる涙。
あとは、感情の土台?にうっすら幸福感がある。だから、怒りや寂しさを感じるのがしんどくてもやっていけてる。
それにしてもまだイライラしてるのか。と思った。
先週の初め、友人と会っている時に友人が運転中に人と揉めた事があった。私は、その出来事に対して私の怒りの投影かな?と思った。けど、頻発してる訳じゃないからたまたまかなと思った。
でもフェスの時、同行者のうちの1人がやけに怒りっぽく感じた。
今日になって「これらのことはやっぱり自分の怒りの投影で、自分が思っている以上に自分の中にまだ怒りが溜まっているのだ」と気づいた。
先週と比べたら憤慨度は下がってるけど、常に怒りが燻ってる。今の私はイライラ50%、寂しさ70%がデフォルトになっている。なんなら夢の中でも怒ってたりする。
怒ってるんだけど、自分が怒りを認めているからなのか外の世界は平和。たまたまエレベーターが一緒になったおばちゃんに「暑いね〜」って話しかけられたりする。
成長した部分も見つけた。
以前の私だったら「この前まであんなハッピーだったのになぜ?」ってイライラする自分を否定してさらにイライラしたり
「やっぱりダメなんだ」って落ち込んだりしてたと思う。
今の私は多少辟易しつつも、感情をあるがままに感じている。
そして、自分の感情の動きに気づきやすくなった。以前だったら思考を巡らせて、爆発するまで気づかないのが普通だった。
今の私は「今何を感じてる?」と感情に意識を向けて、リアルタイムでめまぐるしく変わる感情の動きをキャッチできるようになった。そしてそれに自己嫌悪しなくなった。
そんな感じで感情の動きに目を向けてるから、今を生きられてる感じもする。
思考が弱まっているのも感じる。ボーッとしているから、普段できてることを忘れたり、間違えたりもする。それも仕方なしと思っている。
きっと生まれ変わってる途中なんだと思う。
だからしばらくは、寂しさと怒りを抱いて過ごしていくのだと思う。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
ほのか
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