宗教や信仰についての雑記 #277
◯光の意味
私事ですが、NHKの大河ドラマ「光る君へ」を視ています。紫式部の生涯を描いた話ですが、そこでは権力への欲望や様々な愛憎がドロドロと渦巻く様子が描かれています。
このドラマのタイトルにあるように、「光る」という言葉は、光源氏のような、突出した才能や存在を象徴するものとしてよく用いられます。
この「光」という言葉には、存在の証明や認識の源、真理への導きや生命の象徴、美の基準などといった哲学的な含意もあるようです。
また、宗教的な観点からも、神聖さ、啓示、希望、生命、智慧といった意味を持つようです。
一方、科学的な観点から考えると、光の持つ別の面が見えてきます。
光は物理学的に観ると、粒子としての性質と波としての性質との両方を持っていて、観測方法によってその現れ方が異なるそうです。
また、生物学的な観点では、光の三原色が赤・青・緑なのは、人間の眼がそれぞれの色に反応する3種類の受容体を持っているからだそうです。
ですからもし仮に、4種類の光の受容体を持っている生物がいたら、その生物にとっては光は4原色を持つものだと認識されるのでしょう。
こうして考えてみると「光」とは、存在や認識は相対的なものであり、絶対的なものではないということを表す言葉のようにも思えてきます。
しかしそれと同時に、光の速度はその光源がどのような速度で移動していても一定であるため、光そのものには相対速度という概念は当てはまらないそうです。
このことは、絶対的な真理や神聖さを表しているかのようにも思えます。
宗教や信仰を、あるいは「美」ということを考える際は、この光の性質が示す二面性を参考にしてみるのもいいかもしれません。
その結論として考えられるのは、相対性と絶対性との併存あるいは併有ということであり、相対的であると同時に絶対的でもあるという、言葉の論理では矛盾するもの、つまり言葉の論理を超越したもの、という考え方もあり得ると思います。
「光る君へ」のドロドロした人間模様を見るとき、そんな「光」の持つ意味をも踏まえて観てみるのも面白いかなと、そんなことも考えました。