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今朝の事

空はどこまでも青く雲一つない。
この青い空をどんどんのぼってゆくと、
広大な無限な宇宙が広がっているのだとおもうと不思議な気がした。

私は1歳の時に食中毒(生クリーム)で死にかけたらしく
それもあるのか、この世とは何ぞや?というテーマが
物心ついたときから、ずっとつきまとっている。

精神世界やUFOや臨死体験の本を読みあさった時期もあった。
様々なことを考え始めると、もの凄く変な世界だとも思った。
早く自分の本当の世界へ帰りたいと思うこともあり、夜空を見上げた時もあった。

人の想念を受け取りすぎて、しんどい時もある。
問題のある人の、さらにその奥の背景の気持ちをくんでしまう。
で、何も言えなくなってしまう。言えるといいのだが。
今、そのことがピークな事があり、このところナーバスになり
最愛の亡き父に「早く迎えに来て」と、願ったとこともある。

そのストレスから、不整脈が酷くなり、酷い風邪をひいて寝込むことに。
昔から、心がピークになると熱が出たり体調不良となり、寝込む。
強制的にそこで休めて、元気になってゆく。

今朝、母が夢の中に出てきた。
二人で素敵な帽子をかぶっていた。
母の帽子は、若い頃の上皇后美智子様がかぶられていたような形で
私のは、つばの有る紺色の軽くて暖かな帽子だ。

母の帽子を私がかぶったら、もの凄く重くて首のあたりが痛くなった
「お母さん。どうしてこんな重い帽子をかぶっているの?」と訊いてみた。
母は、何も言わずにそばにいた。そこで目が覚めたのだけど、布団のなかで「もしかしたら母は、私以上にずっと多くの重たい思考を自分の内に入れて生きていたのかもしれない」と思った。

残念ながら私は母とは最期まで、わかりあいながら、分かり合えなかった。
(矛盾する言い方かもしれないが、)
父も母も亡くなったけど、最愛の父より、母の方が夢に出てくることが多い。母は亡くなった日の夜中に、寝ている私の所へ来て存在を示した。
その日の事で多分。正義感の強すぎる私の事が気がかりだったのだと思う。
その時、霊は確かにいるのだと思った。そして魂もあると思った。

庭の片隅の八手の花

今朝も、DSブログ辻さんの記事はアップされていない。
かなり心を痛めているのだと思う。
TVでうつる中山美穂さんの素晴らしく輝く美しい姿を拝見しながら、
きっと今はご子息の側にいらっしゃるのでは?と思った。

十月十日、母と子は一心同体でいる。そこから産み出される。
悲しい別れをしても、奥深いところで繋がっているのだと思う。
母親は、自分の子どもの幸せを心から望んでいる。
その想いは永遠である。

私達人間の生きている時間は、地球の時間からしたら
流れ星よりもっともっと短く、ふっと点にもならない時間なのだろう。
その中で、何が残るかと言えば、一人一人がどんなかたちであれ
自分なりに精一杯生きたことなのかもしれない。

その生きた証は、すべての人間との調和として存在するのだと思う。
いいとかわるいとか、そんな事は、人間の概念であって、
ただただ精一杯生きたという、その1人の魂の炎を燃やす事に
意義があるのだと思う。

精一杯生きて多くの方々に生きる喜びと、夢を与えてくださった中山美穂さんのご冥福をお祈りしながら、今、まさに多くの方々に歌・小説・絵画・エッセイ・X・インスタ・ブログなどで、人々に生きる喜びと、夢と、勇気をあたえてくださっている辻さんのお心が、癒され、お元気になられ、ご子息のために、再び前を向いて歩いてゆかれることをお祈りしています。

ありがとうございます。

PS:この記事をアップした後、DSブログを拝見したら、
よかった~。辻さん、いつもの辻さんのご飯レシピが出ていた。
ほっとしました。ご子息のことを守りながら、いつものように
日々を丁寧に生きて、のりこえてゆかれることでしょう。