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【オーストラリア法】 コモン・ローの起源

日本の法制度については、ある程度勉強してきたが、これまで諸外国の法制度に対しては全く気を配ってこなかった。恥ずかしながら、オーストラリアに来てこちらの法律を勉強するまで、コモン・ロー common lawシビル・ロー civil law の違いさえわかっていなかった。本稿では、コモン・ローの起源にスポットライトを当てたい。

さて、コモン・ローの起源を話す前に、そもそもコモン・ローとシビル・ローの区別をご紹介したい。様々な観点から違いを示すことはできるが、最も重要な違いは、法源(法律の源)ではないだろうか。前者は、裁判所の判断が法源の中心になるのに対し、後者は、国会の立法する法律が法源の中心となる。実際は、コモン・ロー制度においても立法は重要な役割を果たしているし、逆もまたしかりであるが、伝統的に上記のような説明がなされている。

また、両者の違いは、地域によっても説明できる。コモン・ローは、イギリスで発達したシステムであり、シビル・ローはヨーロッパ大陸で発達したシステムである。このような発祥地の違いから、イギリス系の国々であるアメリカ、オーストラリア、カナダ、インドなどは、コモン・ローシステムを採用している。他方で、日本や他のヨーロッパの多くの国は、シビル・ローシステムを採用している。

ここでようやく本題に入る。コモン・ローの起源は、どのようなものであったか。私は、この点が気になっていた。どうして、国会という立法機関があるにもかかわらず裁判所の判断が後の事件の判断をも拘束することになったのか、きっちりと文字で法律を残しておかないのは不便ではないかといった素朴な点が不思議であったので、なぜこのようなシステムが生まれたのかということが気になっていたのである。

コモン・ロー制度は前述の通り、イギリスに起源を持つ。そして、その発祥は、ノルマンコンクエスト(1066)まで遡る。ただ、コモン・ローの起源を説明するためには、中世ヨーロッパのヒューダリズム Fuedalism (これを一般の教科書は「封建制」と訳すが東アジアの歴史で登場する「封建制度」との混同を避けるため、ここではヒューダリズムと呼ぶ。)の理解が不可欠である。フューダリズムとは、何か。ChatGPTが挙げてくれたヒューダリズムの特徴のうち、重要なものを以下に引用する。

1:封建的な関係: 封建制は、封建領主とその臣下(封臣)との間に築かれた階級的な関係に基づいています。領主は土地や特権を提供し、臣下は忠誠と奉仕を約束しました。この関係は、土地の所有と支配権の交換に基づいていました。
2:領地制度: 封建制では、土地(領地)が重要な資源でした。領主は土地を所有し、臣下に与えて統治することで忠誠を確保しました。土地は農地として利用され、農民は労働や税金を提供する代わりに、領主の保護を受けました。
3:封建的な階級: 封建制社会は階級的な構造を持ちました。頂点には君主や王がおり、その下に領主、騎士、聖職者、農民などが存在しました。各階級は特定の権利と責任を持ち、社会的地位と経済的な特権が異なりました。
4:分権的な政治体制: 封建制は地方分権的な政治体制を特徴としていました。中央集権的な支配ではなく、小さな封土や領地が地方の支配者によって統治されました。法的な権限は個々の領主にあり、地方の司法や行政の問題は彼らが処理しました。

ChatGPT

1066年、ノルマンディ公ウィリアム率いるノルマン人がイングランドを征服した(ノルマンコンクエスト)。そして、当時のイングランドは、ヒューダリズムが広がっていた。ノルマンディ公ウィリアムは、イングランドを征服したが、その秩序維持を大幅に変更することはしなかった。すなわち、彼は、ヒューダリズムを引き続き統治制度として採用した(イングランドの国土の全てをコントロールする力まではなかった)。ヒューダリズムの特徴として、「分権的な政治体制」というのをChatGPTが挙げているが、それぞれの領土を有している領主(貴族)がそれぞれの領土を統治しているから、これは当然である。しかし、ノルマンコンクエスト以降、いかなる紛争、事件も究極的には王 king が解決することになった。王はその使節を使いながら、農民の不平を聞き入れていた。

ここで重要になるポイントは、各地の領土によって、慣習や文化は異なっており、当然、紛争の解決の仕方も異なっているそれにもかかわらず、その土地の慣習等に明るくない王が、紛争を解決しなければならない。どうすればよいか。以下の原則に従うことが有用である。

似た事件は似た仕方で扱おう

これが、stare decisis (先例拘束の原則)という法格言の起源であり、先例を重んじる慣習のもとである。

ノルマンコンクエスト以前のイングランドでは、それぞれの領主がそれぞれのやり方で紛争を解決していた。そうすると、法的な安定性(予測可能性)はどうしても乏しいものとなってしまう。他方で、上記の原則に基づく王による紛争解決は、この法的安定性を担保できる。そのため、農民らは領主ではなく王による紛争解決を好むようになった。また、王による解決は、領主のそれと異なり、最高権威ゆえにイングランド全土に対して効力を有するものとして認められてたことも、王による解決がより好まれる要因となった。なお、コモン・ローにおけるコモン commonという言葉は、王による解決が国土全体に効力を有することからきている。

以上がコモン・ローの起源であるといえる。他にもコモン・ローの起源として述べるべき事柄はたくさんあるだろうが、自分が勉強していて最も新鮮だった部分をご紹介した。

参考文献
Laying Down the Law, 11th ed by: Robin Creyke, David Hamer, Patrick O'Mara, Belinda Smith, Tristan Taylor



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