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スピノザに関する記事

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17世紀オランダの哲学者、バルーフ・デ・スピノザに関して書いた記事をまとめています
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#エッセイ

人は模倣する生き物 スピノザの感情の哲学をヒントに

 驚くべきことに、17世紀の哲学者であるスピノザは人間の感情について、今からみても、かなり斬新なテーゼを提出していた。  人は感情において、他者を「模倣する」ということが、それである。  何だよ、そんなこと日常でありふれているじゃないかと思うかもしれない。われわれはしばし日常生活でのコミュニケーションや、映画やドラマ、ドキュメンタリーなどを見るさいに、自分に「似ているもの」(人でも動物でも)があると、その人に対して本来的には何の感情もないはずなのに、心を動かされている。同

想像することもまた「力」である スピノザにおける「表象知」についての雑考

 私は文学や映画における表象の力、想像の力というものを信じている。例えば小説は、その高度な抽象化において、現実の方がむしろ抽象化していることを浮き彫りにし、日常生活においては隠蔽されてしまっている問題の本質、現実の虚構性というものを暴き出すのである。  すぐに例として挙げられる小説としては、カフカが代表的であろうし、最近の日本の作家でいくと吉村萬一や村田沙耶香なんかがそうだろう。現実をなぞりながらも、極端に徹底した抽象化は、むしろ現実に接近してしまうのである。それは、この現

若きマルクス、スピノザを読む

 あまり知られていないことではあるが、20世紀、もっとも影響力をもった思想家の一人であるカール・マルクスは、スピノザを読んでいた。たんに読んでいたというレベルではなく、マルクスなりにスピノザ思想を自身の血肉にしていたのだと言われている。 『スピノザ異端の系譜』(イルミヤフ・ヨベル)の第二部第四章は、「スピノザとマルクス――自然内在存在としての人間と救済の科学」というタイトルで、次のような書き出しではじまる。  ヨベルによれば、若きマルクスにとって、スピノザ思想は「マルクス

人は誰かに元気をもらい、その喜びを「培養」する スピノザの感情の哲学をヒントに

   今日も大谷翔平がホームランを打った。ナショナルリーグのリーグ優勝決定シリーズ第3戦。ダメ押しの3ランであった。私はいつも、大谷翔平のホームランを打つニュースに「元気」をもらっている。野球に関心があったのは小学生までだが、大谷翔平のニュースをX(Twitter)で知り、ホームランシーンを動画で確認することが、いつの間にか私の朝の習慣と化している。そのシーンを見てから、仕事に向かうのだ。同じような人はけっこういるのではないかと思う。  そのような習慣は、大谷がドジャースに

スピノザとアンチスピノザ

 daisaw33様、いつも素敵な画像を使わせてもらっています。ありがとうございます!   *  昨今、日本でみられるスピノザ哲学のブームというのは、喜ばしい反面、なんとも奇妙なものでもある。私自身、スピノザ思想の肯定的な内容ばかりを記事にさせてもらってはいるが、本来スピノザとは、哲学史的にも「異様な」存在だったのである。  スピノザ自身が生きていた17世紀、スピノザは無神論者として罵られ、その思想が危険視されていた。生前は『神学・政治論』は発禁処分、『エチカ』はスピノ

この現実こそが神である、スピノザが見ていた世界とは

 スピノザはライプニッツに、自身の哲学を説明するうえで、次のようなことを述べたという。 「世間一般の哲学は被造物(神が創造したもの)から始め、デカルトは精神から、私は神から始める」  なぜ、スピノザは「神」から、自身の哲学を始めるのか。実際に、彼の哲学体系を示した代表的著作『エチカ』は、「神について」の説明から始まる。スピノザの神の定義は、私自身が初めてスピノザに触れた時、もっとも痺れた言葉でもある。  この定義の中で、すでに哲学的な専門用語がいくつか出てきてしまう。「

理性とは喜びの感情そのもの スピノザ哲学から学ぶ(前編)

 人間は理性的な生き物である、ということが言われる。「理性」とは、一般的にはどのような意味を持っているのだろうか。日本国語大辞典では「感情に走らず、道理に基づいて考えたり判断したりする能力」とされている。  Wikipediaでは、以下のようにある。  これ以降は、主に哲学者によって語られてきた「理性」の説明が続く。  哲学において「理性」は、時代や哲学者によってさまざまな意味で使われており、それぞれ異なる概念が存在する。有名なのはカントだろうか。カントにとって理性は、

スピノザも煩悩に苦しんでいた? 自己啓発に効く『知性改善論』

 珍しく、自分語りからはじまるスピノザのテクストがある。初期のものとされ、自身の哲学への入門編として企図されたとも解釈されている未完のテクスト。それが『知性改善論』である。  このたび、気鋭のスピノザ研究者である秋保亘氏の新訳による本書が、講談社より発売された。9月に発売される『スピノザ全集Ⅳ巻』にも、この『知性改善論』が収められる予定だ。  この書を読むにあたっての方向性を、翻訳者が示してくれているので、まずはそれをみてみよう。    本書の「導入」部は、スピノザ自身

感情に支配されないヒント~シナモンロールの『エチカ』より~

 スピノザの『エチカ』は難解で知られるが、確かにつまづきやすい本であることは間違いない。あの幾何学的な叙述を見れば、いきなりうへーと面食らうのは当然であろう。  しかし、第三部の「感情の起源と本性について」、第四部の「人間の隷従と感情の力」は、自分たちにとっても身近な「感情」についての分析にあてられており、他の章よりも読みやすく、とっつきやすい。そしてきわめて実践的なのである。  國分功一郎氏も、この第三部から読んでみることを推奨している。フロイトや精神分析家、心理学者も

人は共感する生き物? デイビッド・ヒュームの哲学をヒントに

 前回、私はスピノザの感情論を参照しながら、人は感情において他者を模倣するということを紹介させて頂いた。  その際に、自己の感情というものは、自分に似たものがある感情に動かされていると、「想像すること」において、それだけで似た感情に動かされるという話をさせてもらった。  この感情の模倣において、喜びの感情につながるものは、通常われわれは「共感」と呼んでいる。悲しみの感情が伴う場合「同情」「憐み」という呼び方をする。これらは、感情が喜びであるか、悲しみであるかで使い分けるの

『スピノザ考:人間ならざる思考へ』スピノザとリアルタイムの永遠について

  スピノザにおける「リアルタイムの永遠」について  スピノザ研究の泰斗、上野修先生のこれまでの研究・論考の軌跡がわかる、われわれが待望していた、かつ渾身の1冊である。内容がとにかく濃い。そして、ヘビーである。読む者は覚悟をしなければならない。  しかし、それは難解で重厚という意味合いではない。上野先生の論調は、読者へのわかり易さというのを常に意識されているので、読み易くはあるのだが、スピノザが考えていたこと、スピノザ思想に秘められているもの、それを上野先生が鮮やかに解

スピノザ、異端の系譜

 柄谷行人はかつて『マルクス可能性の中心』という書を出していたが、彼が1986年から88年までの2年にかけて群像で連載していた『探究Ⅱ』は、その論考の多くがスピノザをめぐって展開されており、『スピノザ可能性の中心』ともいうべきものであった。  哲学者の永井均は『<魂>に対する態度』において、柄谷が『探究』(Ⅰ・Ⅱの総称)で示そうとしていた問題提起にはアグリーなものの、ある一つの点について絶対的に認めることができないと強く批判していた。批判の趣旨としては、柄谷はデカルトの「こ

AIか人間か、あるいは身体と感情の哲学、スピノザをめぐっての雑考

AIか人間か  AIという新たな知性の台頭により、AIと人間を分け隔てるもの、差異は何かという議論が頻繁に行われるようになった。とりわけ、AIと人間の違いを強調するうえで、よく持ち出されるのは「感情」あるいは「意識」と「身体」の問題ではないだろうか。  しかし人類はこれまで、知性あるいは理性(論理的能力)こそが人間を人間たらしめる能力であり、人間にしか持つことができないものなのだと信じてきた。だが、そんな人間の特権である知性や理性を脅かす存在としてAIのような人工知能

ライプニッツ、来たるべき時代の設計者

 来たるべき時代の設計者――  ライプニッツをそのように形容したのは、ライプニッツの研究含め多くの著作を残している哲学者、下村寅太郎である。  中公クラシックの『モナドロジー形而上学叙説』に、下村寅太郎のライプニッツの小論『来たるべき時代の設計者』が解説として収められている。  私はこれまでスピノザに偏った読書をしてきたのだが、最近になってこのライプニッツのことが気になりだし始めている。  片や、1000年に一人の天才と称賛され、華々しく政界、学界、社交界を横断し、精