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ボツノート(噂)(もの食う話)


今回のボツは小説でもどうぞの「噂」と「もの食う話」です。
これはどちらも一作しか送れなかった。
  


 ボツ作品⑧「越後屋騒動」

 町の交流場だった中華ラーメン屋の『越後屋』が今月末で店を閉めるという。その噂を聞いた町民はみなショックを受け口々に「寂しい」と嘆いた。
 創業五十四年。鶏ガラスープのあっさりした醤油味。昔から変わらぬラーメンが評判の人気店で、二十席の椅子はいつも客で埋まっていた。
 具はメンマとチャーシュー。五センチ四方の海苔が二枚と面長のなると。
中央にはこんもり葱の山。琥珀に広がるスープとぷかりと浮かぶ油の輪。卵色の縮れ麺はもちもちつるつるで固さもちょうど良い。スープとよく絡み、噛まずして飲み込みたくなるなめらかな喉越し。極端に辛くもなければ、特別な素材を使ってるわけでもない。素朴な庶民派だからこそ、週に一度は食べたくなる安定のおいしさを求めて客たちは長年通い詰めていた。
 夫婦経営で店の主人は御年七十六歳の吾郎さん。愛想がいいとは言えないが、穏やかな人柄で、閉店間際でも「いいですか」とお願いすれば、断らず作ってくれる人情に溢れた人であった。
 注文や給仕をするのは奥さんの志津さん。吾郎さんより二歳年下の、にこやかで可愛らしいおばあちゃんだった。かなり腰が曲がってるので、大盛りラーメンをお盆に乗せて運んでくる姿は客たちを毎回はらはらさせるが、さすがは培った技術なのか絶対こぼさず、湯気の立つ熱い丼を平気で掴んでは
テーブルに置いて「ごゆっくりねえ」と微笑む看板娘。
 厨房にはもうひとり、隆生という三十代頃の男性がいた。皿洗いしたり、
具材を切ったりするのが専門で、四年ほど前にいきなり現れた。彼等には子供がいないと聞いていたので、アルバイトを雇ったのかと思われていたが、
隆生が吾郎さんを「親父」と呼んでいるのを客のひとりが偶然耳にし、同居もしてるらしいことから、もしかしたら吾郎さんの過去の過ちで出来た息子ではと広まり、みな彼の存在を暗黙のうちにそう認識するようになった。
 血筋なのか、隆生は吾郎さんに似て無口。「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」以外何も喋らぬ無愛想な男だが、甘さと野性味が混在した色気ある顔立ちで、厨房の奥にいる姿をちらと覗くのを楽しみに通う女性客もおり、小さな町中華がいつも満席なのは彼のおかげでもあった。
 その人気店がなぜ突然閉店するのか。最初に疑われたのは吾郎さんの健康状態だった。実は彼は病に侵されていて、何年も前から無理して仕事を続けていたが、とうとう病気が悪化し、近く入院するだのだろうと言われていた。実際大学病院の待合室に座る吾郎さんを見掛けた人がおり、苦しげな青白い顔で背中を丸めてソファーに腰かけていたという。相当進行してるのではと思うほど神妙な様子から、声を掛けるのも遠慮したらしい。
 それでも吾郎さんは早朝から仕込みをし、閉店時間の九時まで働きっぱなし。時々咳き込むこともあるが、料理の腕は全く衰えず、休日には山歩きして山菜採りもしていた。
「元気なうちにやりたいことやっておきたいんだね」
 誰もが慮り、吾郎さんを温く見守ったが、一方で別の噂も囁かれていた。
隆生が原因で、吾郎さんと志津さんの仲は既に破綻しており、離婚間近だというのだ。いつもにこやかな志津さんだったが、やはり夫の不義が許せず、
別れ話が成立しており、店を売った金額を慰謝料としてもらう手筈になってるため、閉店は彼女の意向とも言われていた。さらに隆生の借金が原因がとの説もあった。彼は休憩時間の度にパチンコ店に出入りしていた。ギャンブルで散財した分を吾郎さんが店を担保に肩代わりしてやったが、返済できずに手放す事態になったという情報も有力だった。
 誰も真実を聞けぬまま、常連客らは毎日店に通い、壁に設えたボードに寄せ書きのメッセージを残した。
〈ゆっくり休んで下さい〉
〈この味忘れません〉
〈家族三代お世話になりました〉
 最後の味を惜しみ、連日大盛況のまま越後屋は閉店の日を迎えた。
 夜の九時過ぎ、店の前には百人を越える客が集まり、吾郎さんと志津さんに涙ながらに花束を渡し「ありがとうございました」「ご苦労様でした」と
鳴り止まない拍手で彼等を労った。
 夫婦と隆生は花束を持って店に戻り、客用テーブルの椅子に腰掛け、溜め息をついた。
「なんでこんなことになっちゃったんだろうね。あたしら離婚する気もなければ、誰も病気でもない。隆生君はうちの味に惚れ込んで継承したいと養子になってくれただけなのにさ。真面目過ぎるからパチンコでもしてきたらって、あたしが行かせたのがいけなかったのかしらねえ」
「魚の骨が喉に刺さって病院に行っただけで、まさかこんなことになるとはなあ。こちらは店を閉めるつもりなぞなかったのに、大丈夫?と言われ続けて辞めなきゃならなくなっちまった。噂ってのは全く恐ろしいもんだよ」
                     了
 
    お後がよろしいようで。
    テケテンテンテン…。


 ボツ作品⑨「種族の掟」
 
 寒い。寒くて凍えそうだ。全身が冷えきってる。誰か毛布を持ってこい。
いや暖房のスイッチを入れろ。ああ体の震えが止まらない。このままでは肺の中まで凍りそうだ。温かいテールスープが欲しい。熱々のリゾットでもいい。おい、誰かいないのか!
 叫んだ瞬間はっと目覚めた。けれど辺りは暗闇であった。目を凝らしても何も見えない。夢の中と変わらぬ極寒。冷凍されてるように体が固まっている。場所を探ろうとするが、手が悴んで感覚がない。俯せに倒れているのだが、怪我でもしているのか足も動かない。トライアングルを鳴らしたような、甲高いキーンとした音が耳の奥に響いていた。
 暗いのは瞼が凍っているせいであった。なんとか開こうと目許をぎゅっぎゅっと絞ると、ようやくかすかに緩んだ。しかし半分しか瞼が上がらず、滴のような形の視界になっていた。
 白。銀。プラチナクリスタル…。乱反射で眩しい。雪ではなく一面の氷。
なだらかな地平がどこまでも広がっていた。天も地も青白く光っているが、
季節も時刻も分からない。
 ここはどこだ。なぜこんな所にいるのだ。起き上がろうとするが、頬が氷に張り付いて取れない。冷たさが痛みへと変わり出す。皮膚が剥がれそうになりながらしばらく格闘していると、いつしがたに眼前に狼が立っていた。
 まだらな灰色の毛に、たてがみのような黒い模様。サファイアを思わせる鋭い小粒のシリウスの瞳でこちらを見つめていた。
 はっとしたが身動き取れない。狼はゆったりした足取りでウロウロと目の前を徘徊した。しかし匂いを嗅ぎに来たり、どこから噛み付こうかと算段する様子はなかった。寒さに強い種族だからか、氷の上でも軽やかだった。
〈食うつもりか?〉
 口唇も固まって開かず、胸の中で問いかけた。
〈お前のような人間でも食われるのは恐ろしいか。この星の半分を氷の世界にした首謀者が。お前が押したボタンのせいで北半球全土が滅びた。見よ。
この広大なツンドラを。ここはかつてお前の栄華の象徴だった宮殿があった場所だ。漆喰の白い壁。金の柱。美麗な細工の施された彫刻の装飾。色とりどりの花が咲き乱れる庭園と緑の森。それも全て崩れて枯れた。何もない。
お前の国も、お前の敵も、全部消えた〉
 狼の声だった。心に直接語りかけてくる。本物なのか疑ったが、しなやかな毛先に宿る霜や、ピクピクと前後する耳の動きは獣特有のもので、足音がしないのは彼等が利口だからだ。
〈バカな。我が国が消えただと。あのボタンは天候も軌道も綿密に計算した上で押したのだ。敵国とその支援国だけを狙ってな。なのになぜ我が国が巻き込まれたのだ〉
〈ああ悪いことはできぬものだ。あの禍々しいものが発射する数分前、お前たちが開発を進めていた星で突然爆発が起きたのだ。隕石がいくつも落下し
着地点に落ちる寸前に飛行物体と激突してしまったのさ。それが散り散りになり、運悪く世界最大の活火山の火口に墜落し、大噴火を引き起こしたのだ。噴火の勢いはすさまじく、大地を揺るがし、炎と溶岩が海を焼いた。
火山灰はライフラインを壊滅させ、噴煙は半球を覆い尽くし、日光を完全に遮った。やがて植物は枯れ果て、家畜は飢え、人間は息絶えた。残ったものは一面の氷。未だ太陽が届かず、一万年前の地球と同じ、氷河が支配する死の土地へなってしまったのだ。お前もろともな〉
 伏せたまま瞳だけで周囲を確かめた。ここが本国だと?いくら火山が爆発したとしても、建物や橋や線路の形跡までなくなってしまうなど、到底信じられなかった。
〈狼よ。あれからどのぐらい経っている?〉
〈明日でちょうど八年だ。お前は最初奇妙な箱の中に入っていた。シェルターというやつだろう。だが数ヵ月前からの猛烈なブリザードでひび割れて劣化し、とうとう生身がむき出しになったというわけだ。足は既に凍傷で壊死している。お前は一歩も動けずここで死ぬだろう。今でも残党が大将の首を狙っている。見つかるのも時間の問題だ。己の押したボタンで自らの命も縮めるとは皮肉なものよ〉
〈それでお前は、そいつらより先にがぶりと噛み付く時を待っているというわけか〉
〈総統。皇帝。独裁者。なんという名前で呼ばれるのがお好みか。我々は南の狼に最期の時を見届けてくれと頼まれただけさ。欲というものに食われた狂人の終わりを祝いたいからとな。南にはまだ生命がある。生き残った者のために、平和を脅かす種は消えたと知らせてやりたいのさ〉
 狼はすとんと真正面に座った。間断なく舞い降りるダイヤモンドダスト。
凍てつく風が容赦なく体に吹き付けては体温を奪っていった。
〈狼よ。頼みがある。私が目を閉じたら、かけらも残さず食ってくれ。王は決して屈しない。愚民に首などやるものか。お前は朽ちた世界で生き延びた英雄。私はお前の中で生きていく〉
 凍りかけた口で笑みを浮かべ、瞼が下りていった。
                      了

  
   完全なるカテゴリーエラー。
   食に興味がないから
   こういう話になるんだな。
   狼が出てくる話が書きたかった。


  最後まで読んで下さった方
  ありがとうございました。







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